第71回
学生さんに聞きました。京都にふれる、さわる座談会
2021.06.22更新
2021年6月21日に雑誌「TRANSIT」52号「小さな京都の物語を旅して」が発刊されました。京都にゆかりある人たちの暮らしや仕事をめぐりながら、観光地の姿だけではない京都を掘り下げています。実はこの雑誌の中で、ミシマ社代表の三島が6名の街の先輩や友人を訪ねてお話をうがかったインタビュー記事「京都にふれる、さわる」が9ページにわたって掲載されているんです。その番外編として、京都に暮らす、京都に馴染みの深い、学生さん5名と三島による座談会を行いました。
コロナの時期、学生の目線からの京都とは・・・? えっ! こんな楽しみかたがあるの・・・? 学生たちのリアルな声をおたのしみください。
参加した学生メンバー
大成 京都デッチ。広島出身。大学入学を機に京都へ。現在京都在住2年目。
山本 京都デッチ。三重出身。大学入学を機に京都へ。現在京都在住2年目。
田村 自由が丘デッチ。東京在住。京都へは、旅行で何度も訪れている。
鵜飼 京都デッチ。滋賀出身。小学5年生から京都在住。京都の大学に通っている。
森谷 京都デッチ。生まれも育ちも京都。京都の大学に通っている。
京都のここが好き。ここが嫌い!?
三島 森谷さんは、生まれてからずっと京都に住んでいますが、京都はどうですか?
森谷 めっちゃ好きです。人口規模の割に、インフラが整備されているのが好きですね。それと、街中のすぐ横に鴨川が流れているのが好きです。
三島 インフラが整っている、っていうのは、どんなときにそう感じますか?
森谷 バスとか電車、公共交通機関が多いので、乗りやすいですね。
三島 なるほど。ほかのみんなは、どうですか? 京都のこのあたりがちょっと嫌いやねんっていうこととか、どうかなって思っていることもぜひ。
田村 交通機関の話で言うと、京都はタクシーと自転車の覇権争いがすごくないですか? 僕は中学校のときの修学旅行が京都で、タクシーに乗って街中をいろいろ乗せてもらったことがあるんです。そのタクシーの運転手の方が、なんだか怖い方で、走行も荒くて、大丈夫かなあと思っていたんですけど・・・一番記憶に残っているのは、その方に京都で一番うまいラーメン屋さんに連れて行ってくださいって言ったら、太秦にある「東映太秦映画村」の売店の500円くらいのラーメン屋さんに連れていかれて。運転も荒いし、ラーメンも普通だし、なんだかなあっていう思い出でしたね。
三島 これはすごくいい話ですね〜。京都を物語ってる。
山本 覇権争いはわかります。私は毎日通学で北白川通りを通っているんですけど、お昼頃に通ると、車と人と自転車とバイクが誰も譲らずに走っているんです。それがすっごく危なくて、なんで事故が起きないんだろうっていうくらい押し合いへし合いで、これが京都なのか、と最初の頃は思いました。路駐も多いですし、運転を見ていても、気が強めなのかなと感じますね。
三島 それは僕も思うところです。「インフラが整っている」という意見は新鮮でした。京都はどちらかというと、そこが遅れている場所だと感じていたので。特にバスなんかは使いにくいですよね。生活者と観光者の目線って違いますけど、京都は観光をやたら誘致しながら、観光客にも生活者にも公共交通機関が寄り添っていないというのが特徴で、たとえば京都駅で205番のバスに乗っても、乗り口によっては西と東に行くものがある。そんなの、わかるわけないやろって感じです。絶対にわかりようがないアンフレンドリーが京都にはあって、これまで海外、国内、さまざまな場所を訪れましたが、そんなふうに感じたことはほとんどありません。
TRANSITの誌面に掲載されたインタビューの中で、千宗屋さんが「田舎の勉強、都の昼寝」という例を出していて、街に行けば昼寝をしていても勉強になるんだっていう話から、京都はそれにあぐらをかいた街になってしまったと批判をされていますが、それがいま随所にある気がするなと思います。
京都は横断歩道に歩行者がいても止まらない車が多いですよね。でも、車よりも歩行者が優先っていうのは世界中当たり前です。イタリアなんて、空港の税関ついた瞬間に目に入る全部の時計の時間が違う。5:10、5:00、5:30...どれ? ってなったことがあって、入国時間がゲートによって違う。そんな国でさえ、歩行者が端っこに来た瞬間、100キロ近い(と感じるスピード)で飛ばしていてもピッと止まりますよね。そういうのを目の当たりにすると、ヨーロッパがすべて正しいわけじゃないとはいえ、人権とか、ジェンダーの視点とか、ありとあらゆる弱者への目線というものが、そもそも入り口が違う感じがする。その一番ひどい例が京都の交通なんじゃないかって思ってました。でも、実際に住んでいる市民が交通のことをいいと思っているというのは新鮮でよかったですね。聞かないとわからないことがいろいろあるなと思いました。
コロナの時期、京都でなにしてた?
三島 コロナの状況になって、みなさん大学に行ったり行かなかったりと、いろいろだと思うんですが、この一年間の京都の生活ってどんな感じですか?
山本 私はコロナ期間にずっと散歩をしていました。京都の街並みって、火事になったら全部に燃えうつりそうなぐらいの距離感で家や建物がぎゅっとつまっているイメージがあったんですけど、歩いてみると意外と裏路地とか、狭い道があって、住んでいないと見えない部分がけっこう見えたので、意外といい一年でした。
三島 なるほど、京都を歩くと本当におもしろいですよね。
鵜飼 私も散歩はよくします。一日中授業がオンラインになると家にずっとこもることが多いので、外に出る機会があれば、とりあえず散歩しようかな、ということはけっこうありました。
三島 授業はほとんどオンラインですか?
鵜飼 私のところは全部オンラインです。
三島 それはちょっとしんどいね。友だちと会うこともほとんどなくて、大学に所属しているっていう感覚がなくなってきますよね。そういう生活の中で、京都でよかったなって思ったことってありますか?
鵜飼 コロナの時期に京都でよかったなって思ったのは、観光客の人があまりいなくなっって、それはそれで観光業の人とかには影響があると思うんですけど、私としてはお寺とか神社とかに行くと、いつもだったら観光客の人たちが祈るというよりかはただ楽しく写真を撮っていて、本来の神聖な空気がなくなっている感じがあったけど、コロナの期間に一回お寺に行ってみたときに、静寂な空気を感じて。これはコロナでよかったところかなと思いました。
三島 聖地巡礼ですね。
大成 僕は、コロナ以前の一回生のときは遊ぶとなったら河原町に行って、服を見たりラウンドワンに行って遊んだりっていう感じだったんです。それがコロナのせいでなのか、おかげでなのか、趣味が広がったこともあって、出町座とか京都シネマとかそういう映画館に行ったり、美術館にも行くようになって、市バスの1日乗車券を買って一人でぐるぐる回るのが、楽しくて。
三島 それめちゃめちゃええやん。僕もやりたい。羨ましい。
大成 映画と映画のあいだに喫茶店に入ったりとか、そういう意味では、遊びの質が上がったかな、という感じですね。それはよかったことですね。
三島 それ最高ですね。ローマやパリ、京都って、昔の都で、観光客が来るだけのことはあり、見所満載。1週間あってもまわりきれないですよね。京都もいっぱいあるのに、市民はあまり観光しません。今はそういうのを楽しむにはいいですよね。観光客がいないときに、寺、神社、そして美術館めぐり。
森谷 「京都の人観光地に行かない問題」は私もめっちゃ感じていて、自分自身あんまり観光地に行ったことがないなって思って、それこそ去年はけっこう行きましたし、なんなら京都旅行をしました。宿をとって泊まって帰りました。
三島 各地の人たち、みんなそうしたらいいよね。どの場所にも住んでいる人さえ知らないところがあるはずだから、近隣で小さい経済をどんどん回すという、グローバルな流れから抜け出る、ということをしていかないとですね。
歴史は京都だけにあらず
田村 京都に旅をすると、歴史が自分の中に流れてくる感覚がして、京都はやっぱり歴史がそこでの過ごし方に影響を与えることが大きいんじゃないかなって思うんです。東京にも歴史的なものは山ほどあるんですけど、それはそれぞれが散発していますよね。京都は街全体が歴史というか、建物や場所の一つ一つはもちろん歴史的なんだけど、無理して有名なところを回らなくても、たとえば広場とかで寝っ転がっているだけでも、どこかに行かなきゃっていう罪悪感にさいなまれず、京都に来ただけで歴史に包まれているという感じがあります。
三島 京都に限らず、その土地の文化ってどうやってできるのかなあっていつも思います。実をいうと、どこにだって歴史があるはずなんですよね。有史っていう言い方も変な話で、それまで歴史がなかったのかというとそうではない。僕たちはかなり無意識のうちに国家に押し付けられて読んできたものを歴史だと思っている。教科書や本に載っていないことのほうが日本や世界をつくってきていて、そっちを歴史と捉えると、各土地に行ったときに自分に流れ込んできて、それが自分の中の芯になったりすることって、ありますよね。
何もしないも楽しみの一つ
大成 僕は小さい頃から歴史が好きで、京都に来たらお寺とかに行くのかなと思ってたんですが、意外と全然行ってないんです。これからはもっと感じたいと思ったし、座談会をしてみて、京都で何もしないということも楽しみの一つなんだなと感じました。
山本 京都に対する先入観ってそれぞれあると思うんですが、私の京都に対する先入観をつくったきっかけは、森見登美彦さんなんです。高校のときに森見さんの作品を読むまでは、京都って滋賀とか大阪とかと変わらない場所だったんですけど、作品を読んで、目に見えない何かとか、霊的なもの、言い伝えとか伝承から生まれた妖怪とかも文化の一員だと思うんですけど、そういう見えないものがきっといるんだ、ということをずっと思いながら過ごしていたなとあらためて気づきました。自分のフィルター越しの京都も好きなんですけど、座談会の話を聞きながら、もっと突き詰めたり、意識を変えたりするだけで見えかたも変わる気がするな、と思って、それは京都の面白いところだなと思いました。
田村 最近、「つながってないな」という感覚について考えていたんです。歴史の話がでましたけど、自分たちが知っている歴史って、教科書で知った歴史でしかないんですよね。たとえば、伝統工芸の言語化できない技術や知識のように生活のなかで培われて来たものを自分はまったく引き継いでいない。それが寂しいというか、そういう感覚にとらわれることがあって、これまでの昔の日本や歴史とつながるためには、今僕らにできるのは想像力しかないのかなって思います。それが一番はたらくところってどこかなと思った時に、僕は去年原付で東京から徳島まで旅をして、京都ももちろん通ったんですけど、一番昔の人の生活を自分が想像できたのが京都だったので、いろんなことを想像できる土地というのは京都しかないのかなということを、今日の話も聞きながら感じていました。
鵜飼 私も歴史のことをもうちょっと考えていきたいなと思いましたね。教科書で習ったのは勝者の歴史ですが、自分がこうやって生きているのも、勝者も敗者も含めていろんな人の想いや、やってきたことが積み重なった上にいるんだと思います。自分が今まで住んできた土地の歴史とか、自分がどういうところに住んでいて、そこに住んできた人たちのどういう想いを受けて今いるのかっていうことについて、座談会をしてみて、より興味がが強まった感じがします。
森谷 私はずっと京都に住んでいて、京都のことしか知らなくて、他の県と比べられないというところがあって、初めの交通機関が住んでいる人には優しくないっていう話は意外だったんですけど、たしかに観光地であることに安住しているっていうのはめっちゃあって、だからこそ今の時期に変化していかなあかんというか、変化せざるをえないから、なんかできるのは自分たちだなって考えたときに、もっと自分自身が京都のことを知らなければならないんだなと思いました。
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ぜひ「TRANSIT」を手に、知らなかった京都の姿をたのしんでみてください!