第10回
たまご
2019.01.08更新
小学二年生のとき、結婚式に出席したことがあった。大きなホテルの披露宴会場で赤いスイートピーを歌ったひとがいて、この曲を耳にすると、あ、と思い出す。ぱぱの結婚式だった。
つきあっているひとが、前年に京都の実家へ挨拶にきて、結婚しますと二人で報告した。こういうシーン演じたことあるなあ。おやおや実人生で起きているではないか。私は、結婚する。父と彼は数回会ったことがあったけれど「この子で大丈夫ですか」と父はあらためて聞いていた。「理屈で自分をかためてますけど、中はふやふやで、生卵みたいにもろいやつなんです」彼は率直に、大丈夫ですと答えていた。父の方がよく喋っていた。「二回目の結婚のときにこの子には寂しい思いをさせました。仲良く、楽しく、やってくれたらそれでいいです」寂しい思いか。そんなことないよと言いたくなる。父と継母と住んだマンションでは、あこがれの一人部屋を与えてもらい嬉しかった。兄は継母と住みたくなかったので祖母の家で暮らしていた。祖母は継母のことが好きではなかったようで、小言ばかり言っていた。私は祖母も継母も好きだった。なんだかうまくはいかないのな。
二年あまり経過すると、大勢の笑顔につつまれ祝福された二人も別れることになって、小学四年生のおわりに「ままとおばあちゃん、どっちと暮らしたい?」と聞かれた。「・・おばあちゃん」体が弱く、老いの進んでいく祖母を一人にさせるのは想像できなかったからだ。人生におけるこの選択のときと、マンションからもともと住んでいた祖母の家へ戻る前に、父に「ごめんな」と謝られたことを私は忘れられない。なんも、なんにも、ぱぱは悪いことしてへんやん。
小学六年生の卒業間際、何歳のときこうなる、これをする、というのを空想で書いてみるというのが学校であったのだけれど、私の人生設計図には結婚、離婚、シングルマザーになるという言葉が並んでいた。父と母がそろっている状態、共に生きる夫婦を思い描くことができなかった。そのあとも、ずっと好き、ずっと仲が良いは盲信しないようにしていた。今だって大きな自信があるわけではない。ただ、煌びやかなドレスもデコレーションもいらないから、仲良く、楽しくを、彼や互いの家族とこの先長くつづけていけたら。さて2019年がはじまった。