第184回
松村圭一郎さんとの特別企画をはじめます。
2024.10.31更新
先日の衆議院総選挙は、与党過半数割れという結果になりました。
無責任な政治、長引く物価高・・・大きなものが揺らぐなかで、私たち一人ひとりは、どう暮らしていけばいいのでしょうか?
人類学者の松村圭一郎さんは『くらしのアナキズム』のなかで、「国家なき社会」を生きることの可能性を提唱しました。
政治を政治家まかせにしてもなにも変わらない。(...)自分たちの日々の生活が政治そのものであると意識する。生活者が政治を暮らしのなかでみずからやること。それが「くらしのアナキズム」の核心にある。(『くらしのアナキズム』61頁)
いま再び松村さんとともに、「国家なき社会」を考え、よりよく生きる方法を探る緊急企画をはじめます。
第1回の本日は、2024年10月24日に発売となったばかりの雑誌『ちゃぶ台13 特集:三十年後』の巻頭に掲載したインタビューを、一部抜粋してお届けします。
私たちはこれからどう生きていく? そのひとつの指針となる言葉を、たくさんの方にお読みいただけたらと願っています。
松村圭一郎さんインタビュー
「日本の最先端は周防大島にあり」
『ちゃぶ台13』の特集を「三十年後」と決めてまもなく、まずは松村圭一郎さんに話を聞こう、ということになりました。
取材日は2024年3月11日。松村さんはフランスで一年間の在外研究を終え、数日後には日本に戻る、という時期でした。
「三十年後」を考える手つきや方法論が、文化人類学という学問の中にはあるのではないか。レッスンを受けるような気持ちではじまりました。
未来予想なんてできない、からはじめる
こんにちは、松村圭一郎です。
「未来を考える」といったテーマで、企業の人からもときどき依頼があるんです。先日も、観光業界の人から「五年後の旅がどうなるか教えてください」と聞かれて。占い師じゃないんで、そんなこと知りませんよ、と(笑)。
なぜ企業は未来を予測したいのか。いってみれば、これからのトレンドを先取りして、ひと儲けしたいわけですよね。とくに観光業界は、コロナで突然すべてがストップして、一年後の世界がどうなっているか、まったくわからない、とあれだけ身に染みて実感したはずなのに、もう「五年後」を予測したいと考えているのが面白いですね、という話からはじめました。
三十年後はこうなります、と学者から言われたことを、根拠も不確かなのにそうなるんだと思って受け止めるとしたら、それこそ占い師に聞くのと同じじゃないですか。たんなる未来予測としての三十年後を考えるって、けっこうあやふやだし、そんな予測はできないという前提で、まずはそこからはじめることが大事かなと思います。
そもそも「未来」って何なのか。いまの時点が一秒後には過去になって、一秒先の未来が現在になる。現在って「未来」の積み重なりなんですよね。未来は現在にどんどん繰り込まれていく。そのとき、私たちが把握できるのは、いま起こっていること、いま起こりつつあることです。そうやって未来が現在になり、過去になる。なので、過去とは、じつは現在となった未来が蓄積されたアーカイブでもあります。
だから、三十年前からいままでに何が起きたのかを考えることが、三十年後を考えることになる。あるいは、いまは大きな動きではないけれども、社会のなかですでにこういう動きが起きていて、それが見逃せない重要な意味をもっているんじゃないか、みたいな小さな予兆を、現在のなかから取り出していく作業になる。だから予言をするのではなくて、過去と現在をしっかり見つめることが大事なんだと思います。
大きな流れをつかみ損ねるんじゃないか
なぜ「三十年後」という特集テーマになったのか、ミシマ社の人たちから話を伺いました。今年の一月一日に能登半島地震が起きて、翌日には羽田空港の滑走路で日航機と海上保安庁の航空機が衝突する事故があり、そこから一年がはじまった。ちょうどその頃、『ちゃぶ台』の特集を考えていて、この時代につくる雑誌だから、いま起きていることと関係ないことはもちろんないけれど、何かが起きたあとにそれについてすぐに意見や主張を表明するのではなく、もっと射程の長い言葉を届けるにはどうしたらいいのか、かなり時間をかけて話し合ったそうです。それで出てきた「三十年後」というテーマ。その説明を聞いて、けっこう納得感がありました。
雑誌というと、単行本よりも速報性や、時事ネタに反応して時代の流れをつかんでいくことが求められますよね。でも、目の前で起きている出来事にそのつど反応し続けていても、本当に大きな流れみたいなものをつかみ損ねるんじゃないか、という危機感があったんだと思います。
つまり、これから何が起こるかを予測するために三十年後を設定しているというより、いま目の前で起きている現実にすぐに反応するのに疲れてしまう感覚がまずあって、反応の速度を遅らせてみよう、ということですよね。時間と情報が高速で回転してその解釈や意味に即座に反応していく回転から、三十年ぐらいのスパンで物を考えたり感じたり、あえてそれぐらいの時間をかけて落ち着こうよ、というメッセージとして受けとりました。
僕自身も、どんどんいろんなニュースが流れては過ぎ去っていく時間のなかでは、ほとんど思考ができないな、という感覚があって、一年間、ヨーロッパに来たのもそういうところと関係しています。もっと長いスパンで物事を考えたいという思いがありました。
なぜフランスで在外研究を?
ヨーロッパはアフリカや中東からたくさん移民が来ていて、フランスには、エチオピアからの移民や難民について調査する目的で来ました。移民をめぐる状況は、戦争がはじまったあと、ウクライナからも何百万人単位で流入していて、これを「移民の危機」や「難民危機」という言葉でメディアが取り上げると、新たに生まれた課題のように語られるし、そう受け止められる。でも、ヨーロッパの歴史を振り返ると、地中海を越えて人がやってきたり、出ていったりって、もう何千年も前からずっと繰り返してきたことなんですね。
そういうふうに、あるニュースを見るときに、その出来事の起きた時点での事象をそのまま捉えるのではなくて、それを歴史的な文脈を含めて、人間の長い歴史から捉え返すと、メディアが提示して受け手にこう反応してほしいという枠組みや前提とは違う視点が得られるんじゃないか、という期待がありました。
あとは『くらしのアナキズム』(ミシマ社、二〇二一年)にも書いたのですが、「国家」について考えたとき、国の領域を越えて人がどんどん入り込んでくると、国民国家みたいなものが成り立たなくなっていく。そのあとに、どんな世界がやってくるのか、考えたくて。
私たちはいま「国家」を前提に社会を考えているけれど、歴史的に見れば、それは最近の新しい形なわけです。じゃあこれから三十年後、百年後、そのままあたりまえであり続けるのか。ヨーロッパの現在の状況は、その先端を知る手がかりになるかも、という思いもあって、フランスにいます。
知識が体感としてわかるとき
いま生活している場所は、ストラスブールの中心から少し外側にある地域なんですけど、家の大きな窓が西側に向いていて、夕日がよく見えるんです。それで毎日、夕日が沈む場所を見ています。何やってんだって思われるかもしれないですけどね(笑)。ヨーロッパは緯度が高いので、一年を通して昼と夜の長さが大きく変わる。季節によって夕日が沈む時間も位置も、すごく変わるんです。夏だと二十二時ぐらいまで明るかったのが、冬になると十七時くらいには暗くなるし、日没の位置もまったく変わってしまう。
もちろん、知識としては知っていたことですが、それを生活のなかの実感として身体で感じると、ただの「情報」だったものが腹に落ちていく感覚があります。腹からの理解に落とし込むには、じっとその場で「生活する」ことが大事で、それが人類学のフィールドワークの意味でもあるんです。フィールドワークって一生懸命に調査ばかりしているわけではないんです。その場にいて起きることをどんどん身体に入れて溜めておくというか。
最初は夕日がきれいだなと思って、ただ見ていただけだったものが、数カ月後、半年後、「え! いまこんなところに日が落ちてるじゃん!」みたいな変化のなかで、いろんな出来事の意味がつながっていく。いろんな文脈のなかの意味がわかっていく。
ストラスブールはクリスマス・マーケットでも有名で、クリスマスの時期は観光客が何百万人も訪れる街です。それにストラスブールのあるアルザス地方は、クリスマスツリーの発祥の地とも言われているんです。なぜ冬にクリスマスツリーを街の中心にある広場に、しかもモミの木で立てるのか。その意味も、今回、体感として理解できました。十二月になると、もう四時半くらいには暗くなってきて、街路の木々は全部葉っぱが落ちて寂しくなるんです。でも、ツリーに使われるモミの木は常緑樹で、冬でも青々としている。その葉を茂らせた木を街の中心にボーンと立てて、電飾で光らせる。
季節の変化とともに日の光が弱まり、生命の活力が衰えて街全体が暗く寂しくなっていくなかで、またここから生命が芽吹きはじめるシンボルというか、まだここに命の芽があるよっていう希望がクリスマスツリーに託されている。二十世紀初頭に人類学者のジェームズ・フレイザーが『金枝篇』という本で似たようなことを書いてはいるんですが、やっぱり一年を通してじっくりその場所に身を浸していたからこそ体感できるもので、そういうところに時間をかけてフィールドワークをする意味があるんですね。
問題の予兆は地方にあらわれる
三十年後。見た目として大きく変わらない部分と、根底にある感覚として変わってしまう部分があるように思います。変化をつかむために、どこに注目するかといったとき、最先端のテクノロジーや東京のような先進的な場所に注目するって、よくある話かもしれません。でも現時点の最先端って、ほんとうにそこなのかな、と疑問に思います。すでにもう栄えたり、流行ったりしているものは、あとは廃れていくだけでしょうし。変化の兆しの先っぽとして私たちが捉えたいのは、そういう都市や中心とは全然違うところで起きている何かで、おそらく『ちゃぶ台』が創刊からずっと周防大島の人たちと関係をつくって、そこを拠点に物を見ようとしているのって、直感としてこの島の現在に三十年後の世界を考えるヒントがあるんじゃないかって感じていたんだろうと思います。
(ちゃぶ台編集長の)三島さんが、周防大島に住む養蜂家の内田健太郎さんと話していたときに、人口減少の実態や危機感が自分たちとは全然違った、とおっしゃっていましたが、まさにそのテーマは重要だと思います。平川克美さんが、人口が減少していく社会はこれまでとはまったく違うものになるんだ、と書かれていますよね(『「移行期的混乱」以後』)。
「人口減少」は、地方で起こっている地方の問題、と捉えてしまいがちですが、それは明らかに「東京」の問題なんですよね。二〇二三年の東京の合計特殊出生率、一人の女性が生に生むとされる子どもの数は、〇・九九。周防大島がある山口県は一・四〇。山口では子どもが生まれているのに人口は減っていて、逆に子どもが生まれにくい東京では人口が増えている。なぜ周防大島で人が減るのかというと、せっかく島で子どもが生まれ育っても、東京や首都圏、都市部に若い人たちが流出してしまうからです。つまり、人口減少の問題の原因は都市部にあり、でもその減少の影響が先行してあらわれるのは地方、という構図なんです。
東京が最先端で、新しい変化を生み出しているわけではない。東京はむしろ現状の社会を維持するために、どんどん地方から人やリソースを吸い取りながら延命している。その延命のために若い人を奪われた周縁部から問題が先に顕在化してしまう。人口減少という一つの問題をとっても、問題の予兆は地方に先にあらわれていて、むしろ地方こそが最先端なんです。
地方で人口が減り、子どもの数も減っていく。そうなるとやがて東京も高齢化して、人口が減少しはじめる。だから人口減少の影響は都市部にも遅れてやってきます。
たとえば、周防大島で起きている小学校の統廃合は、岡山でもそうだし、ほかの瀬戸内の島でも、あっという間に小学校が消えていっていますよね。小学校が消えると、地域の運動会がなくなったり、地域の人が集まる機会が失われたりして、コミュニティを維持していくのが難しくなる。地方がどうやってその状況を乗り越えるかは、じつは東京とか都市部の人にとっての先例になると思います。やがては東京の人たちも地方が取り組んだ試みから学ばなければならないときがくる。
(・・・つづく)
つづきは、ぜひ『ちゃぶ台13』にてお読みください。
本企画の第2弾では、松村圭一郎さんに緊急インタビューを行う予定です。どうぞお楽しみに!