第39回
『小田嶋隆のコラムの切り口』刊行記念特集(2)武田砂鉄さん寄稿「参考にならない」
2020.03.21更新
『小田嶋隆のコラムの切り口』発刊記念特集の2日目は、武田砂鉄さんの寄稿を掲載します。
コラムの名手である武田さんは、『小田嶋隆のコラムの切り口』をどう読んだのか? 同じコラム執筆者同士だからこそわかる、小田嶋さんのテクニック、才能とは? そして寄稿のタイトル『参考にならない』の真意とは? 必読です。
(昨日の記事は、こちら)
参考にならない 武田砂鉄(ライター)
小田嶋隆のコラムは、いちいちうるさいし、めんどうくさいのだが、読んでいると、「そうそう、そんな自分もいちいちうるさいし、めんどうくさいよな」と気づくことができる。この機能が、今の世の中、すっかり乏しくなっている。本当はいちいちうるさいし、めんどうくさいはずの人が、こざっぱりとした素直な人として立ち振る舞ったりしている。で、すっかり疲れている。
しかし、そうなってしまうのも当然といえば当然である。なぜって、「ちょっと待ってください!」と挙手すると、その人が何を言うかではなく、果たしてその人は挙手する権利を有しているのか、有しているとして、挙手に対してどれだけの人数が賛同を示しているかなどが計測され、「資格なし」と判断されると、「そりゃそうだよ、あいつに声を上げる資格なんてねーよな」と一斉に騒がれてしまうからだ。
「で、結局、何が言いたいんだよ」という感想に対して、「んなことは知らないよ。自分で考えてよ」と返して立ち去るのはコラムの特権だったと思うのだが、どうにもそれが許されない。ちょっとした会話でも、広告のキャッチコピーでも、テレビのテロップでも、ありとあらゆるところに明確なオチが用意されていないと安心してくれない風土が整いすぎてしまい、コラム=「自分勝手で説明不足の産物」と処理されることも増えてきた。でも、説明なんて不足するのである。ある部分への過剰さと、ある部分への冷たさが溶け合わさって、程よい温度で食べたり、途中で吐き出したりするのがコラムという食い物である。
この『小田嶋隆のコラムの切り口』に収録されているコラムの内容に一貫性はない。あちこちに散らばっていたコラムから厳選し、「切り口」別に区分けしたのだという。所有しているナイフの種類を明らかにして、それぞれの切れ味を披露しているわけだが、通販番組で紹介されるナイフのように、見事にサクッと切れるわけではない。というか、そもそも、そう簡単に切るつもりなんてない。もうすぐ抜けそうな乳歯をわざとそのままにするような寸止め感を堪能するのが、小田嶋隆のコラムの楽しみ方のひとつだ。
基本的に、雑誌に掲載されるコラムって、決められた箱に文字を詰め込む作業になる。あらかじめ食材を決めて、効率よく弁当箱に敷き詰めるタイプの書き手もいるが、小田嶋のコラムは、とりあえず身近なものを弁当箱に詰めて、じゃあ、次に、冷蔵庫の手前にあったものを詰めて、奥に残っていたものまで詰めてしまうスタイルだ。この臨機応変は、コラムにおいても高等テクニックである。
自分もコラムをあちこちに書く人間なので、多少なりはわかっているつもりだが、コラムの核を作るのは「接続」だと思っている。フランクな言い方をすれば「ある話題とある話題の共通点をどうやって探して繋げてみるか」である。小田嶋は、本書の各章で「ノーアイディアで書き始めることができる」「書いているという作業がアイディアを呼び寄せる」「ツッコミがボケを招き、コールがレスポンスを読んで、会話が回りはじめればOKだ」などと書いている。ホントのことなんだろうが、たぶん、ちょっとウソなんだろうとも思う。だって、どうにもこうにも会話が回らない時だってあるはずだから。
そういう時には、自前の接着剤で強引にくっつけることになる。道路工事をした場所って、いかにも「道路工事したぞ!」って色合いになっている。形状も不自然にモッコリしていて、不恰好だ。コラムも同様に、地ならしが難しい。「この人、ここで話題を変えたぞ」とか、「このオチはさすがに唐突すぎるだろ」と、すっかりバレてしまう。小田嶋隆のコラムの作りは、地ならしがうまい。つまり、接続が巧妙だ。ユーモアも皮肉も、事実も空想も、激情も劣情も、巧妙に混ざり合っている。最適配分を考えずに書き始めて、結果的にそれが最適配分になっているのだとすると、これはもう才能である。
本書のオビには「ブログ、SNSなどの執筆の参考にも・・・」なんて書いてあるけれど、参考にはならないんじゃないか、と思う。この本を読んで、ふむふむ、なんだこれ、自分にも書けそうだぞ、と少しでも思ったならば、それは小田嶋の「コラムの切り口」に律儀にやられた証拠である。これ、実際には書けません。なので、この本は参考にはならない。そう書いたところで、「いや、参考になるかもしれない」と思わせ続けるところが悔しい。
武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。
著書に『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論――テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)、『往復書簡 無目的な思索の応答』(又吉直樹との共著/朝日出版社)などがある。
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延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗し続けて5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成。