第73回
光嶋裕介×藤原徹平「自分でつくる」を取り戻す 〜〜映画「サンドラの小さな家」公開記念トークショー〜〜
2021.07.06更新
4月2日、『サンドラの小さな家』(原題「herself」)という、アイルランドの映画が日本で公開されました。家庭内暴力、貧困と住宅の問題といった厳しい状況に直面した主人公の女性・サンドラが、2人の幼い娘とともに周囲の人々の力を借りながら、自分自身で家を建てる姿が描かれています。
この映画の公開を記念して、『つくるをひらく』著者の光嶋裕介さんと建築設計事務所フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰の藤原徹平さんの、2人の建築家による対談が開催されました。
おふたりはこの映画にそれぞれこんなコメントを寄せています。
命の中心にある営みから離れてしまった現代人にとって、サンドラの「家をつくる」という原始の体験を見ることは、私たちの中に眠る大切な感覚を想起する。自己に閉じるのではなく、外部に「ひらく」ことで、見えてくる美しい風景がこの映画の中には詰まっている。〈光嶋裕介〉
サンドラがセルフビルドで小さな家をつくる。でも本当は、彼女がつくっているのは、家ではなくて、生きようとする世界そのものだ。世界をセルフビルドする。その切実さと悦びがヒリヒリと伝わってくる。〈藤原徹平〉
家を「つくる」という行為そのものの素晴らしさが描かれているこの作品に胸を打たれたおふたり。本来家も自分でつくれるはずの人間が、日常から「つくる」を手放していることを指摘し、同時に失った自由と実感の再獲得に向けた、「つくるをひらく」対談となりました。
建築家が考えるものづくりという体験
ーー 映画を観てどう思われましたか?
藤原 外国の映画を日本で観るとき、おもしろいのが原題と日本語訳のタイトルの両方があることです。この映画もラストシーンの後に『herself』という文字が出てきて、「あっ、これは『herself』という映画だったのか」と、もう一度深く感じ入りました。
建築というのは、どこか自分探しのようなところがあるんですよね。住宅であっても、本社ビルであっても公共建築をつくるのであっても、クライアントのアイデンティティを一緒に探していくようなところがあります。建築物がなくなっても、アイデンティティを探っていった思考の軌跡は残ります。『サンドラの小さな家』はその残るものがテーマなのかなと思うと、建築をつくることを越えた普遍的な物語だなと思います。
光嶋 サンドラのふたりの娘たちにとっては、お母さんが頑張っている背中を見ながらなにかを一緒につくり上げる体験という「形のない思い出」は、物質として完成した家よりも重要なんだということが、この映画のメッセージのように感じました。
僕は自分が建築するとき、クライアントの方にもなるべくその建設に関わってもらいたいと常々思って、実際に壁を塗ってもらうなどして、参加してもらうようにしています。家に愛着をもつ糸口になるということもあるんだけど、それ以上に「なにかが立ち上がる瞬間」というものを、たしかな実感を持って理解してもらう機会になります。そのことは、特に子どもにとっては大きな経験になるのではないかなと思うのです。子どもたちのものづくりって、例えば積み木を積み立てて「こんなお城をつくったよ、見て見て」と言ったと思ったら、あっさり壊しちゃう。絵を描いてもすぐくしゃくしゃにするでしょ。大人は「めっちゃいいからこれ額装しようぜ」とか思っちゃうのに。つい結果だったり、成果だったりにこだわっていてはだめだな、と映画を見ながら思いました。
家をひらく
ーー 建築家としての視点から観て、印象的なシーンはどこでしたか。
光嶋 夫と娘の親権を争う裁判のシーンです。サンドラが裁判のなかで感情的に不安定になったときに、その母親的存在の女性が、サンドラが目元のアザを隠していた化粧を拭うんですよね。そのシーンを観たときに、「そうなんだよな」と思いました。なにかをつくるということは、自分をさらけ出しながら他者との交流を通して「自分の意図していなかったものが生成されること」が重要になってきます。それは映画づくりも同じですよね。「herself」という原題は、「取り繕う」のではなく「ありのまま」でいることの難しさと大切さが同居したメッセージなのでないかと思います。
劇中でサンドラは、もともとはインターネットで見つけたシンプルな設計図に沿って建てているんですけど、建った家はちょっと玄関が飛び出しているつくりになっているんですよ。それが「ここが私たちの家の玄関ですよ」と声を出して主張しているように思えて、「ここに一つアイデンティティがあるんだなあ」と感じました。シンプルで複製可能と思われる家を建てていても、そういうちょっとしたところに個性がにじみ出る。そしてそうやってできた家こそが、「個性があってもいいんだ」とサンドラに言い聞かせる鏡でもあるように思えてきたんです。
ーー お二人がこれまで見てきたなかで、アイデンティティを発揮しているなと思う建築はありますか?
光嶋 国道246号線から国立競技場に向かう途中のキラー通りにある、「塔の家」という、建築家の東孝光さんの自邸です。キラー通りという道路は、246号から国立競技場までの区画を最短距離で繋げようと半ば強引に斜め45度で切り裂いてつくられているので、道路沿いの土地は三角形になるんです。前の東京オリンピックのための、かなり暴力的な都市計画でつくられました。三角形の土地は、設計しづらいぶん不動産価値が下がって、安くなるんですよ。それで東さんは小さくて安い三角形の土地で塔状の家をつくったんです。そういう背景がある「塔の家」は狭いスペースを有効活用するために、個室がないんです。トイレも扉がないぐらい。
藤原 そうですね。ただプライバシーは守られるように、うまく設計されています。
光嶋 「塔の家」を見たのは学生時代だからもう30年以上経っているんだけど、まわりの建物がどんどん大きくなるなか、バージニア・バートンの名作絵本『ちいさいおうち』みたいにそのまま残り続けている。使いづらいという視点からだと批判的な目で見られてしまうけれど、「使いづらいから」という因果関係に収まらない、建築の「強度」を感じます。
藤原 僕が一番インパクトを受けたのは、川崎にある「民家園」です。全国各地の民家が集まっていて、それがものすごくかっこいい。300年とか400年使っている民家が並んでいて、「家って時代を越えるんだな」というのよく理解できます。
それまで、身の回りにある家は一軒一軒全然デザインが違うから「家はいろんなものがあるものだ」と思っていたんですけど、民家を知ると家がいろいろあるということのほうが、変に思えます。本来はその風土にあった、その場所らしい家というのがあったんだなと思います。あと民家で驚くのが、玄関がないこと。全部開け放たれててあちこちから入れる家を見ていると、社会の形が違ったんだろうなと思います。
自分が設計するときも、玄関が複数あるとか、入り口がたくさんあるとか、今の時代の狭い価値観でつくらないように考えています。
光嶋 民家は土間の存在によって、内部と外部の領域が曖昧なことがとても素敵ですよね。家とはなにかを考えるとき、建築家で建築史家の藤森照信さんの「家とは炉である」という言葉が思い浮かびます。料理をしたり、暖を取ることができる「火」があるということが重要だと。そこが家の原始なんですよね。
物質社会のなかで人間がなくしたこと
藤原 この映画では、家を持つことが困難になってしまっているアイルランドの社会が批評されています。これは「誰でも家を持てるように」という実際の建築家のプロジェクトを下敷きにしていますが、日本の建築家はそういう骨太な社会貢献にはなかなか踏み込めていない部分もあり、なぜできないんだろうと思う方もいるかもしれません。
日本では災害防止のためもあって、勝手に自分の手で家をつくるということは法律上許されていないんですね。僕も学生時代に、サンドラのように建築免許を持った人の力を借りずに自分の手で家を建てる「セルフビルド」を大学の敷地内に建てたりしていたんですけど、今では違法建築になっちゃうのかな(笑)。僕の後輩たちが同じようにつくってSNSで発表したら、学長あてに電話がかかってきて「おたくの大学違法建築つくってます」って。取り壊しになったことがありました。
一同 (笑)
藤原 昔は社会も寛容だったから、みんなで劇場をつくったりしていたんです。もちろん危ないことがないように自分たちでケアしながらで、それも学びになったりしてました。
そのとき一緒に劇場をつくっていた仲間というのは、今は建築家だったり、演劇をやっていたりだとか、映画をつくっていたり、WEBデザイナーもいます。みんながセルフビルドで建築つくりながら、どうやって生きていくのか考えていたと思うんですよね。大学で学ぶこと、授業で学ぶこともたくさんあるんだけど、自分たちでゼロから文化をつくっていくということは、なによりも大きい学びです。
そもそも人間というのはそうやって「つくれる存在」なんだけど、今はみんなそれを忘れているように思えてしまいます。こういう映画を観て気づかされるのが、「ものを失うこと」にショックを受けるというのは、「もの」に価値を置いてしまっているという僕たちの物質社会的なものに対する批評でもあるのかなと思います。
光嶋 建築をつくる行為というのは、すごく原始的というか、人間の命にとっても近い部分だと思っているので、それが商品という形で交換原理に回収され過ぎているのではないかという強い危機感をもっています。建築に限らず、衣食住の全てにおいて「自分でつくる」という体験が、我々の生活のなかから圧倒的に離れてしまっているのでなおさらです。
そんななか、DVや貧困問題に勇気を抱えながらもサンドラが自分の手で家を建てることを通して、「自分でつくる」を実践し、「生きている手応え」のような感覚を取り戻していく姿が丁寧に描かれていて、感動しました。
『サンドラの小さな家』
全国順次公開中
監督:フィリダ・ロイド『マンマ・ミーア!』、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
共同脚本:クレア・ダン、マルコム・キャンベル『リチャードの秘密』
出演:クレア・ダン
ハリエット・ウォルター『つぐない』
コンリース・ヒル「ゲーム・オブ・スローンズ」
2020年/アイルランド・イギリス/英語/97min/スコープ/カラー/5.1ch/原題:herself/日本語字幕:髙内朝子
提供:ニューセレクト、アスミック・エース、ロングライド 配給:ロングライド
公式サイト:https://longride.jp/
編集部からのお知らせ
光嶋裕介さん『つくるをひらく』(ミシマ社)好評発売中!
本日の対談では同じ建築家の藤原さんと「つくる」について対談されている光嶋さん。
今年1月に刊行した『つくるをひらく』には、それぞれ他ジャンルのトップクリエイターである後藤正文さん(ミュージシャン)、内田樹さん(思想家)、いとうせいこうさん(作家)、束芋さん(現代美術作家)、鈴木理策さん(写真家)との対話が収録されています。