第95回
『舞台のかすみが晴れるころ』刊行記念 有松遼一さんインタビュー(前編)
2022.03.18更新
3月15日(火)に、ちいさいミシマ社レーベルから『舞台のかすみが晴れるころ』が発刊となりました。若手能楽師の有松遼一さんによる初の随筆集です。
コロナ禍で能の公演がすべてなくなるという経験と、その後の試行錯誤の道程を描いた本書は、現代における伝統芸能の意味を問う思索の結晶であり、貴重なドキュメンタリーでもあります。あらためて見つめた稽古や日常生活の大切さ、舞台に立ち続けることで得られる身体感覚、芸能を生かす縁などについて、凛とした美しい文章が綴られています。
本書の刊行を記念して、有松さんのインタビューを2日間にわたってお届けします。
サラリーマン家庭に育ち、京都大学在学中に能楽に出逢って、プロのワキ方になった有松さん。中高生の頃はどんな青年だった? 能楽師って、普段どんな仕事をしている? 初心者が能を楽しむためのポイントは? お話をたっぷり伺いました。
(取材・構成:新居未希、角智春)
能楽師って、普段は何してる?
――いよいよ本ができあがりました。初の単著を上梓されて、いかがですか?
有松 これまでも毎年新しい仕事をいただいておもしろかったのですが、本を執筆していた期間は、活動のフィールドがさらに大きくなった感じがありました。
能楽師が書く本といえば、能楽の入門書や先生が集大成として出す随筆集、公演の写真集などがほとんどです。私のような若手が能以外のことも含めて書いた雑文に、どういう反応が出るのだろうかと思っています。
朝日新聞に連載をしていたとき(連載の文章は『舞台のかすみが晴れるころ』にも収録)、学生の頃からずっと好きで通っている中華料理店で、店主さんが「連載されていましたよね」と初めて声を掛けてくださいました。本は、今まで能を見たことがない人や僕のフィールドとは全然ちがうところにいる人にも届くことになると思うので、すごく嬉しいです。
――能楽師の方が普段どんな働き方をされているか、あまりイメージが湧きません。お稽古と舞台の繰り返しなのでしょうか?
有松 そうですよね。はじめてお会いした方との会話で、「ふだん何をされてるんですか?」「能をしてます」「そうでしたか。ほんで、ご職業は何ですか?」って聞かれるんですけど(笑)。能は趣味だと思われて、生業にしていると捉えられることが少ないですね。僕も素人弟子さんにお稽古をつけていますし、たとえば祭事のときは奉納の舞を舞ったりするけれど、本業は別にある、という方も多いですから。
――たしかに・・・能楽師一本でやっている、という方が身近にいる人は少なそうなので、余計にそう思うのかもしれません。
有松 僕は独立して、個人事業主として能楽師をやっています。多くの能楽師は、週末に舞台があり、その前日や前々日にリハーサルの予定が入っています。その合間に、お弟子さんに教えたり、自分の稽古をしたり、事務作業をしたりしています。取材を受けることもありますし、公演や新作能に向けた打ち合わせも入ります。
能楽の公演はほかの舞台芸能とは異なり、ロングラン公演やツアー公演がなく、一日かぎりのものばかりなんです。なので、予定が本当に日替わりです。家族も、僕が毎日何をやっているのかを把握しきれていないと思います。なんなら、僕のウェブサイトの公演情報を見て、「あ、今日舞台なんやな」と知るときもあるという(笑)。
(有松遼一さん)
じんわり味わうものを求める人が増えた
――『舞台のかすみが晴れるころ』にじっくりと書かれていますが、そういう日々のなかでコロナがはじまり、初めて配信公演を企画されたのですね。
有松 コロナ以前は、日々の公演でいっぱいいっぱいだったのもあって、何か新しいことをしようということは正直まったく考えていませんでした。コロナによって活動を強制的に一時停止することになり、何かをぼんやり思う時間が否応なしに増えたことが、結果的にオンラインの配信公演のような新しい試みへとつながりました。補助金制度が出来て背中を押してもらったことも、何かをやろうと思うきっかけになりましたね。
のちほどあらためてお話ししますが、能はテレビやネットといったメディアと組み合わせることが難しいんです。でも、配信公演には発見がたくさんありました。
コロナ下でラジオを聴く人が増えたようですが、ラジオや本のように、想像して、感じて、じんわり味わうものを求める人が多くなったように思います。配信公演では、能ではなく素謡を上演したのですが、言葉だけでやるのが意外とよかったのかもしれません。怪我の功名といいますか、コロナじゃなかったらあんな公演を企画しようとは思いませんでしたし、ましてや本を出すこともなかったのではないでしょうか。
(※編集部註:素謡、立花、鼎談からなる配信公演「ことばとわざ 能をめぐる旅」の様子は、『舞台のかすみが晴れるころ』に一部収録されています)
書道で東京都1位に
――有松さんは能楽だけでなく、和歌にも詳しいし、茶道や書道も嗜んでおられます。そうした文化とどのようにして出会われたのかを教えてください。
有松 祖母がお茶を習っていたんです。お正月とかにお茶を点てるのを見て、面白そうやなぁと思って僕も習いはじめました。
僕は中2のときに人生で一番モテていたんですけど(笑)、お茶を習っていることを知った後輩の女の子たちが学校の廊下で僕を囲んで、「茶道部を作ってください」って言ってきて。顧問の先生についてもらって、部活をはじめました。文化祭のときには、体育館のステージに雛壇を作って、みんなで
――本のなかに、「小学生のころから、脱いだ靴を揃えることが好きだった」という話が書かれていましたが、昔からピシッとした、なにか整っているものがお好きやったんですね。
有松 そうやったんやと思います。子どもの頃は時代劇の水戸黄門とかもめっちゃ好きでしたし、おばあちゃんっ子だったので、その影響も大きいかもしれません。
高校には茶道部がなくて、書道部に入りました。
――茶道、書道・・・「道」がつくものがつづきます(笑)。
有松 茶道部を新しく作るのが難しかったので、書道部を乗っ取って茶道部にしようと思ったんですよ(笑)。でも、書道もやってみると面白くて。ちょっと自慢なんですけど、高3のときに文化祭で書いた作品をコンクールに出したら、たまたま東京都で1位になったんですよ。
――す、すご〜!
有松 茶道部にしようと思って書道を始めたこともあり、ちょっとうしろめたかったです(笑)。
(有松さんの毛筆によるサイン)
たまたま京大に合格し、能楽部に入る
――ご出身は東京ですよね。
有松 はい。京都に来るとはまったく思っていませんでした。
大学受験のとき、第一志望の大学には落ちてしまったんですが、記念に京都大学の後期試験を受けたんです。ついでに京都観光を目一杯して楽しもうと思って(笑)。そうしたら合格しまして、急に京都に引っ越すことになりました。
――偶然京都に来て、そして、大学で能楽に出逢われたんですよね。
有松 同じクラスの子に誘われて、能楽部を見に行ったんです。能はお茶や書道とはちがって、たくさんの人に見られながら舞ったり謡ったりしますよね。はじめは、自分にはそれが合わないかもしれないと思いました。
中学・高校のときにカラオケとプリクラが流行ったんですけど、なんかちょっとチャラチャラしているのが恥ずかしくて、僕はカラオケとプリクラとタバコは一切通らずにいこうと決めまして・・・。
――タバコとプリクラはかなりちがうと思いますけど・・・(笑)。
有松 そうですね(笑)。それくらい、人前で何かをやることに苦手意識があったんです。
でも、やっていくうちに、能の表現はどちらかというと自分の内側を掘り下げていくものなのだと感じるようになりました。逆説的ですが、身体を型にはめることが、結果的に表現になる。登場人物はどう思ったか、表情をどう表現するか、といったように外へ向かうのではなく、内へ内へと突き詰めていくことが性に合いました。気がついてみれば、お稽古に毎週通うようになっていましたね。
(後編に続く)
有松遼一(ありまつ・りょういち)
1982年東京都生まれ。能楽師ワキ方。京都大学大学院文学研究科博士 課程(国文学)研究指導認定退学。同志社女子大学嘱託講師。京都大学在学中の2007年に能楽師ワキ方・谷田宗二朗師に入門。京都を中心に全国の舞台に出演。アメリカ、ヨーロッパなどの海外公演にも参加。大学の講義では能楽や和歌など古典の魅力を伝え、能が現代に生きる芸能・舞台芸術であることを問いつづけている。『舞台のかすみが晴れるころ』が初の単著となる。古典を味わい、文化で心を耕す学び舎「有文舎」主宰。
編集部からのお知らせ
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