第160回
スポーツのことばを豊かにするために
――平尾剛さん『スポーツ3.0』序章より
2023.09.14更新
9月9日、平尾剛さんの新著『スポーツ3.0』が発刊となりました。
この本に込めた思いを、平尾さんはこう語っています。
バスケやラグビーのW杯が盛り上がり、プロ野球のペナントレースも佳境を迎えているいま、スポーツに関する報道や、ヒーローインタビューを耳にしない日はほとんどありません。
でも、スポーツを語ることばは、今のままで大丈夫だろうか? パッケージされた「感動」や「勇気」を与える役目を、メディアや私たちが選手に負わせていいのか?
平尾さんは、元アスリートという立場から、そんな違和感を表明しています。
それはなぜでしょうか。
『スポーツ3.0』の序章で、平尾さんは、現役時代に自身が答えたインタビューについて、とても大事な告白をしているのです。
スポーツのことばを、もっと豊かに、ふくよかにするために。
本日のミシマガでは、その序章を一部公開いたします。
アスリートのことば――なぜ、あのとき噓をついたのか
(平尾剛『スポーツ3.0』序章より)
プライベートとの両立
現役を引退してから十六年が経過した。十三歳からはじめて十九年ものあいだずっと「するスポーツ」だったラグビーは、いつしか「観るスポーツ」になった。「花園」と称される全国高等学校ラグビーフットボール大会や全国大学ラグビーフットボール選手権大会、二〇二一年に創設されたリーグワンの試合や、W杯などでテストマッチ(国同士の試合)を観て、いまは楽しんでいる。
選手時代をふりかえれば、いまほど試合を観てはいなかった。対戦するチームの戦術や自分のトイメン(マッチアップする選手)の特性を知ろうと分析的に観ることはあっても、試合そのものを楽しむことはほとんどなかった。練習以外の時間の、たとえば夕食後に寮の一室でリラックスするなどのプライベートな時間までもラグビーに染めたくないのが本音だった。
社会人のころは練習帰りにTSUTAYAに立ち寄って観たい映画のDVDを借りるのが日課で、読書に目覚めた引退間近には寮の自室や喫茶店で本を読んでいた。もしかすると映画や本にうつつを抜かすこの態度は、見る人から見れば、日本代表でありながらさまざまなラグビー事情を知ろうとしない怠惰なラガーマンに映るかもしれない。だが、ひとつのことに夢中になればなるほどそれとは別のなにかに目移りするのが私の性格で、本業とプライベートのバランスをとってきたからこそ、二十年近くにわたってラグビーをつづけてこられたのだと思っている。
「する」と「観る」のあいだの溝
かつてのチームメイトには、引退してからもほとんど試合を観ない後輩もいる。いまでもたまに集まるメンバーのほとんどは、普段からすすんでラグビーを観るという習慣を持っていない。
とはいえラグビーを避けているというわけではもちろんない。たまに会えばラグビーの話題で盛り上がり、現役時代の練習や合宿や試合などでの一コマを思い出しては、懐かしがりながら語り合っている。ラグビーにまつわる話はする。たくさんする。でも、観戦を楽しんでいるかというとそうともいえない。むしろ現在のラグビー事情には疎いといっていい。「世紀の番狂わせ」として世界を席巻した二〇一五年W杯でのあの南アフリカ戦でさえ、翌日に結果を知り、録画映像を観返したという者もいた。
私の周りには、現役引退後はラグビーそのものへの興味、関心が薄まる人のほうが多い。「するスポーツ」で培った仲間との絆や経験は重んじていても、それがそのまま「観るスポーツ」を楽しむことにはつながらない。
「する」と「観る」のあいだには思いのほか大きな溝がある。
私自身がこの溝をまたぎ、「する」から「観る」へとシフトできたのはおそらく研究者になったからだ。また、コラムを書くという仕事に携わるようになったのもある。ラグビーを知らない人にラグビーのなんたるかをわかってもらうためのテクストは、昨今のラグビー事情を抜きには書けないからだ。直近の優勝チームを知り、その戦いぶりを把握しておかなければ、経験則をツラツラと並べただけの内輪乗りの内容になりかねない。経験則だけで語る文章の射程距離は短い。ビギナーの心をつかむためには取材が欠かせない。
取材目的で観ていたらだんだんオモシロくなって、いつのまにかラグビーが「観るスポーツ」になっていた。またラグビーに関する文献を読み解き、その成り立ちやルール、アフターマッチファンクションをはじめとする儀式の意図などについて理解が進むと、実に意義深いスポーツだったのだとあらためて思い知った。
試合後のコメントの物足りなさ
観る楽しみを覚え、ラグビーだけでなく他のスポーツにも関心を向けるようになって気づいたことがある。それはインタビューを受ける選手が発するコメントだ。
淡々と試合内容をふりかえって「次、頑張ります!」「最高です!」といったお決まりのフレーズを口にしたり、勝利のよろこびと敗北の悔しさに収斂する感情的な表現にとどまる選手が多い。ここに物足りなさを感じる。イチローなどは例外だとしても、せめて定型句に頼らない身体実感がともなうことばが聞けないものかと、試合後のコメントを読むたびに感じるようになった。
スポーツファンは、トップアスリートが経験している世界を少しでも理解したいと望む。当の本人にしかわからない身体感覚や揺れ動く心模様が知りたい。たとえその一端であっても、未踏の地に立つアスリートの世界に想像を及ぼしたい。アスリートのことばは、その足がかりとなる。
私はかつて選手であり、試合後に記者からの質問に応える立場だった。当時をふりかえれば、どの試合を回想しても稚拙な受け応えに終始していたように思う。タイムマシンに乗ってその場に戻れるとすれば、あまりにお粗末な受け応えをしている自分に出会うことになるだろう。想像するだけでも冷や汗が出てくる。そんな私が現役アスリートにリアリティのあることばを求めるのはおこがましいのかもしれない。それでもあえていわせていただければ、これからのアスリートはことばを持ち合わせなければならないと思う。
アスリートのことばを豊かにするために、自らの経験をひとつ開陳したい。恥をさらすことになるが、試合後のアスリートの心境を知るうえでのケーススタディになればという期待を込めて、告白する。
二〇〇〇年度全国社会人大会準決勝、サントリー戦
東大阪にある花園ラグビー場で行われたこの試合は、ロスタイムに入ってからの逆転トライでわが神戸製鋼が勝利を収めた。その最後のトライを決めたのが幸運にも私だった。劇的な幕切れの立役者として、試合後にはたくさんの記者に囲まれた。
トライシーンを回顧すれば、アンドリュー・ミラー選手が蹴り込んだボールを、追いかけた私が首尾よくキャッチしてそのまま走りきったというもの。いうなれば絶妙なキックを蹴ったミラー選手が演出したトライだった。
実をいえばミラー選手がキックを蹴った瞬間は、「ここで蹴るか!? 」という疑念が脳裏をよぎった。いつ試合終了になってもおかしくないロスタイムでの、相手に攻撃権が移る蓋然性が高いキックというリスキーな判断に疑問が生じたのだ。
とはいえ、流れるようにプレーがつづくラグビーでは、そこで立ち止まるわけにはいかない。彼の判断の正否は脇に置き、とにもかくにもボールを追った。
驚くことに、一歩一歩ボールに近づくにつれて徐々にスペースが開けてきた。と、その瞬間、「トライに至る道筋」が見えた。「なるほど! 狙いはこれだったのか!」と納得した私は、その道筋をたどってゴールラインまで走り切った。
あのトライは紛れもなくミラー選手の卓越した判断から生まれた。
だが、スポットライトを浴びるのはいつもトライスコアラーである。試合後すぐに取材陣に囲まれた。かなりの興奮状態だった。気持ちが昂るままにたくさんの記者に囲まれて、私は浮き足立っていた。
「あのトライの心境を聞かせてください」と記者から質問を受けた私は、「アンディ(ミラー選手の愛称)、裏(に蹴れ)!」と声をかけたと答えた。
そう、噓をついたのである。
質問された直後、「あの瞬間」のアンディとの絶妙なコンビネーションを説明できることばがみつからなかった。だからといって黙り込むわけにもいかず、かろうじて頭に浮かんだことばを手繰寄せてなんとか伝えようとした。なにか気の利いた答えを口にしなければと焦った。その結果、「トライをとるまでになにかしらのアクションをしたはずだ」という質問の意図を汲み、リップサービスをしてしまった。
なぜあのとき噓が口をついたのか。
あの逆転トライに自らも積極的に関わったんだという自負と、記者が望む答えを用意しなければという焦りが、そうさせたのだと思う。語彙の乏しさもまたそれを後押しした。とはいえこれらはすべて言い訳である。一社会人として、人気チームの一員として備えておくべきメディアリテラシーを欠いていたのは否めない。興奮冷めやらぬままに「あの瞬間」を冷静にふりかえることが、チームに入ってまだ二年目の未熟な私にはできなかった。
とても後悔している。
「あの瞬間」をことばにする
あれから二十二年が経過したいまだからわかることがある。
(・・・つづく)
つづきは、ぜひ『スポーツ3.0』をお読みいただけたらうれしいです。
発刊イベントを見逃し配信中!
発刊前日に行ったイベント「スポーツの『3.0』な楽しみ方 〜仕事も社会もスポーツも『3.0』の思考で!〜」のアーカイブ動画を配信中です!
「スポーツ3.0って、何?」「勝敗とはちがうラグビーW杯の楽しみ方」「部活動の全国大会、必要?」「人口減少社会に適したスポーツの形を」など、これからのスポーツについて、平尾さんがたっぷり語りました。ぜひお楽しみください!
<参加者の声>
・大変楽しいトークイベントでした。著書が楽しみです。
・普段スポーツ観てて腑に落ちなかったことあったので、おっしゃっている事にいちいち納得していました。
・アスリートも声を上げていいんだ(声を上げるべきだ)、という先駆けとして頑張られている姿にいつも感銘を受けています。
※2023年10月末まで配信します。