第18回
ちてん
2019.09.21更新
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観たことで、家から最寄りの図書館に足を運びたくなった。施設の様相はニューヨーク公共図書館とは雲泥の差ではあるのだが、実物の書籍がならぶ広い空間で呼吸をしたくなったのだ。
紙のにおいを呼び水に時がさかのぼる。小学校の図書室は蔵書数が少なかったけれど、好きだと思う児童小説を見つけた記憶がある。タイトルと背表紙で選びとっていたころだ、懐かしい。中学校は図書室なんてあっただろうか? と疑うほど利用したおぼえがない(あったにちがいない)。高校に入ると休み時間も放課後もよく立ち寄った。当時の私は教室に馴染もうとする気がなく、司書の方と話すほうが好きだったからだ。
中学三年生から芸能の仕事を始めたので、仕事との両立で充分に勉強をしてこなかったという意識がある。いや、この書きようは不適切だろう。仕事をしているから多少勉強ができなくてもいいだろうと思ってきたのではないか? おろかだ。仕事があったとてなかったとて、単に勉強が得意ではなかったのだ。
それでいながら好奇心はつよいため、本を読むことは次第に好きになってきた。学校の授業ではつまらないと感じていた分野も、図書室や書店で出会った本のおかげで関心の広がったものは少なくない。
嫌悪感をいだく先生には乱暴な言葉を使いたくなる時期が10代にあったが、橋本治さんの『ちゃんと話すための敬語の本』を読んだら、嫌いだと思う人にこそ丁重に敬語を用いて話すようになった。敬語とは相手との距離の表現であることを知って、「腹立つわ〜近づきたないわ〜」という思いを胸に、遠ざかりたい相手へ敬語の実践を試みていた。
人はざわざわしたところの方が集中しやすく読書するのはカフェが適しているという記事を読んだことがあるのだけれど、図書館にやってきてみた今の私はここで時間を忘れて本を読んだり書きものをしたりしている。日々の忙しない生活に揺られている心が静かな地に降りたつ感覚が湧く。カフェは隣の席の人の会話やメニューの甘いものなど気をそそるものが多くて困る。
近くの図書館は底知れない役目を果たしうる。まちに、世界に、存続していてほしい。
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