第109回
『小田嶋隆のコラムの向こう側』を8月31日に発刊します
2022.08.12更新
こんにちは。ミシマガ編集部です。
8月31日(水)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』を発刊します。
本書は、2022年6月24日にお亡くなりになった小田嶋隆さんの遺稿コラム集です。何点もの傑作コラムを書いてこられた小田嶋さん。ミシマ社からも、これまで『小田嶋隆のコラム道』『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』『小田嶋隆のコラムの切り口』が刊行されています。
本日のミシマガでは、本書編集人の三島邦弘による「まえがきに代えて」を公開いたします。
『小田嶋隆のコラムの向こう側』
まえがきに代えて
本書は、さる二〇二二年六月二十四日にお亡くなりになった小田嶋隆さんの遺稿コラム集です。遺稿集とはいえ、小田嶋さんの生前より進めていた企画です。
五月末、小田嶋さんから電話があり、「医者は、夏を迎えられないかもしれない、とか言ってるんです」と軽やかにおっしゃいました。その際、『小田嶋隆のコラムの切り口』 の編集を「とても気に入っており、ああいう編集でもう一冊まとめてほしい」とご希望いただきました。思えば、小田嶋さんのほうから企画の提案をもらうのは長いつき合いの中で、初めてのことでした。それで急きょ、進めることになりました。
六月二十日にご自宅へお見舞いにうかがったとき、小田嶋さん自ら、本書のタイトル案を述べられ、その場で、『小田嶋隆のコラムの向こう側』に決まりました。「コラムの逆回天」という案も出されたのですが、それは第2章の章タイトルに使っております。『コラムの切り口』は紙媒体に掲載されたコラムを中心にまとめたのに対し、本書は、すべてウェブ媒体(小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」)に載ったもので編集しました。その意味で、『コラムの切り口』の姉妹編のような位置づけの一冊でもあるはずです。
二〇二〇年三月、紙とウェブ媒体で書く文章の違いについて、小田嶋さんご本人が語った音源が残っておりましたので、ここに掲載いたします。
「紙媒体のコラムのほうが、完成品をお届けするという感覚です。ウェブ媒体(で書くコラム)は、よくDVDなんかでメイキング、NG集などを収録してまとめて売るでしょ、そういうのに近いんです。完成度は下がるけど、多様な読み方ができる。コラムの生成過程から書いてあるのがウェブ媒体のコラムです」「(ウェブに書くコラムは)今回はこういうことを書くぞ、と決めてから書く。今回はこんなこと書くから聞いてね、こういう気分で今回は書きます、と前説からはじまり、芝居で言えばト書きにあたる部分まで書いている。紙媒体だと、いきなり本題から入って、無駄な行数は使いませんよね」
「コラムの向こう側。ちょっとかっこつけすぎかな」
病床でも、絶えずユーモアあふれる言葉で私たちを楽しませてくれた小田嶋さん。最後の最後まで本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。
二〇二二年七月八日 編集部
『小田嶋隆のコラムの向こう側』目次
コロナ下、病気が悪化したこの2年の中で、小田嶋さんが残した最後の言葉とは。本書にはこちらのコラムが掲載されています。
まえがきに代えて
第1章 コロナと孤独とコラムニスト
Zoomに心を許さない理由
君、最近休みをとったのはいつだね?
一億総祖父母時代に、大坂なおみ選手をたたえる
第2章 コラムの逆回天
「改革は待ってくれない」というのはウソ
昭和の笑いはおおらかだったのか
「一人メシ推奨国民運動」はなぜ嫌われる
第3章 さらば、酒と友と
酒飲みを甘やかす文化は永遠なのだな
いつか「嫌酒権」が叫ばれる日
夏の雲が立ち上がるのを見上げていたぼくは十六歳だった
第4章 晩年は誰のものでもない
自然の猛威で片付けるのはもったいない
晩年は誰のものでもない
ジョンとヨーコとフェミニズム
虫とタイガー・ウッズの父に学ぶ、遠くを見ない処世術
第5章 コラムの向こう側
殺意は容易に暴走する
戦争を宣伝ツールに使う残念な人たち
思い上がりがもたらす自縄自縛
カジュアルさにひそむ責任回避
○○界に残る「ホモソーシャル」
小田嶋さんご本人がコラムについて語る音声
「まえがきに代えて」にて引用された、小田嶋さんの言葉の音源を公開いたします。
『小田嶋隆のコラムの切り口』の発刊にあたり、2020年3月に、編集の星野がインタビューをしたときの音声です。
コラムにおいて、紙媒体とウェブ媒体はどう違うのか? コラムの「多彩さ」や「幅」はいかにして出せる? SNSやブログ上でいい文章を書くには、何を意識することが大切? ・・・貴重な話題が17分にぎゅっとつまっています。
コラムを語る小田嶋さんの肉声をぜひお聴きください。