第14回
いちよう
2019.05.14更新
根岸にいる、さっちゃんのあかちゃんに会いにいった。あなたこの世に生まれて2ヵ月なの? だのにこのしっかりしたお顔立ちはどうしたものだろう。しっとりした瞳で平然と私を見つめ、言葉をもう知っているかと思うほどのはっきりした声を発していた。
さっちゃんはヴァイオリンの奏者であり、講師でもある。今年の1月、久しぶりに会ったらお腹が大きくなっていた。食事に無関心ではなかったが、からだの機能を発揮するには栄養の摂取が不十分な食習慣であったことを話してくれて、夕方のカフェでさっちゃんはチキンとゴボウのサンドイッチを食べ、私は話を咀嚼しつつカフェラテを飲んだ。あの時は寒かったんだな。
「それまでの苦しかったことなんて出産にくらべたらちっぽけなものだったよ」とさっちゃんは言った。私も出産に興味はあるが、どれくらい自分は変わってしまうんだろう、変化はどのようなものだろうと未知に対する好奇心と恐れがうずまいている。目の前のあかちゃんに手をそっと近づけると指の腹を握ってくれた。
結婚したら「引退するの?」と聞かれたことがあり、驚いた。その発想が自身にまるでなかったからだ。結婚したら女優を引退、と考える人がいることに通じていなかった。
私は何か役を演じることを通して、人生や世界を学んでいると感じる。そして実人生での経験や学びはまた演じることに還していきたいと考えている。仕事をはじめた15歳から今まで、どんなときも女優から退きたいと思ったことは一度もなかった。
5月29日に31歳になる。4年前に映画の現場で、私の在り方、私そのものに対して、監督から否定の言葉を投げかけ続けられた。その期間の仕打ち(仕打ちと書いてしまうほど)が過酷だったゆえに、「人前で何かしたいと思うことなんて浅ましい」「なぜ演技なんてするんだろう」という煩悶に陥り、しばらく抜けられないこともあったが、私という人間はどうしてそんな気持ちになったんだろうかということをそのあとに考え続けていた。辞めたいと思うことはなかったので、終生職業から離れることはないのだろう。
でも、と思う。そう、だから離さないで。今の私から未来の私へエールを込めた手紙として残す。