第28回
鎌田東二先生にきく! 宇宙の遊び方(1)
2019.10.14更新
2009年10月に 発刊した『超訳 古事記』。生老、病死、愛憎、諍い、霊など、全ての物語の要素が詰まった、日本最古の神話である『古事記』に、宗教学者であり、フリーランス神主、神道ソングライターでもある鎌田東二先生が、いまの言葉で息を吹き込んだ一冊です。発刊から10年経ったいま、鎌田先生はどのようなことに関心を持たれて、研究されているのだろう。気になったタブチが、鎌田先生へインタビューを敢行しました。宇宙との交信の仕方や神話のこと、そして気になるバク転の話など、盛りだくさんでお届けします!
(聞き手、構成:田渕洋二郎)
日常に「宇宙」をもてば
ーー 今の現代人が日々を生きる中で、宇宙を感じる瞬間が少なくなってしまったことを寂しく思います。結果的に「自分」というものが大きくなりすぎて、心の病など、さまざまな新しい問題に直面しているように感じるのですが、いかがでしょうか?
鎌田 それはとても重要な問いですね。ちなみに、私は毎日宇宙を感じて生きています。というのも日常には実は宇宙を感じられる瞬間というのはたくさんあって、たとえば本の中にも宇宙があるわけです。一冊一冊のなかに宇宙があると思うし、本が並んでいる本屋さんも宇宙です。いい本屋さんには、本の並びにリズムやハーモニーがあって、その空間に音楽を感じるんです。中に詰まっているのは言葉ですけれども、その言葉は楽譜のようなもので、たとえば弦楽四重奏や交響曲が聴こえてくるように感じて手にとってしまう。そうやって身近なところにある宇宙を感じられるかどうかがポイントですね。
ただ、同じ本屋さんでも売れ行き中心で並んでいるのは、コンビニに似ているというか、どうも落ち着かないですね。すごくノイジーで、本がざわざわしてしまっているのは苦手です。音がクリアーに聴こえてこないし。
ーー ほかにも宇宙を感じる瞬間はありますか?
鎌田 料理でも、音楽でも、コーヒーの飲み方でも、なんでもいいんです。身近なところに宇宙はたくさんある。食事ひとつとっても、食卓になにを並べるかということもひとつの宇宙の創造です。たとえば北大路魯山人であれば、料理に相応しいお皿やお箸、それからテーブル、といったように、全体のコンビネーションを感知してデザインするわけですよね。そういった秩序を自分で創造していくことが大切です。
―― なるほど。
鎌田 こんな感じで、宇宙に接続する回路をたくさん持っていたほうが、面白く生きやすいと思うんですね。私は身心変容技法という研究を長年してきていますが、これは人間のからだとこころをどうやって世界と調律するか、またどうのようにして理想の状態にしていくかという研究です。たとえば仏教の中でも密教では、大日如来と一体化するための「三密加持」という密教の修行があります。また曼荼羅をみる諸種の観想があり、いろいろな方法論があります。
神聖な宇宙と自分がどう近づいていくかということを、人類はいろいろなかたちで編みだしてきました。デザインにせよ、アートにせよ人間の文化というのはそういう身心変容技法の集積なんですよ。
「配線替え」という創造
宇宙を感じるためのもうひとつの手段は、神話です。日々の生活を忙しく過ごしていくなかで、どうしても宇宙や世界に通じていく「始原のとき」を忘れてしまうんですね。神話というのは、いつも「始原のとき」に立ち帰るためのひとつの方法なんです。
古事記上巻や旧約聖書の冒頭部もそうですし、世界中の神話もそうですけれども、始原の物語を自分のなかに生き生きともつことによって、いま自分がどこにいるのかということを確認できます。
―― おお!
そういえば先日京都大学の宇宙物理学・天文学の柴田一成先生たちと、「宇宙と古事記」というシンポジウムをやったんですよ。そこで、最新の科学による宇宙研究と古代の古事記とが結びつくことで、面白い観点を生み出すことが出来ました。このように、ポイントは小宇宙同士をぶつけあわせることで、新しいものが生まれるということなんです。たとえば、お寺という空間での小宇宙と、料理という小宇宙がぶつかったときに「精進料理」が生まれましたよね。
本来大学というのは、そういうことが自由にできる場所であるべきなんですけれども、今はひとつのアカデミックな学問分野を掘り下げるだけで、なかなか各宇宙同士のぶつかりがありません。それは寂しいですね。だから、いろいろな領域にあるものの配線替えをしてみることによって、撹乱というか、創造的に越境していく行為と環境が必要と感じています。
われわれの世界は、素材も人口も有限であるけど、組み合わせは無限です。また、仮に組み合わせが失敗したとしても、それを修理固成すればいいんだというのが、古事記の考え方です。そうやってものの見方や見え方を切り替えることができれば、世界は曼荼羅のように見えてきてとてもおもろいものです。
冥界へ行くということ
―― 古事記の国生みもそうですよね。
鎌田 そうですね。古事記のイザナギとイザナミもそうですが、世界の神話でもそうです。神話にはそういうパターンがいくつかあって、「冥界くだり」も世界の神話に共通してあります。古事記とともにオルフェウスもそう。大切な人の死など、耐え難い状況になったときに回復への旅をするというものです。再生できるかどうかはわからないけれども、とにかく旅にでてしまう。ある種のグリーフケア(悲嘆のケア)とも言えますし、つまりこれまでとは違った宇宙のあり方に、気づき、それを創造していく過程です。
―― 興味深いです。
鎌田 オルフェウスは妻のエウリディケーを毒蛇にかまれて亡くしてしまうのだけれども、あきらめきれずに冥界へいきます。それで冥界の番人の前で竪琴を弾いて心を動かし、冥界からエウリディケーを連れ戻せることになったんだけれども、「振り返ってはいけない」という約束を破ってしまって連れ戻すことができなかった。古事記でも、妻であるイザナミを失ったイザナギが冥界へ下って、これもまた「のぞき見してはいけない」という約束を破ってしまって現世に連れ戻すことはできません。
結果的には、元の形には戻らなかったけれども、冥界くだりを通して、また別の形で新たに宇宙を創造する一歩を踏み出しているわけです。新しい宇宙の創造というのは秩序を壊すことになるんですけれども、少し時間が経つとそれがまた宇宙になっていく。このような大きな悲劇ではないものの、生きていくなかで、秩序のある世界と秩序の破れという、両極をいききしていくのが人間の人生です。
鎌田東二(かまた・とうじ)
1951年、徳島県生れ。國學院大學大学院文学研究科博士課程神道学専攻単位取得満期退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科博士課程社会環境生命科学専攻単位取得退学。現在、上智大学グリーフケア研究所特任教授。京都大学名誉教授。博士(文学・筑波大学)。宗教哲学・民俗学・日本思想史専攻。著書『人体科学事始め』(読売新聞社)『身体の宇宙』(講談社学術文庫)『世阿弥』『言霊の思想』(青土社)『常世の時軸』(詩集、思潮社)他。