第174回
おもろく有意義に生きるための七つのヒント(仲野徹)
2024.05.24更新
2024年3月に刊行した、仲野徹さんのエッセイ『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』。自分と他人の「座右の銘」30本を縦横無尽に解説する本書は、おかげさまで多くの方に手に取っていただき、「おもしろい!」のお声を多数ちょうだいしております。そのヒットを記念して、仲野徹先生に「人生訓」をたっぷりと教えていただきました。きっと、機嫌よく生きるヒントがあるはず...!(編集部)
座右の銘と人生訓、広辞苑をみたら、前者が「常に身近に備えて戒めとする格言」とあるのに対して、後者は「人がこの世に生きていくために役立つおしえ」とあります。なるほど、座右の銘は戒めであるのに対して、人生訓は役に立つというのが主眼なのでしょう。ちょっとえらそうかもしれませんけど、私家版「人生訓」的なものについてお話ししたいと思います。
令和4年3月14日、65歳の誕生日に定年記念講演をおこないました。「最終講義」というとすごく立派な感じがしますが、それほどたいそうなことを話せるわけではありません。なので、単に節目として講演をという気分でした。タイトルは「おもろい人生 その途上にて」で、副題は「研究だけが人生か」にしました。こういった場合は、「○○研究を振り返って」とかいう感じのやつが多いのです。が、そんなものはよほどレベルが高くない限り、たいていあまり面白くありません。私の場合は、研究の話はせいぜい半分にして、それ以外でなにを考えてどんな人生を歩んできたかについての内容のほうを多くしたかったので、こんなタイトルにしたわけです。
しかし、何人かの先生から、その副題はよろしくないのではないかというご意見をちょうだいしました。研究以外に興味のない教授が多数派なので、それを揶揄しているようにとられかねない、という考えからでした。そんな考えはまったくなかったとは言いませんが、自分自身、研究だけが人生ではアホくさいと思っているので、そのままでいきました。
コロナ禍ということもあり、会場にたくさん人を入れるわけにはいかず、ネット配信もおこなうことにしました。それでも会場には100人ほど来ていただけて、ネットでは800人もの方にご視聴いただけました。ありがたいことです。予想を上回る好評に調子こいて、講演はYouTubeにアップしたままにしてあります。よろしければ【仲野×定年記念講演】で検索して、ご覧になってください。ホンマかいなと思いますが、一万以上のビューイング数を記録しています。
学生も見てくれるだろうからと、ちょっと教訓めいたことも話すことにして、いろいろな経験から得た自分自身の人生訓を「おもろく有意義に生きるための七つのヒント」にまとめてみました。それを見た何人かの方から、同じような内容で講演をしてほしいとのご依頼をいただけたりしたのはとてもうれしいことでした。
一、 複数の(すぐれた)師匠に師事すること
師匠と思えば、その人が師匠
教授として独立するまでに3人の師匠についた。研究というのは、芸事ほどではないけれど、徒弟制度的なところがかなり残っているので、師匠の影響は絶大である。本当に幸運だったのは、3人とも極めてすぐれた研究者であったことだ。
複数、というところが大事だ。いくら素晴らしい師匠であっても、いいところもあれば悪いところもある。あまり一人の師匠に入れ込んでしまうと、全人的に信じきってしまいかねない。それは避けるべきだ。茶坊主みたいな弟子になってしまっては師匠も浮かばれまい。
親炙する内田樹先生に『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)という本がある。そこに、あの人を師匠にしようと思えば、それだけでその人を師匠にできるといったことが記されている。先方が知っていようがいまいが関係なしに、である。だからといって、あまりたくさんの師匠を持つとややこしくなってしまいそうだが、単独ではなくて複数の師匠を持って、心から師事すること。それがあらまほしい。
(すぐれた)と括弧をつけたのには意味がある。もちろん、すぐれた師匠につくべきなのだが、あまりに立派な師匠を持つとデメリットもなくはない。とうてい追いついたりでけへんわぁという、ちょっとしたあきらめの気持ちが湧いてきたりするからだ。いちばんええのは、努力したら到達できるかもしれんと思えるレベル、といっても難しいかもしれんけど。
定年を機会に、完全に研究はやめて引退しました。そう決めた大きな理由のひとつは、三人の師匠が偉大すぎたせいやないかと思ってます。これは決してヨイショではなくて、本当にそう思っておるのであります。よく誤解されますが、けっこう謙虚やったりしますねん。念のため。
二、 時には上手に騙されること
ただし、迷惑をかけない、
お金がかかりすぎない、自分が楽しい
誰かにアドバイスを求めて、う~ん、そう言われてもなぁ、とか、それはちょっと無理やろうと思われたことはないだろうか? 絶対にできそうにないことならどうしようもないけれど、少しでもできる可能性がありそうなら、疑いながらも「上手に騙されてみる」という態度をとるのがいい。自分では決断できなかったことを親切にも後押ししてくれたはるんとちゃうやろうかという感じで。そう、むちゃぶりされているのではなくて、チャンスを広げてくれたはるのかもしらんと考え直してみるのだ。
ただ、この時に注意すべきは、他人は自分のことをそれほど真剣に考えてくれていないかもしれないということである。あたりまえのことだが、最後に決めるのは、いちばん本気で考えている自分自身しかない。ここでちょっとおもろいエピソードを。
研究者としてのキャリアを古典的な生物学実験から始めた。4~5年経って、こんなこといつまでもしてたらあかん。当時主流になりつつあった分子生物学をやっている研究室に留学しようと決意した。西ドイツへ旅立つ前、ある先生がお別れにと築地で高価なお寿司をおごってくださった。その時、心から励ましてもらえた。「これからは分子生物学の時代ですから、がんばってきてください」と。ありがたいことだ。しかし。ここで話は終わらない。
時は流れ、それから十年近く後のこと、その時の思い出話をした。
「いやぁ、あの時、先生に励ましていただいて本当にありがたかったです。お寿司も美味しかったし」
とのナカノの発言に対する某先生の言葉に腰が抜けた。
「あの時は、仲野もこれでもうダメかと思いましたよ」
はぁ~? 励ましてくれたはったんとちゃうんですか......。
しかし、である。お寿司屋さんで、「これで仲野もダメかもしれませんね」と言われるのと励まされるのとどちらがよかったかというと、絶対に後者だろう。他人は正直に言ってくれているかどうかわからない。だが、噓も方便ということもある。上手に騙される度量を持つことも必要ではないかと思うのだ。
そういうことがあったから、いろいろと相談を受けた時は、絶対にダメと思う以外は励ますことにしていました。「大丈夫、いざとなったら骨だけは拾ってやる」とか言ったこともあります。われながらええ加減ですわなぁ。みんなどうなってますやろ。骨になってなかったらええんやけど。
三、 考えすぎずにやってみる、行ってみること
やらなかった後悔はやった後悔よりはるかに大きい
誰しも新しいことへの挑戦や、未知の土地へ行く時には逡巡がある。でも、ちょっとした勇気を持って行動すべきだ。最初にこの教訓を得たのは、平成20年にイランへ出張した時のことである。米国のブッシュ大統領が北朝鮮と並んでイランを「悪の枢軸」として非難していたころだ。イランの研究者から国際学会への招へい状が届いた。行くべきかどうか迷った。親しい先生も呼ばれておられて、おもろそうやから行ってみようと誘われた。
ひとりよりはずっと心強い。それでも不安がある。学会に妻を連れて行くような不埒なことはすべきでないという信念の持ち主だったのだが、その時だけは、いざとなったら盾になってもらおうと同行を依頼し、いっしょに行ってもらうことにした。
基本的に心配性である。なので、もしもなかったらあかんからというので、スーツケースにはペットボトルの水、トイレットペーパーや非常食をいっぱい詰めた。しかし、すべて完全なる杞憂であった。
物は不自由なくあったし、人々はみな親切だった。それどころか、外国人が少ないせいか、街ではいっしょに写真を撮ってくれと頼まれる始末。国家と国民を同じようにみなすのはとんでもない間違いだと痛感した。以来、何事も自分の目で確かめねばと考えるようになった。それって科学者の基本やし。かくして、僻地旅行が新たな趣味として加わった。あの時、イランに行っていなかったら、はるかにつまらん人生になっていたことは間違いない。
しかし、もしイランに行っていなかったら、その後の僻地旅行の楽しみなど知る由もなかったのだから、行ったらよかったと後悔することもなかったろう。ここが難しいところなのだけれど、行動を起こさなくともなにも困らないというふうに考えることもできてしまうのだ。けど、そんな人生っておもろいやろか。
もうひとつ、なにかを始める時に逡巡する理由としては、こんなん始めても続かへんのんと違うやろうか、という気持ちである。こんな気持ちはもってのほかだ。やってみて、あかんかったらあっさり諦めたらいいだけだ。そんなん恥ずかしいって? アホちゃいますか。いったい誰に対して恥ずかしいん? 心配しなくても、他人は自分のことをそんなに注意してくれてない。自分に対して恥ずかしい? それは考え方ひとつ。向いてなかった、の一言で片付けたらいいまでだ。
やってみる、行ってみるを積極的にやらへんかったら、字義どおりにも比喩の表現でも、世界はいつまでも広がりません。狭い世界に生きていくというのもひとつの選択ではあります。けど、それも、一歩踏み出してみて、やっぱり狭いほうがええわと思ってからにすべきとちゃいますやろか。
四、 貪欲に学び、経験を蓄積させていくこと
急に何かができるようにはならない
幸いなのか鈍いのか、人生を振り返ってみても後悔することはあまりない。しかし、若い頃から趣味らしい趣味がなかったことはよくなかったと反省している。
50歳くらいの時、当時大阪大学総長だった鷲田清一先生から、不良になることを勧められて(実話です)、従順な大学教員として不良化路線に走ることを決意した。以後、「ほんまによういうことを聞いてくれた」と鷲田先生からお褒めいただけるほど不良化路線を驀進した結果が今の私である。人生の恩人かもしらん。いや、ちゃうかもしらん......。
それまでは、本当に仕事ばかりしていた。ただ、趣味といえるかどうかはわからないが、読書、特にノンフィクション、中でも伝記を読むのが好きだった。自分では暇つぶし程度の認識だったが、後に、科学者の伝記についての本を出したり、読売新聞の読書委員をさせてもらえたりしたのだから、結果的には実益につながった趣味ということになるのだが。
なんでもええから、継続してやることが大事という教訓は、こういった経験に基づいている。もちろん、時間の制限があるので、なんでもかんでもというわけにはいくまい。でも、どんなことであろうが細々とでも継続していたら、少しはモノになってくる。逆にいうと、いきなりなにかを始めたとしても、急にできるようにならないのである。
10年少し前から義太夫を習い始めた。大学教授などしてると、叱られる機会がほとんどない。それでは人間がダメになるからと、内田樹先生に習い事を勧められたのがきっかけだ。自慢じゃないが、遅々として上達しない。豊竹若太夫師匠に師事している仲間がたくさんいるが、才能というものがあるので、上達の度合いは人それぞれだ。しかし、どれくらいの年月やっているかは、声の出し方を聞けばおおよそわかる。やはり蓄積がものを言うのだ。
亀の甲より年の功というのは、よう言うたもんですな。何事も経験や蓄積っちゅうのはバカにならんのですわ。でも、世の中の変わり方が速くなったら、そんなことも通用せんようになるかもしれませんなぁ。そうならんことを祈ってますけど。
五、 文章を書くこと、
できれば他人の目にさらすこと
論理的に考える習慣と思考の記録
これも四と同様、あまりえらそうなことは言えない。仕事以外で文章を書くことなど、ほとんどなかった。書き始めたのは、専門誌で「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」を連載し始めた50歳あたりからである。これも、真面目な内容とはいえ仕事以外、不良化路線の一環だった。
この二つを並行しておこなうことにより、脳が活性化されるような気すらした。なんとなく、仕事とそれ以外は使う脳の領域が違うみたいな。って、あくまでも主観で、脳科学的には間違えてそうやけど、そこはまけといてください。
他人の目にさらす、というのは、自分だけがわかるような文章でなくて、他の人に理解してもらえるような文章を書くべき、という意味だ。そのためには、論理的、とまで言わなくとも、筋道の通った文章にしなければならない。漠然と考えてわかったような気持ちになっているだけではダメで、読んでわかってもらえるようにまで考え抜くことが必要なのだ。これは『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』第一幕第五回の「なんのために勉強するのか」と同じことである。
もうひとつ大事なことは、書いておかないと忘れてしまいがちということ。個人差はあると思うが、私などかなりひどい。偶然ネットで見つけた文章を読んでいて、ええこと書いてあると思ったら、以前に自分が書いたものだったことがある。もっとすごいのは、昔書いた自分の論文を読んでいて、なんと素晴らしい考察なのだと感心したこともある。アホとちゃうかと思われそうだが、本当なのだからしかたがない。
かように、他人が読んでわかるような文章を書いておくのは大事なのであります。お金はかからないし、慣れれば慣れるほど上手になるし、時間も短縮できるはず。そして、その長年にわたる効果は絶大です。やって絶対に損はありませんで。
六、 アウェイに出る勇気を持つこと
誘われたら(できるだけ)断らない
ウェルビーイング、最近よく耳にする言葉である。身体だけでなく精神面も含めた健康をどうするか。その鍵は人間関係だとされている。と言われても、どうしたらいいのかがわかりくい。しかし、アイデンティティーの違うコミュニティーグループに属していることが重要なことはわかっている。そのためには、ルーチンの生活だけでなく、アウェイに出ることが必要だ。
阪大を休職して西ドイツに留学したのだが、その間にわけあって元の職に戻れなくなった。個人的不祥事とかではありません、念のため。ピンチといえばピンチだったのだが、そのおかげで本庶佑先生の研究室に拾ってもらうことができた。まさに、人間万事塞翁が馬である。
幸運ではあったが、しんどかった。34歳で、まったく知らない人ばかりのところへ飛び込まざるをえなかったのだ。今はそうでもないが、当時は阪大と京大で人事交流はすごく少なかった。メンタリティーもずいぶんと違う。なにかのおりに、大阪と京都の間は40キロしかないが、心理的距離は地球を逆回りして4万マイナス40キロではないかと書いたことがあるほどだ。ただ、次第に慣れて、かわいがってくださる先生も増えていった。最初はつらかったけれど、5年足らずの間に、京大に移って本当によかったと思えるようになった。
若いころに他人のメシを食うことは本当に大事だということを実感した。これは、私だけではない、同じ経験をした人が口をそろえて言うことだ。日本の大学は、卒業してそのまま残る人が多いという、とんでもなくばかげたシステムになっている。明治時代じゃあるまいし。これは、組織をダメにする典型的なやり方ではないか。
そんな大きなことでなくとも、日常的にアウェイに出る姿勢を身につけておいたほうがいい。たとえばパーティーや会合だ。知っている人がほとんどいなさそうなところに呼ばれたとしよう。迷うことなく、絶対に行くべきだ。そんなところへ行って楽しいのかって? ほぼ答えはノー。しかし、10回のうち1回や2回は、素晴らしい出会いがある。そして、それが自分を大きく変えてくれるという経験を実際にしてきた。いつも会うようなメンバーとばかり会っていてはダメなのだ。
そんなん絶対無理やわ、と思われるかもしれません。でも、やってみたら、意外とおもろいです。まったくあかんかっても、ちょっとした時間とお金をロスするだけですわ。アウェイに出ることによって得られるチャンスを考えたら、それくらいたいしたことやあらしませんって。
七、 生産性をあげ、楽しみながら暮らすこと
効率よく、そして、楽しく仕事する
仕事をしながら、よくそれだけ旅行に行ったり本を出したり、その他もろもろいろんなことができますねと感心されることが多かった。もちろん現役時代の話である。仲野先生は3人いてる説を唱える人までいたほどだ。そんなわけないやろ!
時間を捻出するには二つしか方法がない。ひとつは無駄なことをやらない、そしてもうひとつは能率をあげる、だ。前者については、自分にとっての優先度を確立すればよい。無駄だと思えば、不義理を覚悟で断ればいいだけのことだ。そんなことしたら嫌われるかもと思われるかもしらんが、少々の不義理でダメになるような仲など、こちらから願い下げたらよろし。
日本人は生産性が極めて低い。かつての私もそうだった。ぐずぐずと毎日12時間くらい働いていた。しかし、悔い改めて、8時間労働に短縮することに決めた。そのためには生産性をあげねばならない。そこで導入したのがポモドーロ法である。25分を一単位にして、その間はネットやメールなどは決して見ずに集中する。そして5分休憩をとる。このやり方で仕事の効率は信じられないくらいあがった。気になる人は、「ポモドーロ法」で検索してほしい。
楽しく仕事をするって、難しいと思われるかもしれない。しかし、まず大事なのは気の持ちようだ。たとえ楽しくない仕事でも、自分で楽しいと思い込むことが肝要である。人間は悲しい時に泣き、楽しい時に笑う。だが、多くの心理学研究により、泣いていれば悲しくなるし、笑っていれば楽しくなるということがわかっている。
どうせしなければならないのなら、おもろくない仕事でもおもろいと思ってやるべきだ。とてつもなく無駄なブルシットジョブでも、半ひねりして、なんでこんなに無駄なんやと面白がることは可能である。
なんとかして楽しいと思い込めれば、もうひとつのメリットがある。楽しいことは時間の過ぎるのが速い。そう、思い込んだら試練の道を、じゃなくて、楽しいと思い込んだら、つまらない仕事の時間が速く過ぎていってくれるのだ。
あ、「思い込んだら試練の道を」というのは、昔の野球マンガ『巨人の星』のテーマソングの出だしです。つい書いただけなんで気にせんといてください。と、しょうもないことをつぶやきながら、自分ではむっちゃ大事やと思ってる「七つのヒント」を終わります。
著者情報
仲野徹 (なかの・とおる)
1957年大阪・千林生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院医学系研究科病理学の教授。2022年に退官し、隠居の道へ。2012年日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『仲野教授の 笑う門には病なし!』『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』(ミシマ社)など多数。