第42回
尹雄大×伊藤亜紗 トークイベント「迷い、戸惑う感覚の味わい方」(1)
2020.04.19更新
こんにちは、ミシマガ編集部です。
『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』尹雄大(ミシマ社)
2月29日、青山ブックセンター本店にて、『モヤモヤの正体』の著者尹雄大さんと、『記憶する体』(春秋社)の著者伊藤亜紗さんによるトークイベント「迷い、戸惑う感覚の味わい方」が開催されました。
怒りという感情がわからず、親指が「行方不明」で、ヒザと対話をすることで体の「酋長」を目指す尹さんの正体に、『どもる体』(医学書院)『目が見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)など、体についての名著を次々に出されている伊藤さんが迫り(ときにツッコミ)ました。前編、後編の2回にわたりお届けします!
(写真:岡田森、構成:須賀紘也)
シャープさとポンコツ感のギャップがすごい
伊藤 実は私と尹さんは初対面なんですけど、共通の知り合いがおりまして、ちょうど数日前にその人と会って、「今度尹さんとトークイベントをするんです」という話をしました。『モヤモヤの正体』を読んで、シャープな人が書いたんだろうな、という印象を持っていたんですけど、その知り合いの話を聞いていると、尹さんは本から想像される人柄と、実物がすごく違うらしいんですよ(笑)。
伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『情報環世界』(共著、NTT出版)、『記憶する体』(春秋社)がある。
尹 『モヤモヤの正体』の刊行に合わせて、ミシマガジンにインタビューが掲載されました。そこでは、これまでの人生の失敗談を話したのですが、そのとき聞き手だったミシマ社の担当編集者はインタビューの前後で態度が変わった気がします(笑)。
尹雄大(ゆん・うんで)
1970年神戸市生まれ。インタビュアー&ライター。政財界人やアスリート、アーティストなど約1000人に取材し、その経験と様々な武術を稽古した体験をもとに身体論を展開している。主な著書に『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『増補新版 FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)、『脇道にそれるーー〈正しさ〉を手放すということ』(春秋社)、『モヤモヤの正体ーー迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)など。
伊藤 確かにあのインタビューからはすごくポンコツ感が(笑)。でも、『モヤモヤの正体』は、みんながモヤっとしているけど曖昧で捉えどころのないことが言語化されていて、尹さんはシャープでちょっと「厳しい」人なのではないかな、という印象を受けました。だから、このトークをちょっと憂鬱に思ってたりもしたのですが(笑)。さきほど初めてお会いして楽屋で少し話したのですが、やっぱり事前の印象とのギャップがすごいです。
尹さんは体のことを研究されて、文章にもよく書かれていますよね。そういう文章を書く方は、武術をしていたり、感覚が鋭敏で普通の人よりも運動ができる体を持っている人が多いと思うんですけど、尹さんはどうなんですか?
尹 運動全般がわりと苦手ですね。小学生のころは逆上がりができませんでした。そう言えば、伊藤さんの『どもる体』を読んで思い出したのですが、小学校中学年から高校を卒業するぐらいまで吃音症の「難発」のような、言葉が出てこない状態がありました。声を出そうと思っても、全身が固まってしまうんです。そういう緊張状態は運動においても起きました。
伊藤 そうだったんですか。でも尹さんはインタビューをされているなかで、相手がしゃべっている言葉だけじゃなくて、その体の動きだったり、呼吸をするタイミングだったり、その人の細かい体の動きを観察されてらっしゃいますよね。
尹 吃音症の難発の方は、言葉を出すまでに身じろぎとか、そういう事前の動きがありますよね。自分もそれに近い状態で話していた体験があるから、インタビュー中の小さな動きから、相手の意図を読み取ろうとするのかもしれません。
ただ、プライベートではポンコツだから人の喜怒哀楽の機微がわからないんですよ。喜んでいるのはわかるんですけど、怒っているのが特にわからない。怒りというのは僕にとってすごく謎な感情で・・・。
インドではありがとうと言わない!?
伊藤 『モヤモヤの正体』を読んで、尹さんは常に世間のモヤモヤに対して怒っているのでは? と思いました。でも本人は怒りがわからないんですね。
尹 わからないですね。50年生きてきてようやく、「自分の怒りのスイッチがこのへんにあるらしい」ことがわかってきて、ときどき怒りスイッチを入れて怒ってみるのですが、慣れてないから怒り加減がわかりません。自分の感情のスイッチなのに体の外にある感じがするんですよね。
伊藤 世間ってなんなんでしょうね。大学の同僚で政治学が専門の中島岳志さんに聞いたのですが、インドではサンキューというような意味の言葉をあまり使わないらしいんですよ。ヒンディー語にも一応あるんだけど、それを使うと怒られる。
尹 ありがとうって言わないんですか。
伊藤 サンキューと言うということは、何かしてくれたその人にお礼を返したことになりますよね。でも宗教観を背景にしたインド的な「世間」だと、人に何かをしてもらったら、別の人に返すという考え方をするらしいんですよね。だから一対一で終わってしまってはまずい。もっと人類的な、大きいネットワークに自分は入っているという意識を持っていて、そのネットワークはどんどん拡張していったほうがいい。だからありがとうと言わないんだという。よくwin-win とか言ったりしますけど、インドの感覚は真逆で、そこで閉じずにどんどん散らしていく方向のベクトルが働く。そういう世界観のなかで人々が、どれくらいの高度から自分を捉えているか、ということが気になります。
人間の怒りはわかりづらい
尹 30年ぐらい前にインドへ行きました。そのとき目にした、いまだに忘れられない光景があります。電車が駅に停まって、大勢の人が同時に乗り降りしてわちゃわちゃしている最中に、目の見えない、「乞食」をしている人が入ってきました。まわりにいるみんなは、邪魔だからとその人を突き飛ばす。人権や福祉という視点から見たら、とんでもないことじゃないですか。でも突き飛ばしながら、その人が手にして喜捨を乞うている碗にお金を入れるんですよ。人権に基づいて尊重していないかもしれないけれど、彼が存在してることは突き飛ばしながらも認めているのかもしれないな、という不思議な印象を受けました。
伊藤 その「尊重してるんだかしてないんだかわからない」という感覚と、「怒る」ということは、対応している気がします。物理的な行為そのものと、物理的な行為から発生する意義みたいなものはまったく別なところにあって。そして、同じ行為でもそこから発生する意義には、場所によって文化差があるだろうなと思う。
尹 人間は思想を持ってしまうから、怒りがわかりづらくなってしまいますね。動物の怒りはわかりやすくて、自分の存在を脅かされたり、そのとき自分の所有しているものを奪われそうになると怒って威嚇する。威嚇しても通じなかったら逃げる。
でも、人間は期待を裏切られたとか、実際に存在しないものに対して怒ったりするじゃないですか。よくレストランで勘定する際、「ここは私が」とみんなで言い合いますよね。「2回か3回、みんなが『ここは私が』と言い合ってから、払う人を決める」という作法を裏切ると「なんだあいつ」となる。日本はそういう文化が結構ありますよね。だから「みんなが」という言い方が出てくるんでしょうけど。
伊藤 そうですよね。他者に対する期待値が高いですよね。「相手はこう振る舞うだろう」という前提のもとにみんな動いていて、そういう作法を共有していない人はつらいだろうなって思います。
「学生の品質保障」はおかしい
伊藤 最近読んだ社会心理学の本でおもしろかったのが、「安心」と「信頼」は、場合によっては対立する、という考え方があるみたいなんです。
「安心」は、相手を「コントロールできている」ことで成り立っています。大学の学生のなかに、GPSで居場所が親に伝わるようになっている子がいるんです。門限があるらしいんですけど、門限の前から電話がかかってくるんですよね。「そろそろ出ないと間に合わないよ」と。完全に親にコントロールされていて、お父さんお母さんからしたらそれが安心なわけでしょうね。まったく子どもを信頼してなくて、本人はどう思っているのかなって思っちゃうんですけど。
尹 その親御さんにとって、子どもは安心するための情報のようなものなんですかね。
伊藤 そういう「情報として扱う」ようなことって結構あって、例えば最近大学の先生が就職活動に向けて、「学生の品質保証」とか言うんですよ。おかしくないですか。
尹 すごいですね。
伊藤 私は人材っていう言い方すらおかしいと思っているんですけど。ついに品質保証とまで言い始めたかと。
尹 牛肉や豚肉の等級みたいですね。生きている人間を相手にしているのではないみたい。
伊藤 人を採用することって、本来はもっとすごいことだと思うんですよ。採用する側は本当にその人を信じて、「よくわかんないけど、たぶんこいつなら大丈夫だ」と、思い切った賭けをすることになるし、本人もそうやって期待をかけてくれているからこそ頑張るんだと思うんです。
信頼とか信じるというのはそういうことで、相手の振る舞いによっては自分がものすごい不利益を被るかもしれない、だけど「たぶん期待通りやってくれるだろう」ととりあえず信じてみることですよね。そこに不確定性が存在するかどうかで安心と信頼が分かれるという話を聞いて、なるほどと思ったんですよね。
尹 確かにそうですね。
伊藤 最近の社会は、安心・安全は強調されるけど、信頼については言われなくなっています。就職もそうですし、家事とか介護の場面でも、「なんかあったらどうするんだ」と言って、ユーザーマインドで言ってしまいがちですね。
でも、安心安全を突き詰めても結局リスクは減らないですよね。
尹 生まれたかぎり、死亡率100%ですからね。
伊藤 そうですよね。生きていること自体がリスクの塊だと思います。リスクを管理しようとすればするほど余計な労力がかかる。安心安全のために過剰な労力をはらわれていますけど、信じてくれていたらやらなくていいことじゃないですか。もっと大事なことに時間を使えるのに、無駄なコストがかかっていますよね。
編集部からのお知らせ
NHK「SWITCHインタビュー 達人達」に伊藤亜紗さんが登場されます。
SWITCHインタビュー 達人達(たち)
「柳家喬太郎×伊藤亜紗」
(NHKEテレ1・東京)
4月25日(土)
午後10:00〜午後10:50(50分)
古典落語では本格派、新作では鬼才と呼ばれ大人気の落語家・柳家喬太郎。対談するのは美学・現代アートが専門の気鋭の学者・伊藤亜紗。想像力豊かな2人のトークがはじける。(NHK番組公式サイトより)