第186回
万字固め「新版」発刊に寄せて
2025.01.17更新
本日ついに、万城目学さんのエッセイ『新版 ザ・万字固め』が発売となります!
2013年に刊行した『ザ・万字固め』に新たに5本のエッセイが加わり、装いも一新して復活。
「新版」刊行に際し、本書編集者の三島が思いを綴りました。
万字固め「新版」発刊に寄せて
三島邦弘
万城目学さんの『ザ・万字固め』が「新版」となって、装い新たによみがえります。
もと本が発刊されたのは2013年なので、干支を一周しての復刊です。
「新版」を出すことにした理由は大きくふたつあります。
ひとつ目はもちろん、万城目学さんが直木賞をご受賞されたこと。
昨年1月の発表後から、もと本のほうの注文が激増しました。そうして、あれよあれよというまに、在庫切れ。
増刷しなければ、と思いつつ、一方で直木賞受賞後の一時的な注文殺到状態だとしたらどうしよう。そんな不安がなかったわけではありません。過去、在庫切れし増刷を決めたものの、注文がピタリとやみ、そのまま増刷分が倉庫に残る経験を、何冊かの本でしてきました。増刷に慎重を期すのは当然のことです。
そのタイミングで、私も久しぶりに読み直しました。
すると、どうでしょう。
あな、面白き哉。
読み出したら止まらないとは、このこと。
一編一編が抜群におもしろいのはもちろん、この間の万城目作品の種のようなものが、本エッセイ集には散りばめられているではないか。
実際、ひとり出版社・万筆舎をたちあげ、第1作として刊行された『メトレンジャー』のいきさつは、ここに書かれている。
このエッセイ集を常に読める状態にしておくのは、版元として、当然の責務ではなかろうか。
そういう思いに駆られたとき、直木賞受賞後に新聞に書かれたエッセイを目にし、爆笑。
こうした新しいエッセイも加え、増補版として発刊するのはいかがか。こうしたアイデアに着地するのに、そう時間はかかりませんでした。
万城目文学の凄さは、今回、「新版」にはさみこまれている「ミシマ社通信」に、上田誠さんが名文を寄せてくださっています。
冒頭だけ引用しましょう。
万城目文学の恐ろしさ――脚本化を許さぬ文章の完成度について
上田誠(ヨーロッパ企画)
万城目文学は恐ろしい。
昨年(2024年)僕は、万城目さんの傑作シリーズ『鴨川ホルモー』と『ホルモー六景』を、マッシュアップして戯曲化し、舞台作品「鴨川ホルモー、ワンスモア」として上演させてもらった。やってみて思ったことは「いやリノベの余地ないな!」ということだった。
一見、奇想建築に見えるその妙ちくりんな建造物は、その実、超盤石な設計思想と計画に支えられ、足場がそうとうに固められていて、屈強な柱と充分すぎる梁と、過剰とも思える骨が内部構造を満たしていた。もちろん変化に強い柔構造をいやらしく持ってもいた。
そうした骨組みの中で、万城目さんは計画通りに、しかし時には思いつきや直感に従って計画を自在に変えながら、大胆に自在に、そして毎日着々と、セメントをこねては盛り、つどつど骨も執拗に入れながら、異貌の建築をかたちづくっていった。
平和な街にとつぜん現れたような歪なバベル。あるいは重力を無視したような公園。よく見ると空き瓶とかで造られた変態的な理想宮。万城目文学とはそうした奇建築のたぐいだと僕は思っていて、それらは不思議と夕日に映え、懐かしさをたたえ、住人も馴染んでいるのでなんだか取り壊しにくく、そして雨風にも強く。そこにはばっちりと秘密があって、体力と計画性と構造に関する嗅覚のやたらある奇人が、ひじょうに周到に粘り強くこしらえたセルフビルドであった。(・・・)
ど、どんなセルフビルドなんでしょう? ぜひ、つづきは、「新版」に同封された「ミシマ社通信」でお読みいただければ幸いです。
*
もうひとつの理由が、絶版をつくらないという方針に対するひとつのアンサーとして、というのがあります。
これについては、『なんといふ空』(最相葉月 著、2024年8月刊)に同封された「ミシマ社通信」に記した文章があるので、ここに転載いたします。
復刊本を刊行するにあたり
ミシマ社代表 三島邦弘
一冊入魂を掲げて2006年10月にミシマ社は創業しました。一冊入魂に込めた思いには、今の書き手の方々と今のことばで書かれた本を出していく、というのがあります。私たちが享受している出版文化も、その時代、その時代に、「生きた」書物が生み出されつづけたからこそ。先人たちのそうした努力に対する感謝の念を、今この瞬間にしか生まれない、この時代の書物を出すことで表してきたつもりです。以来、現在に至るまで、「ちいさな総合出版社」として、絵本、エッセイ、人文、文芸、多ジャンルにわたって約200冊の書籍を刊行しております。
また、当初より、絶版をしない方針を打ち出し、それを実現してきました(気合いで!)。
「なぜ、そんな無茶をするのですか?」とときどき訊かれます。理由は、いたって簡単。読者が読みたいと思ったときに読める。それを実現したいからです。こう思う背景には、私が少年時代、本屋さんを訪ね、ある本を注文したら、「絶版で手に入らない」と言われ、どうしても納得できなかった経験があります。「なんで、僕が買って読むから、刷ってくれたらいいやん」。少年の私は、こう言い返しました。あるロットで刷らないと、原価率が上がりすぎて、出版社の経営がきつくなる。今では当然と思っているその理由も、少年には理解できませんでした。その少年の思いに応えたい。それが、「絶版をしない」をつづけている理由の根っこにあります。
とはいえ、刊行点数が増えるにつれ、どんどん困難になってきているのが実情です。在庫がなくなるたびに増刷をしたものの、その後、ほとんど動かず、増刷分がそのまま残る。そうしたことがたび重なっていくのは、経営上、よろしくないのは論を俟たないでしょう。これからどうするか。この数年、ずっと考えつづけておりました(その解決への試みは別の機会に)。
そんな折、本年最初の刊行物である『母の最終講義』を出した直後から、著者である最相葉月さんの初エッセイ集『なんといふ空』を読みたいという声がいくつも聞こえてきます。読み返すと、『母の最終講義』のプレエピソードとも言うべきエッセイが少なくない。そして、2冊を読むことで、楽しみは倍増する! と実感しました。ですが、残念ながら他版元では絶版となっているため、ほとんどの人は読めません。ならば、この本を読めるようにすることは、『母の最終講義』を発刊した自分たちの責務である。一冊入魂で出した本を、しっかり、さらに生かすには、それしかない。このように思うに至りました。
こうして、初めて復刊という試みをおこなう次第です。
一冊入魂のあらたなかたち。多くの方々に喜んでいただけますことを願ってやみません。
(その解決への試みは別の機会に)
と書きましたが、今回の『新版 ザ・万字固め』が別の機会のひとつなのです。
発刊からだいぶ年数が経ち増刷が難しくなった本に、「新しい本」として命を吹き込む。
それが、見事にかたちになったと思っております。
なにより、万城目文学を支える文章のすごみが凝縮した一冊を残すことができ、版元としてこれ以上の喜びはありません。
ぜひぜひ、「新版」、お手にとっていただけましたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。