第13回
たましい
2019.04.14更新
4月11日に母は出棺された。雨の予報だったその日、まさかの晴天となり、葬儀を行ったお寺の境内の桜が風にふかれて盛大に舞い母を送りだしたという。私はこの話を聞かされて大きくなった。当時2歳だった私は父に抱きかかえられていたらしいが、何を見ていたのだろう。
記憶にあるのは、母が入院していたらしい病室の隅にあるごきぶりホイホイなのだが、これは記憶ではないのかもしれない。病室にごきぶりホイホイなどなかろうと思う。なぜこんなイメージが頭に残っているのかもよくわからない。
毎年桜の季節がくるたびに、桜が舞うのを見るたびに父は辛苦の念に囚われていた。母が癌で亡くなったことは父の所為ではない。しかしやさしく責任感の強い父は「いっぱい無理させたからや」と自分の所為だと思っている。あなたの所為ではないと言ってくれる人がいたとしても、自分の所為だと思ってしまう人がこの世にはいる。胸の奥からゆるされる思いというのはなかなかできるものではないのだ。
式を挙げるなら4月に。
父に桜がもたらす心象を新たなものにしたかった。過去に起きたことは変わらないが、今をつくることはできる。
母の葬儀をしたお寺の住職さんのご厚意とご協力のもと、仏前での結婚式をこの4月に挙げることができた。
入籍した1月、「結婚式しようと思う」と実家で父や兄に話したとき
「いつ?」
「4月に」
「ふ〜ん」
「今年の」
「この!?」
と二人は声をそろえて驚いていた。
私は知らなかったのだが、結婚式というのはずいぶん前から計画するものだそうだ。
2019年4月3日朝、雨。冬のような寒さ。境内の桜は凛とする空気のなか咲いていた。
お寺の一室を支度部屋とし、7時半すぎから知人のメイクさんにお化粧を始めていただき、白無垢の着付けへ。家族や友人が徐々に集まり、式の始まる前には雨があがり、支度部屋の窓から見えた庭には2匹の猫もやってきてくれた。
本堂には赤い毛氈が敷かれ、ひとりひとりの席が配置され、ご本尊の前には黄色、オレンジ、ピンクなどの明るい色の花が飾られていた。式を準備してくださった方々の祝福の思いで場の空気が変わることを目のあたりにした。華やかさと清らかさがあった。
新郎新婦はご本尊の正面に着座した。綿帽子をかぶっていたので、左右、後ろにいる皆の顔は見えなかった。鼻をすする音が聞こえていた。花粉症、だったりして。私は泣くことはなかった。生きるぞ、という思いによって背筋がのびた。住職さんの読経の間は空気に触れている肌の境界がなくなり、あたたかな気持ちが横溢するのをかんじていた。
式の翌日に、私は東京へ戻った。ドラマの撮影の合間での結婚式だった。父は風邪をひいたらしかった。お寺の門をくぐるだけで、とてもとても緊張したそうだ。あらためて新幹線の中からありがとうとメールをすると、
「きれいなふわふわの桜が咲いてたね。さおりによく似合ってた。さおりのために咲いてた」という返事がきた。