第89回
丹野杏香さんインタビュー「静かで動的な『形』を探して」(後編)
2021.12.22更新
10月刊の中島岳志さん著『思いがけず利他』は、おかげさまで多くの方に手に取っていただき、今年最も注目を集めた人文書のひとつとなりました! 本書は、内容はもちろんのこと、装画についても大きな反響をいただいています。書店でパッと目を引く素晴らしい絵を描いてくださったのは、イラストレーターの
丹野さんの描くものは、働く人や生活の道具といった具体的な暮らしの一風景から、植物と動物が絡み合う文様のような絵までさまざまです。どれにおいても、人の身振りや物の佇まいが魅力的な構図で切りとられ、人間の営みとそれを取り巻く自然から漂う力を感じずにはいられません。しかも、土の匂いが立つようなざらっとした手触りがあるのに、無国籍的でスタイリッシュな雰囲気も持ちあわせている。こんな表現はどこから湧いてくるのだろう? 初めて絵を見たときから、私(編集チーム新人・角)は一気に引き込まれました。
丹野さんは、日頃、人間や生き物にどのような視線を向け、また、どんな本やアートから影響を受けているのでしょうか。『思いがけず利他』の装画に込めてくださった思いや、画法の秘密は? お話をたっぷり伺いました! 本日は後編をお届けします。
(取材・構成 角 智春)
形を探す
――丹野さんは模様のような絵もたくさん描かれていますね。どれも民族衣装の柄のようでとても素敵です。
丹野 はじめから意識していたわけではないのですが、ケルトやアイヌの文様に似てるねと言われることもありますし、自分でも近いなと思います。
最近、『語りの世界』という本を読んだのですが、様々な民族のなかには言葉を文字として残すことをあえてしなかった人びとがいますよね。文字にしてしまったら、話し言葉が帯びる微妙なニュアンスや力が削り取られてしまうという感覚です。模様もそういうところからきているのではないかと思います。言葉には表せない微妙なニュアンスが、模様の形や線の運動性に込められてきたのではないでしょうか。
以下、イラストは全て丹野杏香さん作
――丹野さんの絵は、植物や人が個別のものとして描かれている以上に、全体がひとつの「模様」や「印」になっている感じがします。前半でお話しいただいた「どんな表情にも見える目」と同じで、見ている人が焦点を絶えず揺さぶられることによって、不思議な雰囲気を感じるのかもしれません。
丹野 たとえば、朝顔を描くとしても、朝顔っぽいけど朝顔なのかよくわからない、そういう形を探すことが好きです。線や形がいいところに収まるまで、延々と探り続けながら描いています。形を探す、ということを意識してやっていますね。
――宗教的なモチーフもありますよね。祈る人の姿に惹きつけられます。
丹野 いろんな宗教や信仰には、規模の大小に関わらず、とても興味があります。どうしてこの土地でこういう信仰が生まれたのだろうか、と。乾いた土地だから生まれた宗教とか、緑豊かな土地だから生まれた考え方、といったルーツに強く惹かれるんです。場所によって変化する、考え方とか、食べ物とか、家の形といったものに魅力を感じます。見たいし、知りたいし、体感したい、という気持ちが強いですね。
――木と人が絡み合っている絵や模様のような植物の形を見ていると、ある土地であらゆる生き物が共に生きているなかで、人間がその風景に何かの観念や力を見はじめる瞬間が描きとられているように感じます。
丹野 そうですね。そういう、目に見えないけれどかすかに感知できるようなものへの敬意や興味が自分の絵の根底にあると思います。
描いたのは「何かが訪れた瞬間」
――丹野さんはこれまでに、『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社)や『しゃにむに写真家』(亜紀書房)などの装画を描かれていますよね。本の装画の仕事はどんな点がおもしろいですか?
丹野 本の装画を描くのは『思いがけず利他』が6作目です。もちろん楽しいのですが、表紙は本の顔なので、責任もすごく感じます。電子書籍が増えて紙の本を買う人が減ってきているのならば、なおさら、手元に置いておきたいと思えるような絵を描きたいと思いますし。
『思いがけず利他』の装画を装丁家の矢萩多聞さんから依頼されたときには、「『ふとした瞬間』でお願いします」と言われました。矢萩さんはざっくりと、「一瞬のきらめきというか・・・」とおっしゃっていて、けっこう難しいなぁと(笑)。でも、ゲラを読みながら「そうか」と思って。人が仕事や作業をしているときに、ふっと何かに気づく、というのが「利他」の生まれ落ちる瞬間かもしれないと感じました。
――懸命に仕事していた二人が何かに気づき、リンゴがぽろっと落ちる瞬間ですね。『思いがけず利他』には、「自力」のかぎりを尽くした果てに、ふと「他力」としての利他が訪れると書かれています。
丹野 何かが訪れたような表情と体の動きを形にしたいと思って描きました。
多くの人は、人間の絵を見るときはまず顔を見ると聞いたことがあります。顔を見てから、体の曲線に沿って視線が流れ、最後にりんごにいく。そして、裏まで見てもらえたら、そのりんごを啄む鳥が描かれています。
「秘密を秘密のままにすること」を忘れたくない
――作風に影響している作家やアーティストはいらっしゃいますか。
丹野 五十嵐大介さんの漫画にはすごく影響を受けています。なかでも『魔女』(小学館)が一番好きです。トルコ、アマゾン、ヨーロッパなど様々な土地を舞台にして、魔女と呼ばれる人たちを描いた短編集です。言葉にするのは難しいのですが、五十嵐さんはどの物語の中でも伝説や神秘について、「秘密を秘密のままにする」という描き方をされるんです。
さきほどからお話ししているように、私はいろんな土地の文化や暮らしぶりを知りたいのですが、それと同時に、その人たちにしかわからないこと、知りえないこと、秘密のままでいいことを、秘密のままにするというあり方がすごく豊かだなと思っています。五十嵐さんの漫画から流れ込んでくるその感覚を、忘れないようにしたいです。ついなんでも探りたくなる心を戒めるというか、秘密をありのままでとっておく感覚を忘れないために、ときどき読み返しています。
あと、学生のときから西村ツチカさんの作品が大好きです。人や動物の描き方がとても好きで、どの部分を取ってもこんなに魅力的な形を描けるなんで天才だなと憧れています。『さよーならみなさん』や『北極百貨店のコンシェルジュさん』がとくに好きですね。絵だけでなくお話の展開もすごく魅力的。漫画っぽいものから写実っぽいものまで描き方の幅が広くて、でも、どの絵を見ても西村さんだとわかるのがすごいです。
近藤聡乃さん、市川春子さん、森薫さんなどからも影響を受けました。一見、画風が異なるのですが、森さんの『乙嫁語り』(KADOKAWA)も私の絵のエッセンスになっている気がします。中央アジアを生きる人々の暮らしぶりと嫁入りを中心に描いた漫画なのですが、現地の生活風景の絵がすごく細かくてきれいなんです。服や建造物の模様の描き込みがすごくて、そういう細かさが積み重なることで、場所の土や生活の匂いまでしてくるような絵です。
――これからはどんなお仕事をされる予定ですか?
丹野 来年(2022年)はたくさん展示の予定があります。1月に大阪のCoffee Books Gallery iTohenさんで、いろいろな作家さんが集って虎の絵を展示する企画に参加します。3月には東京のGallery DAZZLEさん、4月にはHB Galleryさんでグループ展をします。10月ごろには個展もやる予定です。(*【編集部より】詳細が公開されましたら、こちらのページでも告知させていただきます。)
いずれやりたいなと、漠然と考えていることは漫画を描くことですね。小さいころは漫画家にすごく憧れていました。今はイラストレーターとして活動していますが、この絵で漫画を描いたらどんなふうになるかなと考えたりします。
今年(2021年)の7月〜9月に開催された展覧会「200年を耕す」では、秋田の文化を今一度掘り起こして未来へつなげていく、という取り組みのお手伝いをさせていただきました。こういう企画にはもっともっと関わっていきたいです。日本の内外で、それぞれの土地にあるものを残したり、守ったり、広げていくお手伝いができたら嬉しいです。イベントのポスターでも、商品のパッケージでもいいです。たとえば、地酒のラベルを描く仕事ができたらうれしいですね。職人の仕事に関心があるので、酒造に行って、お酒を作る過程やそこで働いている人を見て、絵を描いてみたいです。その絵が何らかの形で文化の魅力を伝えるお役に立てたらいいなと思います。
――そういうお仕事は、丹野さんのイラストにとても合っていると思います。これからも作品を拝見するのを本当に楽しみにしています。今日はおもしろいお話を聞かせてくださり、ありがとうございました!
(おわり)
丹野杏香(たんの・きょうか)
1994年生まれ。2017年に東洋美術学校卒業。その後フリーランスのイラストレーターとして活動を始める。『思いがけず利他』(ミシマ社)、『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社)、『しゃにむに写真家』(亜紀書房)などの装画、また、『Kotoba 2021年冬号』(集英社)、『NHKラジオ Enjoy Simple English』(NHK出版)、『別冊太陽 京都が京都である理由。』(平凡社)のイラストなどを手掛ける。国分寺在住で、同市の新しいまちかど新聞『こくセージ』のビジュアルを担当。