第63回
「あいだ」のつくり方、ひらき方(1) 光嶋裕介×藤原辰史
2021.02.27更新
2021年1月に刊行した、建築家・光嶋裕介さんによる著書『つくるをひらく』。後藤正文さん、内田樹さん、いとうせいこうさん、束芋さん、鈴木理策さん、5名の表現者とともに「つくるとはどういうことか?」を考え続けた、著者の思考の軌跡が詰まった一冊です。
刊行を記念して行ったトークイベント第一弾。光嶋さんは対談の際、必ず「対談メモ」をつくって臨まれるのですが、今回のイベントでもびっしり書きこまれた対談メモが準備されていました。お相手の藤原辰史さんは、この日までに入念に本を読み込んでくださっており、対談は、本に収録された各対談の名場面を語るところから、始まりました。
(構成:野崎敬乃)
『つくるをひらく』大解剖!
(光嶋さんによる、この日の対話メモ)
嫉妬の対象が詰まっている......
光嶋 まずはこの本への、率直な感想からうかがえますか?
藤原 私は小学1年生のときの文集に、将来の夢は「せっけいし」と書いていたぐらい、家を作ることが夢だったんです。だから光嶋裕介さんという方は、いまだに私にとってジェラシーの対象なんですね。
光嶋 ははは、そうなんですか、それはなんだか意外ですね。
藤原 さらに楽器が全く弾けないので、やっぱり音楽家のゴッチさんも嫉妬の対象です。そして武道も内田さんのようには絶対にできないですし...。これは自分にできないことを持っている人たちの話なんだなと思って、羨ましさ半分、知らない世界を覗いてみようというワクワク感半分でこの本を拝読しました。
光嶋さんって話を聞くのが上手ですよね。すごく話を引き出している。だいたい聞き手って、相手をちょっとからかったり、間をあけて「ほら、来いよ」みたいな感じで斜めから聞いたほうがうまくいくんです。でも光嶋さんは相撲に例えると「押し出し」で、徹底して押し出して押し出して...よくぞみなさんにここまで聞いているなと思いました。
オススメは、横に読む
藤原 後藤正文さんは文字を書くことと音楽を作ることの違いをしっかり理解されていて、文字は「遅い」と言っていますね。音楽というのは、曖昧なものを曖昧なまま掴んでいくもので、さらにその先に頭が真っ白になって自動書記状態になるとすごく気持ちいい状態になるというお話は、なるほどなと思いました。
対談の最後に「ポエジー貯金」という言葉が出てくるんですが、ポエジーをしっかり貯金しないといけない、歩いたり、運動したり、旅行したりしないと、ポエジー貯金が貯まらないということを後藤さんが言うんです。そういうざっくばらんな話を光嶋さんがちゃんと引き出しているのがやっぱりおもしろくて。
光嶋 音楽という時間芸術に対峙している後藤さんは、同時に歌詞を書きますからね、言葉という言語にもアクセスしながら、音楽と言葉の領域を行き来している。そのなかで「ポエジー」という計量化や数値化できないものを大切にして、誠実にものをつくっているという姿に僕も打ちのめされました。
藤原 内田樹さんとの対談で一番おもしろかったのは、キャラ化の話ですね。「どういうキャラですか?」「こういうキャラです」「キャラがかぶるし」というように、この5、6年、あるいは10年ぐらいで言われるようになった「キャラ」の話で集団の同質化圧や均質化圧について話されているんですが、この「キャラがかぶる」とか「キャラ立ち」というところから、世の中のすごく気持ち悪い部分を内田さんが探っていて、そこに「自分は優等生キャラだったなあ」という光嶋さんの言葉に、僕も大いにうなずきながら読みました。
光嶋 本全体では、それぞれの対談相手とともに耳だったり目だったり手だったり「個としての身体感覚」から、「つくる」を考えているのですが、内田先生のパートでは「個」から「集団」という視点が入っています。「つくるをひらく」ということは、ひとりでつくってっているのではない、ということに気づかされるんですよね。自分だけでつくっていたら、思い通りになって自分だけで完結するんだけども、誰のためにつくっているのかとか、何を材料につくっているのかということに思いを馳せると、常に「他者」がいるんだということに気づく。そして、個としてどう振る舞うかということの先には、集団としてどう社会を形成することで、世界をよりよく生きやすくできるかに、関わってきます。
藤原 いとうせいこうさんは......深いですね。光嶋さんがいとうさんとの対談を「千本ノック」と書かれていましたけど、これだけ言われたら私はもう耐えられないです。これだけのことを言われて、それをどういうふうに自分なりに受け止めるかというのは、想像しただけで本当にすごくハードルが高くて。
そこで思ったんですけど、この本の楽しみ方はですね、横に読むんです。5人それぞれに考えがおありなんですが、通して読むといろんな概念がつながって、串刺しになっているテーマがあるのが結構おもしろいと思いました。その串刺しの一つが光嶋さんのドローイングでもあります。
「光嶋さんって本当に完璧ですよね」
藤原 そして束芋さんですが、これは私が一番打ちのめされました。僕は光嶋さんと似ているところがありまして、さきほど話したように、基本姿勢が優等生なんです。
光嶋 ツッパみても授業はサボれないし、なんだかんだで宿題もちゃんとやるみたいな。
藤原 ですよね。いまの大学では不良教員だと自認してますけど、やっぱり会議に出ちゃうんです。15時と言われたら15時にちゃんと出席してしまう。そんななか束芋さんは明らかに違う次元から語ってきていて、光嶋さんをめちゃめちゃにしてしまうあのひとことを...。「光嶋さんって本当に完璧ですよね」と。
光嶋 そうそうそう。あの一言は、ズドンときましたね。
藤原 こんなこと言われたら、普通立ち直れないですよ。いかがでした? この言葉を聞いたときは。
光嶋 もう、どひゃーーーーですよ。なにか丁寧に構築していたレンガをバーンと崩されたみたいな。束芋さんとの対談は本当に一番予想外でしたね。やっぱり最もドローイングに近い人なので、単純に絵がうまいね、下手だねという次元で語らないものさしの柔軟さというか、そういうものに感動したんです。そんななかで「光嶋さんって完璧だし」と(笑)。
建築家って、決められた納期や予算などの制約のなかでギリギリを決めて、提示して、実現してというように、あらゆることが数値で決められている計画性のなかにいるんですが、自分としては予測不能なことや、数量化できないものに対する感性を残しておきたいというところが強くあるんです。計画と無計画のあいだ。その部分が5人との対談で刺激された結果、コロナ禍の状況もあいまってやっぱり「身体で空間を思考する」ことはどういうことなのか、それを考え続けながら『つくるをひらく』ができあがっていきました。
偶然性をどう飼い慣らすか
藤原 今日の話やこの本全体の課題というのは、つくるということが本当に私たちひとりの主体だけでできることなのか、あるいは何か共同性が必要なのか、さらには生きている人たちだけでいいのか、人間だけでいいのかということにつながってくると思っています。
光嶋 それはまさに最後の対談相手である理策さんが言っている、「私たちはみたいものを見ている」という話にも関係しますね。人間には意思があるから、見たいものを見てしまうのだけど、カメラには意思がないので、写真には意図しなかったあらゆるものが偶然に写ってしまう。
理策さんが「ダメな写真はない」と言った時に、ああそうかと思ったんです。自分のセンスや美意識で見たい世界だけを見て、それが外の世界のすべてだと勝手に思い込むことはすごく危険で、余白を残しておくことこそが、つくるをひらくことなんだと。それは創作することへの愛情だというふうにも思ったんです。
今こうして対話していることも、藤原さんと言葉を一緒につくりあげている行為ですよね。その逆が、考えない、何もしないということ。移動が難しくなり、自由に動けなくなったコロナ禍で一番感じたのは、自分でしっかり考えて、責任ある行動をとらないことには、何もできないんじゃないかなってことでした。徹底的に考える。頭だけじゃなくて、身体感覚を総動員して、考えること。そうすると今はつくることのエネルギーとしては小さくなっているかもしれないけれど、それを補う客観的な視点だとか、他者との接続によって、もれでるものにこそ「つくる」ことの豊かさがあるんだ、というように違った価値感にも気づくようになったんですね。
(後半はこちら)
※本記事は、2021年2月12日に開催した、オンライン配信イベントMSLive!光嶋裕介×藤原辰史対談「あいだ」のつくり方、ひらき方の内容を抜粋したものです。3月12日(金)までの期間、イベントの全内容をご覧いただけるアーカイブ動画も販売しておりますので、ご興味ある方はぜひ動画版もお楽しみください。詳細はこちら
刊行記念イベント第2弾開催決定!
3/5(金)19時〜 光嶋裕介×斎藤幸平対談 「コモン」のつくり方、ひらき方
第2弾のゲストは、マルクス思想を専門とし、『人新世の「資本論」』が話題を集める、斎藤幸平さんです。建築という業界の最前線で戦いつづける一方、ドローイング、文章など、さまざまな表現の場で「つくる」をつづける光嶋さん。それは同時に表現や業界を「ひらく」ことへの挑戦でもあります。一方の斎藤さんは、人新世、資本主義、気候変動といった大きな問題に対峙し、マルクスの「コモン」という概念を切り口に、新たなコミュニズムのかたちを提示しています。
わたしたちひとりひとりにとっての「コモン」って? それは、光嶋さんが目指す、閉ざされた業界・組織をもっとパブリックなものにしていく、ということにもつながるのかも? これからの時代に欠かすことのできない「コモン」のつくり方、ひらき方に迫ります!
関連イベントのお知らせ
3/1(月)19時〜 藤原辰史×伊藤亜紗対談 「ふれる、もれる」社会をどうつくる?
昨年11月にリニューアルし、以降半年に1回の刊行ペースとなった雑誌『ちゃぶ台』。「ちゃぶ台編集室」は、2021年5月刊行予定の『ちゃぶ台7』を、参加してくださる皆さまと一緒に練り上げるべく、2~4月に3回にわたり開催するイベントです。第2回となる今回は、藤原辰史さんと伊藤亜紗さんという、ポストコロナを考える際、必聴のお2人による対談を開催します。
近著『縁食論』において、藤原さんは「『もれ』の効用」について書かれています。一方、伊藤さんは近著『手の倫理』のなかで、「ふれる」ことについて考察を深められています。「もれる」と「ふれる」。これからを生きるヒントはそこにある!? お二人の思考の先端に触れる対話を、どうぞお楽しみに!!
光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)
1979年、アメリカ・ニュージャージー州生まれ。建築家。一級建築士。早稲田大学理工学部建築学科卒業。2004年同大学院卒業。ドイツの建築設計事務所で働いたのち2008年に帰国、独立。神戸大学客員准教授、早稲田大学や大阪市立大学などで非常勤講師。建築作品に内田樹氏の自宅兼道場《凱風館》、《旅人庵》、《森の生活》、《桃沢野外活動センター》など多数。著書に『幻想都市風景』(羽鳥書店)、『建築武者修行――放課後のベルリン』(イースト・プレス)、『これからの建築――スケッチしながら考えた』(ミシマ社)、『増補 みんなの家。――建築家一年生の初仕事と今になって思うこと』(ちくま文庫)など。
藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『縁食論』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。