第33回
みんなちょっと当事者(2)すでに当事者だということに気づいてほしい
2019.12.29更新
『ほんのちょっと当事者』の著者、青山ゆみこさんをお招きして、12/6(金)に荻窪の本屋Titleさんにて刊行記念イベントを開催しました。題して「みんなちょっと当事者」。
自己破産、性暴力、親の介護と看取りなど、他人事のようで実は誰もが当事者になりうる問題について明るく語った本書の内容や、その周りの話を、Title店主の辻山さんを聞き手に語っていただき大いに盛り上がりました。
イベントの様子を2日にわけてご紹介します。
前回の記事はこちら
「当事者」という言葉について思うこと
辻山:『ほんのちょっと当事者』というタイトルなんですけど、今はみんなが当事者になりたがらないような社会ですよね。社会問題について、自分がコミットせずに、外から言うだけの人も多いと思うんです。そういうモヤモヤもあってこのタイトルにしたのかと思ったのですが、どうでしたか?
青山:・・・あんまり、そこまで考えてなかったですね(笑)
辻山:青山さんが本のはじめのほうで『べてるの家の「当事者研究」』の本を引用して、当事者について「自分の苦労の主人公になる」と書いているんですが、苦労するだけが当事者じゃないなと思うんです。
青山:そうですね。
辻山:当事者であるということは、自分の人生を自分のものとして生きる、ということでもあると、最近感じているんです。
というのも、いま私はこうやって自分の店をやっているんですけど、その前は会社員だったんです。会社員って、お給料が毎月決まった額入ってきますし、自分がポカをしても最終的には上司が謝ってくれるという側面がある。でもその代わりにやりたくない仕事もやらなきゃいけないじゃないですか。これから偉くなると管理職の仕事も増えていき、現場から離れていって、だんだん架空のような人生になっていくのではないかと感じていたんです。
そんな中で母の介護をしていて、病院でふと自分の会社員としての仕事が頭に浮かんだ時に、「自分はこの仕事を100%でやっているんだろうか」と思ったんです。もっとヒリヒリしていたい、それこそ「自分の人生の当事者でいたい」という気持ちがあって、自分の店を始めることにしたんです。介護をしている時にも思いましたけど、当事者って辛いけど、生きる実感があるんですよね。
青山:そうだったんですね。初めて伺いました。そういう時間は密度が違いますよね。
辻山:青山さんも介護を通じて濃密な時間を過ごしたことで、いろんな問題意識が派生したり、その熱量で他の自分の話もさらけだして書いてみようという気になったんじゃないでしょうか。
青山:そうですね。私にとって親の看取りは辻山さんの言う「濃密な時間」でしたし、その体験で見方が変わりましたね・・・。ただ自分の人生に対してはどうなんやろう? しっかり生きようとかはあんまり思ってないですね。ああいう経験をしたのに、自分がダメなままだなぁと感じます(笑)
辻山:(笑)
話している人の気配を残す
辻山:この本のプロフィールに、「1000人の人に話を聞いた」とありますね。
青山:ちょっと煽ってますね(笑) でも、1000人以上は聞いていますね。京阪神エルマガジン社の『Meets』という雑誌で、ご近所の喫茶店のおばちゃんから、芸人さんやアーティストまで、いろんな人に話を聞いてきました。
辻山:最初にお話した『人生最後のご馳走』での私のおじのインタビューは、本当におじが話しているようでした。おじの声が聞こえるんですよ。
青山:それはライター冥利に尽きます。ほんとに嬉しいです。
辻山:青山さんは、そのような取材の文章をどういう心持ちで書かれているのですか?
青山:そうですね・・・。基本的に、私メモをとらないんですね。ICレコーダーを置いてだらだら話したものを、文字起こしするんです。それを活字にすると、喋っていたときの抑揚とか温度みたいなものが一回消えるじゃないですか。でも、何回も読んでいくと、活字になったもののなかから、言葉が浮かんでくるんです。それは、私が書きたい言葉というよりは、その人が伝えたかったことが出てくるんです。
喋っていた時のその人のことをずーっと思い浮かべながら文字を読んでいると、その人の言葉が返ってくる感じがあるんです。私が書かせてもらってるんですけど、彼らの言葉なんですね。言葉を忠実に書くというよりは、その人がその時発した言葉が含んでいた温度とか質感を、読み手に届けていきたい。話している人の気配を残したいと思っています。
逆に、今回の本は自分の文章なので、自分の好きなリズム、好きな言葉で書けるので、それはそれで楽しいんです。スカッとしました。久しぶりに自分のエッセイを書いて、これはこれで楽しいなという気持ちになりました。
「魂のお焚き上げ」としての一冊
辻山:一冊書き上げてみて、自分が変わったと思うことはありますか?
青山:すっごい乱暴な言い方なんですけど、ここに書いた話は、私の中でもうどうでもいいんですね。
辻山:おお・・・。
青山:自分の中で自問自答を繰り返して書いたんですが、普段だったら深さ3ぐらいで止めていたものを、5か6ぐらいまで掘り下げていったんです。
なんでかと言うと、「このテーマでは、今回この一回しか書かない」ということを自分の中で決めていたんです。そうして、自分が本当に何を考えているんだろう、というふうに考えていったんです。「魂のお焚き上げ」というか、自分の中のモヤモヤやドス黒さを成仏させようとしていたんです。そのためには、とことんまで突き詰めないと。中途半端だと化けて出てくるような形で残ってしまうので、完全にお焚きあげをするために、念仏を唱えるかのように、自分を掘り下げていったんです。だから皆さん、この本はお経を読んでいるようなもんなんですよ(笑)
会場:(笑)
青山:なので、こんだけお経上げたらもうええやろ、と思ってます。なので、辻山さんが一番最初におっしゃってましたが、この本を読んでくれたら、このテーマについて私はもう喋ることがないんです。それぐらい書きました。おねしょの話とか、私は一番恥ずかしかったんですけど、この本で言ってしまったのでもう恥ずかしくないんです。なぜ自分がそんなに悩んでいたのかもわかりましたし、大丈夫なんです。
辻山:そうだったのですね。やはり、青山さんは、青山さん自身がもっと自分の人生の当事者になっていこうと思って、この本を書いたのでしょうか?
青山:それもありますし、同時に、これは書き手としておこがましい気持ちなのかもしれませんが、私が当事者になっていったように、読者の方も自分の人生の当事者になってほしい・・・というか、すでに当事者なんですよ。当事者であることに気づいてほしいですね。
辻山:そうなると周りの世界がリアルに見えますし、そもそもそのほうが楽しいですよね。
青山:はい。読んだ人が、自分が当事者だと気づいて、隣の人となんとなくわかり合っていくような横の連鎖が続いていったら嬉しいです。
編集部からのお知らせ
『ほんのちょっと当事者』書評・紹介が続々!!
『ほんのちょっと当事者』発売から約一カ月のあいだで、様々なメディアに取り上げていただいております!
・北海道新聞に『21世紀の楕円幻想論』著者・平川克美さんの書評が掲載されました!