第35回
『モヤモヤの正体』刊行記念 尹雄大さんの正体(2)
2020.01.30更新
こんにちは。ミシマガ編集部です。
本日1月30日に、尹雄大さんによる『モヤモヤの正体――迷惑とワガママの呪いを解く』が発売日を迎えます。多くの人がわだかまりを感じるような出来事について、そのモヤモヤした気持ちの正体をていねいに探った本書。はじめに言っておきますが、本の中に書かれていることは、問題解決のためのノウハウでもなければ、ある出来事を善し悪しでスパっと判断することもしていません。複雑なものは複雑なままに、白黒つけられないところにとどまる足腰の強さを手に入れるためのリハビリの一冊です。
『モヤモヤの正体――迷惑とワガママの呪いを解く』尹雄大(ミシマ社)
著者の尹雄大さんのことを読者のみなさんに知ってもらうべく、尹さんへのインタビューの様子を昨日からお届けしているのですが、そこで明らかになったのは、コミュニケーションが苦手、できないことが山積み、とにかく「ポンコツ」。そんな尹さんが、どんな経緯でインタビューやライティングの仕事をするようになったのか? そして新刊『モヤモヤの正体』を書くことになったきっかけとは?
(聞き手・構成:野崎敬乃)
ある出会いがきっかけで
――ここまでのエピソード、どれも衝撃でした。そんな尹さんがどういうきっかけでインタビュアーやライターの仕事をすることになったんですか?
尹 25歳の時に『創』という雑誌の関係者の忘年会があるから「そこで何か縁ができるかもよ」と先輩に言われて、行ったんです。誰とも話さずに座っていたら、隣にルポライターの藤井誠二さんがいて、話しかけてくれたんです。なんか気に入ってもらって、藤井さんが取材した録音のカセットテープを文字に起こす手伝いをするようになりました。出版業界のとっかかりはそれですね。
――藤井さんとの出会いをきっかけに、ぽつりぽつりとそういう仕事をするようになっていくんですか?
尹 そのあと『週刊SPA』の編集者の方と知り合って、読者プレゼントのコーナーをやることになりました。
――何をするんですか?
尹 「今週は◯◯の缶コーヒーを20名様にプレゼントします!」というようなページがあって、1ページ30,000円ぐらいもらえました。週刊誌だからそれを月に4回やれば120,000円。これで生計が立てられると思って、担当編集の人に引き合わせてもらったものの、たった30行程度の商品紹介の文章が書けない。
――商品の情報があって、それをもとに書くということですよね。
尹 それすらできないんです。電話のやり取りでは埒があかないから、「会社に来て書いてください」と言われて、当時パソコンじゃなくてワープロを持ってたんですけど、ワープロを持っていったらコードを家に忘れて、取りに帰りますって言って家に帰ったら、留守電でもう大丈夫ですって入ってて。1回でクビになりました。
――変わらないなぁ(笑)。
尹 書けない・話せない・聞けない。ヘレンケラー並みですよ。
――もう何と言ったらいいのか・・・。人に勇気を与えますね。
尹 ただ唯一できたことがあって、テープ起こしのキータッチがめちゃくちゃ早い。
――この仕事においてそれは重要ですね。
尹 それが早くなったのには理由がありまして・・・。その前にちょっとだけバイトでファッション誌の別冊を作る編集プロダクションでバイトをしていまして、当時はキータッチができなかった。こんなことをしてたんですよ。
(註:尹さん、両方の人差し指でキーボードを押す)
――ここまで話を聞いてくると、もはや驚きません。
尹 雲形定規という定規があるんですけど、それで上司にパンって叩かれて、「指づかいがなってない!」みたいな、編集業務と全然違うところで怒られていました。おかげでタッチが早くなったんです。
とにかく、できないことが多すぎて、今から思うと本当にいろいろ迷惑をかけました。できる・できないにこだわっているのはそういう体験があるからなんでしょうね。
ポンコツなりの努力
――そういうときは、「もっとできるようになりたい」みたいな気持ちはあるんですか? 自分のできなさに対しては、どういうテンションなんですか。
尹 できるようになるためのなり方がわからないんです。20代後半くらいによく言われたのが、「どうして君はもっと努力して世の中に出て行こうとしないのか」といった内容で、そういう人は励ますつもりで言っているんでしょう。だけど、僕は努力をしたことがないから、「努力しなさい」と言われても、努力するための努力から始めないといけない。そしたら努力するための努力のための努力・・・とか無限にさかのぼれるわけです。そしたら、大抵の場合は「?」みたいな顔をされます。
――でしょうね・・・。
尹 けれどやっぱり努力の方向性がわからないから、2年くらいは努力について考えていました。そして得た結論が「努力とは試行錯誤を可能にする方法論を確立すること」でした。
――想像以上に長い(笑)。
尹 ちょうどその時期に先述した藤井さんから、ウェブマガジンのインタビューコーナーの仕事を紹介されました。今でも覚えているのは現代アートの森村泰昌さんへの取材です。
コミュニケーション能力がないらしいとは自覚し始めていたので、その代わりに何ができるのかな? と思ったら、資料を徹底して読んで、質問を考えることだった。著書はもちろんのこと、大宅壮一文庫に行って、森村さんに関する記事の全部読んで、質問を50個ぐらい考えて、現場に向かいました。で、「よろしくお願いします」と言ってすぐ質問を始めるわけですよ。
――メモをそのまま読んでそうです。
尹 質問が3つくらい続いて、そしたら森村さんが「ちょっと待って」とおっしゃった。「あなたが私のことをとても調べてくれてるのはわかるし嬉しいんだけど、落語の枕と一緒で、やっぱりこういうのって前置きが必要じゃないですか?」と言われました。はっ、そうなのか! となり、それを受けて次のインタビューからは、「なんか今日は寒いですね」と取ってつけたみたいに言うようにはなりまた。でも、そのあとはいつもの調子です。以前、医学書院の白石正明さんに、「尹さんは弱いロボットだよ」と言われたことがあります。
――その表現、ものすごく的確ですね。
尹 時候の挨拶が必要なんだな、と思ったらすぐにインプットはできるんです。でも、それだけ。
――そのレベルから今のようになるまでは、回を重ねるごとにちょっとずつ進化していったということなんですか?
尹 いや全然変わらなかったです。ただ質問の精度は上がっていったと思います。そういうぎこちない人を前にすると、取材される人も「この人、大丈夫かな」と不安になると思うんです。滑らかなコミュニケーションはできないけれど、それ以外のところで安心感を感じてもらうにはどうすればいいか。そのときにテーマにしていたのは、とにかく「これまで一度も聞かれてないことを聞く」ことに向けた努力はしていました。そうすると相手が面白さを感じて、口を開いてくれるようになりました。
――話したことのないことを聞かれるのは嬉しいですよね。
尹 宇宙物理学の専門家とかアスリートとか、とにかく自分が知らないこと、想像もつかないことを経験している人に取材するとなると、浅い知識で質問してもダメだし、かといって「何も知らないので教えてください」もダメ。そういうやり方もあると思います。でも、相手からしたら時間を奪われてる感じがするんじゃないかなというふうに思うので、話を聞く限りは相手にとっても豊かな時間になったほうがいいなと、ポンコツなりに想像したわけなんです。
圧倒的に不利な状況から始まっているというのはあったんですね。コミュニケーションの面でも自分が知らないということについても。逃げることもできない。うかつに進むこともできない。自分がわからない話をどう聞いていくか、という体験をする中で、「わからないから聞けることがある」と思うようになったんです。
必ずしも意味を理解しなくても質問はできる。なぜなら、そもそも人は意味を伝達したくて話しているわけではなくて、意味にならない何かを伝えたいと思っているんじゃないか? と思い始めるわけです。コミュニケーション能力はないのに、コミュニケーションとは何かということをだんだんと考えるようになっていったんですよ。
一般の人の声を聞くようになったわけ
――最近はアスリートや芸能人、財界人などの著名人以外に、インタビューセッションと言う形で一般の人にも話を聞かれていますよね。それは、どういうことがきっかけだったんでしょうか?
尹 3年くらい前から福祉とか精神医療に関わる仕事をしている人たちが僕が主催したトークイベントなどに来るようになりました。そのうちのひとりの方に自分の考えていることをまとめるためにインタビューをして欲しいと依頼されたことがきっかけです。その後、何人かにインタビューをしたのですが、全員女性で、しかもみんな今の社会で女性が生きることに関して、怒っているということがわかったんです。
彼女たちは「ちゃんと筋道を立てて話せるのかわかりません」と言うことが多い。それはおそらく自分の感じていることや思っていることを社会で言ったら、「もっと論理的に話してくれないとわからない」とか、「根拠は?」と言われ続けてきたからこそそう言ってるのではないか。と言うのも、一見飛躍した内容だったとしても、そこにはその人の感覚の一貫性があるからです。
感じていることを口に出していいし、それを良いだの悪いだのと解釈されなくてもいい。需要があると言ったら変なんですけど、そういう場が必要であればやってみようと思ってインタビューセッションを始めました。これはカウンセリングでもないし、問題解決でもないし、啓発でもなくて、僕はただインタビューをするだけです。
――それは、身体に染み付いてしまった社会の中での身のこなしをていねいに解いていく行為のように感じます。今回の本もその延長線上にありますね。
読者のみなさんへ
――『モヤモヤの正体』、どんな人に読んでほしいですか?
尹 この本を書いたきっかけは駅やデパートだとかの階段や段差を前にしたベビーカーを抱えたり、押したりする女性の表情がすごく気になったからです。「手伝いましょう」と話しかけた時の彼女たちの警戒心と申し訳なさの表情を見て、迷惑とワガママというキーワードを思いついたんです。女性が萎縮させられてしまっているんですよね。
今の社会はだいたい18歳から65歳くらいまでの男性・異性愛者・健常者向けに設計されていると思うんですが、そこでノーマルを自認できる人が社会を担っているとしたら、そういう人はマイノリティの体験が少ないと思います。マイノリティとしての感覚的体験も少ないから、当然マイノリティの存在を想像するのは難しいですよね。自分ができて当然なことは、他の人ができて当たり前。その発想からしたら、「できない人」というのは怠慢だとか能力が低いとみなされてしまう。できない人自身もそう思ってしまうようになりますよね。
だけど、できるようにがんばることが自分ではない何者かになる努力になっている場合も結構あって、そうなると誰のための人生なんだとある時点で虚しくなるんじゃないでしょうか。
――本の中で、「弱くてダメなところを病に例えるなら、病んでいることを病み切るのが、その人の活力を生み出す道になるのではないかと思う」と書かれていますね。私たちはどうしても健康になろうとしてしまうし、よくなる方向に努力してしまう。それは無理していることも多々あるし、根本的なことの解決になっていないことが多い。「病み切る」という考えが、一つの救いになる人たちがたくさんいるんじゃないかと思います。
尹 「弱い自分から強くて素敵な自分になれたらいいな」といった変身願望が多かれ少なかれ人にはあると思います。だけど、ある日突然すばらしい自分になれるわけない。かといって、「あるがままが素晴らしい」と言われることにも警戒心を持ってしまうのも当然です。理想もあるがままの姿も概念ですよね。その外にいる自分を知りたいし、そういう意味での変化は誰しも自分に期待しているんじゃないでしょうか。知らない自分を発見していく。それはすでにいる自分であると同時にまだ見ぬ自分でもあるわけです。
――それはまさにこの本を通して届いて欲しいメッセージです。
*
尹雄大さんによる新刊『モヤモヤの正体ー迷惑とワガママの呪いを解く』ぜひよろしくおねがいします。
編集部からのお知らせ
『モヤモヤの正体』刊行記念イベント情報@京都
『モヤモヤの正体――迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)の刊行を記念して、著者の尹雄大さんによるトークイベントをおこないます。
世の中を席巻する「なんだかなぁ」という光景や感情、言葉。違和感を覚えても、周囲の目を気にしてか、つい自分の言葉をのみ込んでしまうことがあります。
こうしたモヤモヤに焦点を当てて、子育て、コミュニケーション、仕事、感情、教育、笑い、社会、他者の視線の観点からその正体を丁寧にひもとく本書には、社会の複雑さはそのままに、自分と他者との関係に折り合いをつけて生きるヒントがつまっています。
イベントでは、著者の尹雄大さんに、本を書きながら考えたこと、いまの社会の空気に感じる違和感、自分自身の保ちかたなどをテーマに、担当編集・野崎と恵文社一乗寺店・鎌田が、一読者として聞きたいことをずばずば聞いてみたいと思います。
モヤモヤを言いたい、モヤモヤを聞きたい、という方、ぜひお誘い合わせのうえご参加ください。
「教えて、尹さん! 」
『モヤモヤの正体――迷惑とワガママの呪いを解く』 刊行記念トークイベント
■日程:2020年3月13日(金)19:00~(開場18:30~)
■会場:恵文社一乗寺店 コテージ
■定員:30名様
■入場料:1,000円(税込)
■お申し込み方法
[1] ミシマ社にてメール予約。( event@mishimasha.com )
件名を「0313イベント」とし、「お名前」「ご職業・年齢」「お電話番号」をご記入のうえ、お送りください。
[2] ミシマ社京都オフィスにて電話予約。(TEL:075-746-3438)
[3] 恵文社一乗寺店店頭または電話で予約。(TEL:075-711-5919)