第79回
特集『三流のすすめ』発刊記念 安田登×平川克美 対談(前編)
2021.09.13更新
7月22日、平川克美さんが店主をされている隣町珈琲のブックレビュー対談に、『三流のすすめ』著者の安田登さんがゲストとして登壇されました。
リアルイベントにお客としてうかがったミシマ社のホシノとイケハタでしたが、そのあまりの面白さに、これはもっとたくさんの方に届けたい!と、ミシマガジンでレポートすることをお願いし、こちらでその一部を公開させていただくこととなりました。
中国の古典から現代の政治まで、止まることなく転がり続けた、"落ち着きがない"お二人の対話、2日間にわたってお届けします。
★フルバージョンの音源は、ラジオデイズにてご購入いただけます。
構成:田村洸史朗、星野友里
落ち着きがない二人
平川 私もいろんな人と対談をやってきたんですけど、一番わからなかったのが安田さんなんですよ。
安田 ええ? そうですか。
平川 そう。いまだによくわからない。で、今回ね、僕ちょっと最初に文句を言いたいんだな。
安田 うははは。
平川 読まれた方はわかっていると思うんですが、この『三流のすすめ』という本は、三流でもいいんだと勇気づけてくれる本かと思ったら大間違い。入りと言葉はやさしいんだけど、誰も真似ができないようなことが書かれている。
安田 いやあ、そんなことないですよ。
平川 もちろん内容は面白かったんですよ。でも三流の「すすめ」ってあるわけじゃないですか。だから、こう「俺でもできる」というふうに思わせてくれないと。
安田 そうなっていませんか?
平川 ええ。普通の人がなかなか手を出さないことまでどんどん踏み込んでいく。なぜどうなったかということに関しては、安田さんご自身で書かれてるんだけど、眉に唾をつけて聞かなきゃいけない。それにしても、とにかく子どものころから飽きっぽかったんですね。
安田 すごい飽きっぽかったですね(笑)
平川 通信簿にもそう書かれてました?
安田 書かれてました。
平川 僕も1年から6年まで全部同じことを書かれてたんですよ。「おっちょこちょい」って(笑)
安田 ぼくは「落ち着きがない」でしたね。
平川 あ、ぼくも「落ち着きがない」って書かれていました。同じですね。ぼくは席に座ってませんでしたから。しまいには先生の目の前に席を用意されて、そこに座らされたんですよ。そしたらもう一人同じようなやつがいて、それが内田樹だったんです。まあ「おっちょこちょい」、「飽きやすい」、それから「行動が速い」。
安田 おお、それは僕も一緒です。
(左:平川克美さん、右:安田登さん)
新幹線で本を書く
平川 あと僕もなんとなくわかるんだけど、書斎にこもって書くタイプじゃないですよね。
安田 それはまったくできません。
平川 この前、取材のために品川駅で待ち合わせをしていたんですよ。そしたら、新幹線の切符売り場のベンチに安田さんが座って、そこで一生懸命仕事されているのを偶然発見しまして。
安田 そう。びっくりしましたね(笑)。新幹線に乗るときにはだいたい1時間半くらい前に駅に着くようにして、品川駅のベンチで原稿を書くんです。たまに山手線でも書いてます。山手線はグルグル回るからいいんです。
平川 そういう人いるね。作家の川本三郎さんは、本は電車に乗っていないと読めないっていって、電車に乗ったまま長野辺りまで行っちゃうんですよね。
安田 原稿を書いていて新幹線で乗り過ごすというのはよくしますが、さすがに長野は行けないな。
平川 内田百閒の旅行なんかもそうですよね。私も同じタイプだから、なんとなくわかるんですよ。そうするとね、家が要らないんですよ。僕の場合は家とは別にこの「隣町珈琲」という書斎兼仕事場があって、そこでしか仕事をしませんから、家は一番つまんないところなんです。ドラマ見てただ寝るだけ。
安田 いいなぁ、書斎兼仕事場。仕事を家でする人ってすごいですよね。
平川 家でしかしない人もいるんですよ。内田樹がそうなんです。ぼくは基本的には外なんです。適度なノイズがあるからこそ仕事ができる。
安田 そう。だから図書館ではできないんですよ。静かすぎて。
平川 そうでしょ? 不思議なものでね。
安田 2カ月に1回は熊本のお寺にお邪魔していました。寺子屋をしたり、子どもたちの合宿をしたり。熊本に行くときには必ず新幹線を使って、まず新大阪まで乗っていきます。新大阪で一回降りて、書いた原稿を1回プリントアウトして、喫茶店で確認をして、また乗って続きを書いていく。僕の本はこれでできていたのに、寺子屋がコロナで中止になった今はそれができなくなっちゃった。だから、全然本を書けなくなっちゃったんです。それですごい困っていて・・・。
『人物志』はなぜ日本で読まれてこなかったのか
平川 『三流のすすめ』の中心的な部分に『人物志』という中国の古典が参照されていて、「政をやる人は多流の人が一番適している」という話が出てくるんですね。
安田 はい。『人物志』についてちょっとお話ししたいんですけど、この本は、現代の中国でも、その注釈書が10冊ほども出ている、とても有名な本です。ところが日本では注釈書が1冊もない。
平川 僕も今回はじめて知りました。
安田 天皇は帝王学を学びますでしょう。天皇に仕える宰相たちは宰相学を学んだと思うのです。で、『人物志』はその宰相学にあたるんです。宰相というのはスポーツでいえば監督のようなものです。国を治めるにはどのような組織を作ればいいのか。そしてどのような人を登用して、その組織のどこに配置するとうまくいくのか。それを抽象や概念ではなく、歴史上の人物だったらどのような人なのか、というふうに書いてあります。
平川 宰相学を列伝風に書いてあるんですか?
安田 列伝風なのですが名前だけなのです。『人物志』は非常に薄い、本のリンク集のようなもので、たくさんの人物の名前は書いてありますが、詳しいことを知るには、たとえば『漢書』を読んでみてくださいと。つまり自分でリンクをクリックしなさいという本なんです。
現代の日本では注釈書は出ていませんが、過去をさかのぼると長岡京ではこの本が読まれた形跡があるんです。これって面白くないですか? 長岡京までは読まれていた本が、平安からは急に読まれなくなる。平安初期の藤原良房から宰相は基本、藤原北家になりますから・・・。
平川 禁書にした?
安田 ひょっとしたら・・・。藤原北家以外の者が宰相学を学べないように、『人物志』をおおっぴらに読ませたらいけない本にしたんじゃないかと妄想したりするのですが・・・。
平川 司馬遷の『史記』も絡んできますか?
安田 はい。『史記』や『漢書』を知っている人が読むと面白い。知らなくても、この本を読みながら『史記』や『漢書』を読んだのかもしれません。
平川 確かに戦乱の魏呉蜀の時代は、誰が宰相・参謀になるかによって国の存亡が決まってしまうということで、どういう人材がふさわしいかということに対しては、ものすごく研究されているということがありますよね。武田泰淳が「生恥をさらした男である」と書いた司馬遷はその筆頭ですね。
安田 あの時代は宰相・軍師で有名な人がたくさん出ますものね。人材の「材」という字がこの『人物志』ではよく使われますが、「材」というのはもともとは材料の「材」じゃない。「材」の字は才能の「才」が元で、木を組み合わせて真ん中を縛った形の字なのです。つまりもともと人材というのは人の才能という意味です。でも、今の「人材」という言葉は、人を材料みたいに扱っていますでしょ。人材開発というのは、その人の才能を引き出すことであり、そのことが『人物志』に書いてあります。
(後編につづく)
編集部からのお知らせ
ドミニク・チェン×安田登 対談、開催します!
情報学者で、この8月には『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)を上梓し独自の文学全集を編むなど、様々な分野で活躍する(三流=多流)ドミニク・チェンさんと、安田登さんが対談されます!
個人の創作物を発表・販売するプラットフォームが拡充し、収入を得る人々が増えている、いわば「大三流時代」ともいえる今日。三流街道を行きながら次々と新しい手を繰り広げるお二人に、「三流」という視点からみた、これからの創作のあり方、そして生活について語っていただきます。
創作や表現に携わる人や、これまでの「一流」的なクリエイティブのあり方に行き詰まりを感じている人、はたまた複数の生業を持つ方も。思わぬ角度から未来が拓くかもしれない、お二人の対話をぜひご覧ください!