第8回
いちじく
2018.11.02更新
実家に帰ると父が珈琲を淹れてくれて、私が買ってきたパンを切り分けて一緒につまむ。わが家では、進々堂のアリコヴェール、フォションのショソン・オ・ポム、グランディールのクリームパンなどが好まれている。
今年はヨーロッパ企画の稽古と公演があったので、上京してから初めて、2ヶ月あまりを京都で過ごした。実家から京都の稽古場、京都公演や大阪公演の劇場へ通った。かつての自分の部屋には、まだ学習机とベッドを父が残してくれている。そこで過ごしていると、少女期の安らぎと寂しさが綯い交ぜの思い出に涙があふれてきてしようがなかった。過去への感傷に断続的に心がとらわれ少しまいった。
柳月堂のいちじくとくるみのフランスパンも、私は好きだ。ただ、いちじくの入ったパンを買って帰ると父は食指を動かさず、あんまりいちじく好きやないと言う。その理由を最近、ふっとおしえてくれた。
小さな頃、大きな家に住んでいたが貧窮に見舞われ、敷地の半分を売らなければならなくなった。父の母は難病を患い、入院していた。父の父は既に病死しており、父はおもに母方の祖母と二人暮らしだった。
売りに出した土地にはいちじくの木があった。だが土地を買った人がいちじくの木をあっさりと切り、家を建ててしまったという。いちじくを口にすると、その時分の光景や気持ちが思い出されてしまうらしいのだ。
父は日頃「悲しい」や「辛い」をこぼさない人なので、話してくれたことは、たいへんな心の損失を表す出来事であったと感じとれた。いちじくという果物の味自体に好き嫌いの所以はないのだが、味の思い起こす力が強いために、あえて近づきたくない気持ちはよくよくわかる。
私は、
固まった思い出たちを、涙の熱を借りて空へ解かそう。それは思い出を捨てようとする行為とは違い、解けた思い出に今後の私を空から見守ってもらうような心づもりだ。
なんだそれは。
これを書いているのが、東京でも京都でもなく飛行機の中で、空を移っているところだからかもしれない。ヨーロッパ企画のツアーが終わりを迎えようとする今、新たな体験を覚えていく生き方を選んでいこうと思い至った。