第122回
「利他」の行き着く先は「共有地」!? ~平川克美×伊藤亜紗『ぼけと利他』と『共有地をつくる』をめぐって~(2)
2023.01.05更新
2022年11月9日、隣町珈琲にて、「平川克美 著者と語る」のゲストとして伊藤亜紗さんが登壇し、『ぼけと利他』をめぐってお二人の対談が行われました。
平川さんによる「ぼけ」の炸裂からスタートした対話は、利他そのものの核心をつくお話から始まり、後半には、共有地としての銭湯と利他をめぐる考察が深まっていきました。
今日と明日のミシマガでは、その対話の一部をお届けします。
全編がおもしろすぎて、詩の話、多様性についてなどなど、記事にしきれなかった部分もたくさんありますので、ご興味のある方は、「ラジオデイズ」で販売されているアーカイブ音声をどうぞ!
(前編はこちらから)
ーー構成:星野友里
銭湯は、公共性と匿名性が息づく、不思議な場
平川 銭湯というのに、僕はかなりこだわっているというか、つまり、今の現代社会においてこれほど変な場所はないと思っているんです。見ず知らずのやつと、素っ裸になってそこにいる。この世の中、銭湯以外で、背中一面に蛇が絡み合ったような刺青が入ったお兄ちゃんと触れあうことはないわけですよ。なおかつそこで、暗黙のルールを共有する。
全員が何となく考えているのは、風呂桶を洗って元に戻してから出てくるとか、後からくる人に対する配慮なんですよね。それはまさに利他じゃないですか。「ここで歯を磨いてはいけません」とか別にほとんど書かれていないけど、みんな基本的なルールは守っている。
そして公定料金で、東京だと一律どこでも500円です。あれは何なのか。等価交換原理で言うと、銭湯を利用するサービスを買ったということになるんですけど、そうではなくて、あの500円は、生活を共にする場所、共有地の維持費として払っているんですよね。銭湯以外にそういう場所って、もう残っていないんじゃないかな。
伊藤 おもしろいですね。実は今、利他プロジェクトから派生して次に水プロジェクトというのが決まっているんです。水というのは利他とすごく深い関係があると考えていて、たとえば川の上流と下流、こっち側と向こう側、流れていくものであり、一回汚くなったものをまたきれいにすることができるとか、いろんなことを考えさせてくれます。銭湯という、温かい水をみんなで使う場に、そういう共有地が生まれるというのは、すごく示唆的だなと思います。
平川 なるほどねぇ。水も今、民営化の動きがありますけど、水、空気、電気、そういう社会的共通資本というのは絶対民営化してはいけないものなんですよね。ライフラインを商売人の手に売り渡すみたいなことで。
伊藤 そうですよね。あとは銭湯の、匿名性と公共性の関係も気になります。みんな身体を洗っているときって後ろを向いているじゃないですか。だからたとえば自分の洗い場をきれいにして去って行ったとしても、基本的に人は見ていないんですよね。しかも湯気がバーッとあるのでよく見えないし。よく見えないからこそ・・・からこそなのかな、わからないですけども。人が見ているから人はいいことをすると先入観で思うけど、実はそうではなくて、見ていないときほど、そこをきれいにしていくという。
平川 ああ、それはまったくそうですねぇ。ある年齢より上の人たちは、カランの前の石鹸を置くようなあたりも、すごくきれいにしていくんですよ。僕は見ていて「えらいなぁ」と思って、自分も少し真似をするようにしているんですけどね。そういう共有地といったものに対する感覚というのは、等価交換に慣れた人たちにとっては、なかなか想像力が及ばないところではないですかね。
伊藤 漫画喫茶とかいっても、たぶん、きれいにして帰らないですもんね。
平川 アパートなんかでも共有部分に私物を置いたりしちゃいますもんね。早い者勝ちみたいに。やっぱりもうちょっと銭湯から学ばないといけないと思うんですよね。
伊藤 ほんとですね。こんなに銭湯について考えたのは今日が初めてです(笑)
平川 ああそうですか、僕は四六時中、銭湯のことを考えているんですよ(笑)
利他という考えが行き着く先は、共有地!?
平川 僕でもね、この本を読んで、利他という考え方が行き着くところって、共有地じゃないかという気がしたんですよね。
伊藤 あ、そう・・・ですね。そっちに回収されていきます(笑)。
平川 (笑)
伊藤 やっぱり物理的な空間として考えたほうが、利他はおもしろいなと思うので。なんというか、利他心とか、そういうふうに考えないほうがいい気がするんですよね。その場に行ったときに、人が何か利他的な風土みたいなものに従ってふるまう、みたいなことがむしろ大事で。よくセンターの中でも話すのは、利他が起こる場のデザインみたいなことがどういうふうにできるのかと。そういうのはいろんな実験がもうやられているんですよね。
たとえば私も参加している、これは物理的な場ではないんですけど、「新しい贈与論」という団体があって。
平川 へえ。
伊藤 それは寄付をするということを、寄付をしながら考える団体なんです。毎月いくらでもいいので会費を払うのですが、その会費を毎月どこかに寄付する。その寄付先を決めるときに、運営をしている方が毎回「忘れる」とか「灯る」とか「点」とか、まったく福祉的ニュアンスのないテーマを決めるんです。そのテーマに沿った寄付先の候補を、会員の代表3ペアが推薦理由もきちっと文章にして出して、会員みんなで投票するんです。で、1位のところに全金額がいくという仕組みなんです。
平川 無尽だね。
伊藤 まさにそうです。なぜそういう仕組みにしているかというと、寄付をしている人の気持ちというのは、自分のお金は今たまたまここにあるけど、ここになくてもいいなという感覚で寄付をしているのに、そうはあんまり思われていない。クラウドファンディングとかもリターンがあったり、投資みたいな寄付が多い。そうではなくて、自分のお金に対して自分が主導権をもっていないという感覚を体感する仕組みはどうしたらできるんだろうというところからできたそうなんですね。
やむをえず利他
平川 僕自身も破産しちゃったことがあって、破産したあとの生き方って、乞食(こつじき)なんですよ。乞食のすすめというかね、これはね、もらえばいいんですよ。一度もらっちゃった人は、必ず自分に多少余裕があるときには人にあげるんですよ。そしてね、『思いがけず利他』って中島岳志さんの本にありますけど、僕は常に「やむをえず利他」なんですよ。
伊藤 (笑)
平川 誰かが「金がない」と言うと「しょうがねぇな、またかよ」と言って出すんですよ。でも、とにかく出す。みんながそういうふうに考えればね。「困っている人を助けましょう」と言うと、「助けた自分はいい人」みたいな感じで、いやらしくなってしまう。そうじゃなくて「しょうがないな、本当は助けたくないのよ」「だけど、ほら持って行け」と。それでいいんだと思っているんですよね。
伊藤 いやほんとに、村瀨さんの介護論もそうで。一番いやなのは「ハートフルな介護」というやつだそうです。ハートマークが送迎バスに書いてあるのとかがすごく嫌だって(笑)。
平川 そうそうそう。
伊藤 そうじゃなくて、しょうがなくて、「なんで俺がついていかないといけないんだ」という気持ちを殺さないでお年寄りについていくというのが大事だと。そうじゃないと逆に相手を非人間的に扱ってしまう。「心は洗面所に置いていく」って仰っていました。
平川 いやあ、本当にそうですよね。
左:平川克美さん、右: 伊藤亜紗さん
(終)