第5回
町田 康×江 弘毅 「大阪弁で書く」とはどういうことか(2)
2018.09.07更新
2018年6月22日、編集者であり長年街場を見つめてきた江弘毅さんがはじめて「ブンガク」を描いた、『K氏の大阪弁ブンガク論』が刊行になりました。司馬遼太郎や山崎豊子といった国民的作家から、黒川博行、和田竜など現代作家まで縦横無尽に書きまくっている本作で、2章を割いて江さんが絶賛しているのが、作家・町田康さん。唯一無二のそのブンガクを、江さんは「大阪ブンガクの金字塔」と表現しています。
本書の刊行を記念して(そして江さんが熱望して!)、紀伊國屋書店梅田本店にておこなわれた、お二人の対談の様子をお届けします。
(構成・写真:新居未希、2018年7月16日紀伊國屋書店梅田本店にて収録)
理論は理屈にすぎない
江 自著のなかで勝手に町田さんのことをいろいろ書かせてもらったんですけど。なんか、書かれる側の作家さんとして「ちゃうで!」「うっとおしいな」みたいなところはありませんでした?
町田 そうですねえ、大阪という側面から僕の小説を中心に評論をしていただいてるんですけど、「これが正しい」とか「これが間違ってる」というのは、小説としてはあまりないんです。というのは、どう読んだっていいので。
江 そうですね。自分で見つけたらいいと。
町田 セリフとしての大阪弁のリアリティというのを、かなりこの本では取り上げていますよね。「この部分には非常にリアリティがある」とか「谷崎(潤一郎)は方言指導を受けていた」とか、他の作家の方でも方言指導を受けていたというのが出てきます。要するに鉤括弧の中での大阪弁の表現と、ナレーション、地の文のところでの大阪的、富岡多恵子さん的な文というのはどのように読まれてらっしゃるのかなと。
江 地の文も大阪弁で書くというのは、見た目を大阪弁っぽくしていたらいいという、「大阪すっきゃねん」的なものは、読んでいてきしょく悪いというか、腹たつんです。鉤括弧の中に入れてるぶんはべつに腹たたんというか、僕は読者としてそう思うんですけど。ちょっと、富岡さんは別格ですね。
町田 すごく難しくないですか? 地の文で大阪的ニュアンスを出すのは。
江 ものすごい難しいでしょうね。普通しないですね、そこまで。
町田 ただ富岡さんの場合、僕が読んだ感じだと、文学的な効果を狙ってやってるんじゃなくて、本当にあの方の思考そのものがああいう感じなんでしょうね、たぶん。
江 そうそう。あれしか書けへんのでしょうね。もの考えたりするというひとつの筋肉の使い方やから。
町田 江さんの本にも出てきたように、フッサールの話になると標準語になる人と、フッサールすら地元の言葉でしゃべる人という意味でいうと、ほとんどの人はフッサールになると急に標準語になります。ほとんどというか99%そうなんですけど、富岡さんにかぎってはフッサールすら大阪語で考えてる。
江 哲学者の鷲田清一先生の読みやすいところもそこやと思うんですね。一見標準語なんやけど、ニュアンスから何から何まで大阪弁。アーティキュレーションというやつですね。以前、富岡さんに聞いてみたら、「これ、私話してる言葉と同じやで」とおっしゃってましたわ。類い稀やと思います。
町田 相当頭いいというか、もともとの論理性みたいなのがある人じゃないと無理ですよ。日常で考えてることってほんまにしょうもないことですから、人間て。「Suicaチャージせな」とか、ほんまにそんなことが100億くらい頭の中で蠢いてるんですよね(笑)。だから、フッサールとかカケラもないんですよ、普段考えてることのなかに。フッサール読んで理解できる人は、読んだときは考えるけど、それは読んでるとき限定ですからね。だってあんなん理屈だから。
江 そうですね、理屈ですね。
町田 文学理論とか読むと面白いし、「そうだな」と思うんですけど、ほとんどあれは事後的な説明です。
たまに「理論を極めたら文学が書けるんじゃないか」と思う人がいますが、間違えてますからね、そんなものは(笑)。文学理論は、あるものをバラバラにしてるだけです。それを組み立てたって、それはすでに死体ですから。文章のかけらであって、死体にすぎない。
子どもが、美しいブリキのバスを象ったおもちゃを買ってもらったとします。頭のいい子どもは「はたしてこれはどういう仕組みになってるんやろ」と思って、バラバラに分解し出すわけです。バラバラに分解すると「あー、なるほどぉ」と納得するけど、もう二度とそのバスでは遊べない。
小説を書く人というのは、一生懸命そのバスを作ってるわけですよ。美しい、あるいはうまいこと自走するようなものすら作ってる。それを賢い人がバラバラに分解して「こういうことになってるんですよ」と言うから、「だから何?」ってみんなシラーッとなるんです。さらに、それを読んだ偉そうな人が出てきて、自分で分解したわけじゃないんだけど、分解してんのを横で見てて、「なんだ、バスなんて誰にでもできるじゃないか」と言い出したり。段ボールとかでブッサイクなバスを作って、「構造的にはこれであってるもん」と言う(笑)。こんな例はたくさんあるんですよ。
江 ごっつぅわかりやすいですわ(笑)。
町田 まぁそんなもんなんで。バラバラにしつつ、組み立てられる人はちょっと珍しいですよね。
「パンパカパーン」なブンガク論
ーー 江さんのこの『K氏の大阪弁ブンガク論』は、ちょっとそういうのとはぜんぜん毛色の違う評論ですよね。
江 「Meets Regional」という雑誌を作っていたとき、文学評論もコーナーがあって掲載してたんですけど、なんか定型的なんですね。なんでかいうたら、やっぱり僕らが直に日常のなかで、実生活で考えたりするのと、どうも違うとこらへんの筋肉使てるんちゃうかなと思って。なので、普段使う筋肉を使って書いてみようと思たんです。やからめちゃくちゃこの本書くん、楽やったんですね。もうスーッと書けたというか、半分飯食いながら書けたというか。
「どう書いてこましたろか」というニュアンスをそのまま書くようにするために"K氏"というのを登場させた。そこが気がついたところです。
「ちょっと違うんちゃうか」と思ったとき、それを「アホの見本やなぁ」「バカみたいである」とかいろんな方法で書けるんやけど、その「ちょっとちゃうかな」というやつをそのままストレートに出すほうが、大阪弁で書かれた小説は捕まえやすいんちゃうかなと思ったんですね。
町田 これは、タイトルの"ブンガク"がカタカナになってるのには何か意味があるんですか?
江 "文学"の普通の漢字とは違うと思うんですね。だけどそれは言葉を言い換えることはできなくて。"文学"は"文学"やし。それでカタカナにしたというか。
町田 サウンド的な意味を、耳で聞いてる感じを出したかったということですか?
江 そうですね。耳で聞いてるというか、"ブンガク論"としか言いようがない。そのときに漢字で表記するのかという問題ですけど、これでいったほうがカチャッとなってるというか、パンパカパーンという感じがするでしょ(笑)。それでカタカナにしました。
町田 じゃあ、次はパンパカパーンブンガク論ですね(笑)。
(終)
プロフィール
町田 康(まちだ・こう)
1962年大阪府生まれ。作家、歌手。1996年に発表した初小説「くっすん大黒」で1997年にドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年『土間の四十八滝』(ハルキ文庫)で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』(中公文庫)で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』(講談社文庫)で野間文芸賞を受賞。最新刊に『ギケイキ②』(河出書房新社)がある。
江 弘毅(こう・ひろき)
1958年、大阪・岸和田生まれの岸和田育ち。『ミーツ・リージョナル』の創刊に携わり12年間編集長を務めた後、現在は編集集団「140B」取締役編集責任者に。「街」を起点に多彩な活動を繰り広げている。著書に『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』(以上、140B)、『有次と庖丁』(新潮社)、『飲み食い世界一の大阪』『K氏の遠吠え』(以上、ミシマ社)など。津村記久子との共著に『大阪的』(ミシマ社)がある。神戸松蔭女子学院大学教授。また2015年から講義している近畿大学総合社会学部の「出版論」が大ブレイク中で、約200名が受講している。
編集部からのお知らせ
この記事の続きが2018年10月19日(金)発売の『ちゃぶ台Vol.4』にて掲載されます。『ちゃぶ台Vol.4』はお二人の対談以外にも豪華著者による読みものが盛りだくさん! どうぞご期待ください!