第61回
映画『すばらしき世界』公開記念・西川美和監督インタビュー(2)
2021.02.11更新
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
本日2月11日(木)、映画『すばらしき世界』が全国で公開となります。
佐木隆三の長編小説『身分帳』を原案とした本作、4年ほど前に企画が立ち上がった当初、ひょんなご縁からミシマ社も取材などに協力させていただきました。
『身分帳』は企画当初の時点で発刊から26年が経ち絶版(昨年7月に講談社文庫で復刊)となっており、著者の佐木隆三さんもすでに亡くなられていました。ほとんど人の目に触れる機会がなくなっていたこの作品が、西川監督の膨大で綿密な取材を経て、現代の時代設定に変えて脚本が書かれ、役者の方たちによって演じられることで、新たな命を得ていく過程は、本をつくる仕事に携わる者として、心震えるものでした。
公開にあたり、西川監督にうかがった『すばらしき世界』制作秘話を、2日間にわたり掲載します。とにかくぜひぜひぜひ、劇場に足を運んで観ていただきたいです。(昨日の記事はこちら)
(聞き手・構成:星野友里)
自分が社会で見ずに過ごしていること
―― 原作は1990年に発表されたもので、現時点でそれから30年が経っています。西川さんも当初、映画を当時の設定にするか、現在の設定にするか迷われていましたが、時代を移したことについて、苦労されたことはありましたか?
西川 やっぱり、いちいち細かいところが変わってますからね。旭川駅も刑務所もピカピカになっているし、交通手段一つ取っても、小説では夜行列車で戻ってきますけど、もう廃線になってるし。じゃあ新幹線なのか、夜行バスなのか、飛行機なのか。そういうのを全部彼らの平均的な所持金や、行動ルートを調べながら、現代に置き換えていくところから始まったんですけど。
―― そうですよね。
西川 たとえば原作では、主人公のアパートの階下の住人が、新聞の勧誘をする苦学生のような人たちで、共同生活をしていて夜中に酒盛りをして騒いでいるという設定でした。でも、その設定って今、あまり身近じゃないかな、じゃあなんだったら置き換えれるかというところから色々と考えて。
私もそれまで技能実習生というのが制度としてあって、東南アジアなどからの留学生たちが、日本で肉体労働も含めてやっているということは情報としては知っていたけど、ことさら関心を寄せてきたわけではなかったんです。でもたしかに今、街でも外国人の方たちが、昔の苦学生がやっていた仕事を担っているよな、というところから、実際に留学生の方たちに話を聞きに行ってみたり。そうして話を聞けば、自分が社会で見ずに過ごしていることとか、見えないところで生きている人たちというのが見えてきて、そういうことから、小さな設定ですけど、階下の住人を新聞配達員から技能実習生という設定に変えたりもしましたね。
主人公の冒険が映し出す、30年前と今
西川 時代とともに解消された問題もたくさんあると思います。刑務所のなかでルールを犯したときの処置の仕方も、だいぶ服役者の人権に意識的になっていたり、更正のためのプログラムも法整備の改正で変わったり。
ただ、いろいろなシステムが変わってきてはいるけど、実際に出てきた人たちが感じている孤立感とかなじめなさという心の部分って、あんまり変わっていないんじゃないかなと。むしろ声をかけてくれる人もめったにいない社会になっているかもしれないし、SNSを多用する世代では本人の望まない情報も飛び交って行く手を阻まれることも多いそうです。やり直しが難しいという根幹が変わっていないので、要素要素は変えましたけど、本質は原作のまま忠実に書いていったかなと思います。
―― たしかに原作も映画も、時代を批判することに主眼が置かれた作品ではないのに、山川さんとか三上さん(映画での主人公の名前)を追うことで結局、30年前や今という時代が色濃く滲んでいますよね。
西川 そうですよね。佐木さんは社会派と言われるタイプだとは思いますし、社会を確実に映し出しているけど、書かれているのはやっぱり人間のおもしろさであったり複雑さであったりだと思いますし、私もそこにこの作品の魅力を感じたんだと思います。
逆に言うと映画は、三上の個性を軸に語られていくんだけど、見えてくるのは、三上の冒険を通して、それを取り囲んでいる私たちのほうなのかもしれないな、ということで、タイトルも『身分帳』から『すばらしき世界』という、非常に両義性のあるタイトルに変えていきました。
ただ、社会とか時代の批判だけでなく、なんかこう、人ががむしゃらに生きていく姿のまぶしさとか、人が温かい言葉をちょっとでもかけてくれたときの嬉しさみたいなものを、映画を観た方が受け取ってくれるのが、本当は一番嬉しいですけどね。
―― いやあもう、試写を観て泣きすぎて、どうしようかと思いました。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
大きな存在と一緒に仕事するということ
―― 撮影の終盤の頃に、これまでの作品の中でもっとも緊張し、そしてもっとも感動的な現場だったというメールをいただいていましたが、どんなところにそれを感じられましたか?
西川 やっぱり私にとっては、役所さんを主役に迎えて、笠松則通さん(撮影監督)を撮影の柱にお招きしたということは人生の一大事で、もう二大巨頭に来ていただいて、萎縮するばかりの毎日ですよね(笑)。お二人が出してくるものは確実に間違いないものばかりだし、それでそのまま何も言わなくても、正解が積み重なっていくんですけれども。
もっと自分がキャリアを積んで余裕があれば、その大船に乗った気持ちでゆったりしていられたのかもしれませんけど、だけど、なんかちょっとでも違和感があれば、相手は役所さんだけど、何でもちゃんと相談してみたほうが関係性ってできていくんだろうなと思って、あえて自分を鼓舞しながら、普通の俳優以上に、細かい注文をつけていった部分もありますし、笠松さんに対してもそうですね。
大きな存在と一緒に仕事するというのは、とっても気持ちが疲れるし、その人たちが提供してくれるものをきちんとジャッジするというのは・・・毎日くたびれ果てていました(笑)。
―― 伝わってきました(笑)。
西川 でもお二人ともお人柄もすばらしくて、自分がきちんと時間をかけて積んできたこの作品を本当に根っこから信頼してくださって、一日一日撮影を積み重ねることで、なにか言葉にはできない強固な信頼関係が撮影チーム全体でつくられていって。やっぱり一朝一夕ではできない・・・なんていうんでしょうね・・・結束感がありましたね。映画をつくっているんだ、という。自分たちは間違っていないぞ、と。
生にしがみついていくことの、美しさ
西川 『すばらしき世界』というタイトルが決まったのも撮影途中なんですけど、それまでさんざんもめてまして。別のタイトル案があったんですけど、誰も呼んでくれないんですよ、そのタイトルを。誰一人として。無意識なんでしょうけれど、慕われてないタイトルなんだろうなというのがビシビシ伝わってきまして。撮影に入る前にお祓いするんですけど、神主さんまで間違えてタイトル呼んじゃって、こりゃダメだ、神様にさえ嫌われてるわと思って(苦笑)。こんなに人に呼んでもらえないタイトルは、だめなタイトルなんだろうと思ったんですね。
それでその前に出ていた『すばらしき世界』というタイトルをもう一回つけ直そうかなと思いかけているのと、撮影チームにだんだん一体感が出てくるのとが相まって、自分たちがこうやって形になっていないものを一つ一つまじめに積み重ねているこの日々自体が、なんかタイトルとかぶるな、という気持ちもありましたし。
―― そうやって決まっていったんですね。
西川 それと、役所さんが映っている途中の撮影素材を見るにつれ、『すばらしき世界』というタイトルのそのままの意味が、映っているなと。生きることの尊さじゃないですけど、生活することとか、生にしがみついていくことの美しさが、フィルムに映っているなというふうに思ったんですよね。だから「よし、このタイトルでいけるでしょう」と、途中でこのタイトルを、自信を持ってつけましたけどね。
―― 撮影が始まってから、やりとりしていた西川さんのメールの雰囲気が明るくなったのを感じました。
西川 それはやっぱりまわりの人がつくってくれたんだと思います。私一人だと、信じてあげなきゃいけないものも信じ切れないところを、俳優とかスタッフが「いい作品になると思いますよ」といって力を貸してくれながら、だんだん自信をつけていったんじゃないですかね。それが映画づくりのいいところなんですよ。
祝・『身分帳』復刊!!
―― 最後にあらためて、今回、ある意味原作を背負って映画を撮って、映画、あるいは映画づくりというものについてあらためて感じられたことはありますか?
西川 しょせん映画は2時間ですからね、語れる範囲は狭いですけども、でも本来こういうテーマに興味を持たなさそうな人にも、とっつきやすくはなっていると思うんですね。
―― 本当にそうですね。
西川 だから本当に当初の目的だった、映画をきっかけに、『身分帳』というコクのある物語、原作を、また人が手にとってくれて、山川一(はじめ)が体験した戦後史も含めて、若い人も読んで堪能してくれることになると、佐木さんに報いれるかなと思いますけど。
―― そうですよね、復刊しましたもんね!
西川 いやあ、本当にうれしい~。映画監督やっててよかったって、ほんと珍しく思いましたよ(笑)
―― みなさんに、映画も原作も両方、観て読んでほしいです。今日は本当にありがとうございました。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
映画「すばらしき世界」
2021年2月11日(木・祝)全国公開
キャスト: 役所広司 仲野太賀 橋爪功 梶芽衣子 六角精児 北村有起哉 長澤まさみ
脚本・監督:西川美和
原案:佐木隆三著「身分帳」(講談社文庫刊)
配給:ワーナー・ブラザース映画