第76回
安田登×いとうせいこう 一流めざすの、やめません? ~「三流」頂上対談!(後編)
2021.08.13更新
7月19日、『三流のすすめ』の発刊を記念して、著者の安田登先生×いとうせいこうさんの対談イベントをMSLive!にて開催しました。
本書でいう三流とは、多流=いろいろなことができる人のこと。
さまざまな分野で活躍し、まさにトップオブ三流=多流であるお二人の対話は、どこかに飛んでいったかと思えば、いつの間にか話の核心に着地していたり、かと思えばまたすぐにどこかへ飛んでいったり、まさに三流的、怒涛の展開でした。
知らぬ間に「一流志向」にとらわれている私たちの頭をほぐし、最後には、三流として生きる極意も開陳! 目が離せなかった対談の模様の一部を、2回にわたってお届けします!
構成:染谷はるひ
呆然として、でもそこにいる
安田 いとうさんの『想像ラジオ』(河出書房新社)を最初に拝読したときに、これは音の小説だなと思いました。それも「聴く」のような能動的な聴覚ではない。
いとう そうですね。横で耳を傾けている。
安田 それって三流人の特徴だなと思いました。
いとう それはあるかもしれませんね。たとえば『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)という本のなかで、僕が主体的に質問をしているケースはほとんどないんです。むしろ一緒に行った人のほうがズバッと訊いている。僕はというと、顔がただれて片足や片手をなくした少女を前に、ただ呆然としている。なにを訊けばいいんだろう、自分に訊く権利があるんだろうか、とじっと考えているだけで。
安田 呆然としているけれども、そこにいるということが大事ですよね。
いとう そうですね。いろんなことを感じるし、このことを書き残しておかなければと思っている。相手に通じる誠実さが僕にもしあるのであれば、ずっとそこにいて話を聞いている誠実さだけなんです。僕はジャーナリストではないし、だから聞く以上の誠実さはないんですよね。
トンズラしても愛される
いとう 三流人の特徴の「パッシブであること」はすごく大事だけど、世の中からすると「あの人はなにをしているんだろう」と思われやすい。
安田 「結局なにを言いたいの?」とかね。
いとう 僕は「本職はなんですか?」って訊かれることがあるけど、それは職業はひとつだけという前提から出る質問ですよね。そう思うようになっているのは、そうじゃないと税務署が困るからじゃないかと僕は思ってるんです。税金を取る対象としてみたら、職業がひとつのほうが便利なんですよ。職をひとつに限定するのは国税局のためのシステムだから、僕らが心を従わせる必要はないんじゃないかと。
安田 ひとつの流を極める一流の人は、本当はすごく少ないんじゃないかと思います。しかし、一流以外は負け組という風潮のせいで苦しんでいる人がかなりいる。
いとう 会社でうまくいかないのは自分のせいじゃないかと思って精神科に行く方も多いですよね。『三流のすすめ』にもありますけど、合わなかったら逃げちゃえばいい。自分に合う場所は絶対にどこかにあるから。
昔から僕の得意技はトンズラなんですよ。場がよどんでくると、ものすごい速さでいなくなる。我慢してそこにいることが生理的に無理なんです。
人を追い出すのは角が立ちますけど、自分がいなくなるぶんには周囲が「あの人はしょうがないな」となりますから、トンズラは三流の極意ですね。安田さんも、嫌な場所に一時間もいられないタイプだと思います。
安田 そうなんですよね。
いとう ふふふ(笑)。ここで重要なのが、トンズラしても愛されるにはどうしたらいいかってこと。それには「あの人はしょうがないな」と思ってもらえるように、アイデアをいっぱい出したり、普段はその場所のために尽くすことが大事ですよね。
安田 僕は、人はもっと逃げてもいいんじゃないかと思っているのですが、それでもそこに帰って来ることができるという状況を作るためには、普段はその場所のために尽くしておくことなのですね。いいなぁ、それ。
(左:安田登、右:いとうせいこう)
「しないこと」をしてもいい
いとう 三流には理解者が必要なんです。だから、三流の人はちょっとチャーミングなほうがいい。
安田 たしかに、理解者がいることは大切ですね。
いとう 僕らみたいな人間は、怒られると反論もしにくいから、いなくなっちゃうことが多い(笑)。それも全然いいんだけど、ものをつくりたいんだったら、どんな形でもいいから「あの人はしょうがない」と言ってくれる人をつくる。そういう理解者がひとりでもいると、三流の人はいきいきしてきます。
安田 ノボルーザ(安田さんが中心となりパフォーマンスをするグループの呼称)で僕は完全にそう扱われていますね。
いとう そうですよね(笑)。僕がノボルーザの公演に出たとき、安田さんの指示が昨日とさっきで全然違うから、誰も僕が舞台に出るタイミングがわからないことがあった。
安田 いとうさんご自身は、なにをするかもほとんどわかっていませんでしたよね(笑)。
いとう だから自分の判断で出たりハケたりした。そのときに「自分はおもしろくやれたな。自分がいてよかったな」と思えた。
三流の人は、その場のセッションを気持ちよく受け入れるんですよね。「こんな世の中で生きてどうせ死ぬのに、偶然をなぜ喜ばないんだろう」というのが三流の考え方です。本当のことを言ったら、なにをやっても間違いはないんですから。
劇団などでは、決められたことだけをやると、どうしても役者が死んでしまう。でもノボルーザでは誰も死んでいない。たとえ全然関係ないことをしていたとしても、それがその人の見せ場になる。それが能なんだろうなとも思います。ワキはじっと聞いているけど、ワキが聞いていなきゃシテがしゃべらない。能のなかに関係ない人はいないんです。
安田 そうですね。ワキは「しないこと」をしている。
いとう それが適材適所ですよね。なにかをやることを適材適所だと僕らは思っているけど、「しないこと」をしてもいい。その人がなにをやってもよくて、そのよさにどう影響を受けて、その場で変われるか。そういうことができる場所は素晴らしいです。
編集部からのお知らせ
ドミニク・チェン×安田登 対談、開催します!
情報学者で、この8月には『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)を上梓し独自の文学全集を編むなど、様々な分野で活躍する(三流=多流)ドミニク・チェンさんと、安田登さんが対談されます!
個人の創作物を発表・販売するプラットフォームが拡充し、収入を得る人々が増えている、いわば「大三流時代」ともいえる今日。三流街道を行きながら次々と新しい手を繰り広げるお二人に、「三流」という視点からみた、これからの創作のあり方、そして生活について語っていただきます。
創作や表現に携わる人や、これまでの「一流」的なクリエイティブのあり方に行き詰まりを感じている人、はたまた複数の生業を持つ方も。思わぬ角度から未来が拓くかもしれない、お二人の対話をぜひご覧ください!