第20回
ほころび
2019.11.20更新
おばちゃんは、亡くなった母の姉だ。
仕事で忙しかった父の代わりに小さなころほんとうにたくさん遊んでもらった。料理は苦手だったけれど、本を読むこと、海や山や川で身体をつかって遊ぶことをおしえてくれた。「おばちゃんはお母さんにはなられへんの?」と聞くほど、おばちゃんのことが大好きだった。
そのおばちゃんに久しぶりに会った。おばちゃんが言うには10年ぶりらしいのだが、それくらい経ったのかどうかよくわからないほど前に会ったのはいつだったのかはっきりとした記憶がない。わたしはおばちゃんに会わないようにしていたからだ。
毎年正月に母方の親族が集う新年会があるのだが、わたしはそこへ、ある時から行かなくなった。伯父に役者の仕事で食べていけるのかとお金のことを穿鑿されたり、伯父の妻に「芸能人の、○○さんってどういう人なん?」と聞かれたりすることに嫌気がさした。「とってもいいひとだよ」と返事をするわたしの内心はどうでもいい質問だなと思っているので、口から出ている言葉の空虚さに自身が耐えられなくなっていった。
おばちゃんに、「演技がうまくなったね」と言われることも嫌だった。
赤ん坊の時からわたしを見ているおばちゃんからすれば自然な気持ちを伝えてくれていたのだと察するが、10年前、20代前半のわたしは「撮影現場に行ったこともないのに何をわかったようなことを言うのだろう」と思っていた。
今だったら「そんなことないよ。うまくなったなんて言われるレベルじゃないよ」と返事をするだろうし、誰かに演技がうまいと言われるよりも、作品の中で生きていると感じてもらえるようになりたい。
10年ぶりに京都のホテルで会ったおばちゃんは、白髪で、顔の皺のきざみも深くなり、すこし小さくなり、おばちゃんからおばあちゃんに差しかかっているようだった。明瞭な声は変わらない。ホテルの一階のカフェで、おばちゃんはカフェラテを、わたしはロイヤルミルクティーを飲んだ。おばちゃんはカフェラテに砂糖を入れるようになって、わたしはケーキを食べたいとは言わなくなった。
おばちゃんとわたしを繋いでくれたのは、三つ年上の従姉妹のおねえちゃんだった。母方の親族で唯一さっぱりとした人で慕っていて、たまに連絡をとる。
「おばちゃん、こないだ倒れたらしくて・・・今はどうもないんやけど、終活はじめたらしいわ。いやいや、早いよなあ。まあそれでさーちゃんに渡したいもんがあるって言うてたから連絡してあげて」
おばちゃんから渡されたものは、母の婚約指輪、結婚祝、わたしが手芸を習ったころ(おそらく小学校低学年)に手芸を覚えたことが嬉しくて作ったフェルトのうさぎの人形、かぎ針編みで作った短いマフラー、主演したドラマのDVD-BOXだった。長年とってくれていたことに驚き、DVD-BOXを購入してくれていたことも知らず、それぞれの物が懐かしく、目にして感動した。しかし同時にわたしのもとにそれらが返されるということがたまらなく哀しかった。
おばちゃん曰く、大切な姪との間にある思い出の品を自分の手ではどうにもできないということだった。わたしはわたしの中におばちゃんのような発想がなかったことと、渡した物が時を経て返ってくる事態も初めてで戸惑った。
「・・・返してくれても捨てるだけやで」と言うと
「ええねん、捨ててくれても。どうしてくれてもええねん」と言われ、
わたしはDVD-BOXを手にとり、床に投げつけておいおい泣いていた。
「なんでわたしに処分させるのよ、自分でしてよ」
そんなことを言われるおばちゃんの気持ちが想像できなかったわけではない。DVD-BOXを床に投げつけてもいけない。すべてを静かに持って帰ればよかったのだが、気持ちの整理ができず、整理したくもなく、荒々しく溢れでてしまった。目の前にいる人も、目の前にある物も、存在がつよかった。存在それぞれが内包する気持ちは不協和音をかなでた。
「処分してっていう意味じゃないねん」
でもわたしは、母の婚約指輪を父に持って行くことはできない。そうか、お金は使えばきれいに消えてしまうから、そういうところっていいんだなと不意に思いもした。おばちゃんもわたしもいつか消えてしまうのだけれど。それまで何を、いかに、受け渡したいか考えてみるできごととなった。
演劇も、上演したあとは、消えてしまうからいい。
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