第21回
ほし
2020.01.02更新
20代前半の役者が多い座組でしばらく過ごしていた。
「若い子ら」などというと見逃してしまいそうなことがある気がして、言葉づかいには留意した。それでもぽろっと「あの子は」と言ってしまう。そんなとき自分の中にかすかな恐れを見つける。 "あの人"よりも"あの子"と口走るのは、すこしばかり物を知っている年上のように振る舞いたい心があるからではないか。
一公演終え、人と人とはどのようにつきあっているのだろうかと、すでに知っていておかしくなさそうなことが疑問として浮かんできた。わたしはわたしの当たり前で動いているんだよなと12月の寒空の下、冷静になる。どこからか風鈴の音が聞こえて、なんで片付けないんだろうと思っている。人の当たり前がわたしの当たり前ではなく、わたしの当たり前も人の当たり前ではない。
人を思いやる気持ちも、相手への負担になるかもしれない。思いやるこちらには、見返りを期待する気持ちが潜んでいるのかもしれない。
"誰かのため"が過剰になることを今は警戒しているようだ。
わたしは好きになった誰かのため、がんばりやすい。またこれまで、あこがれる誰かのために向かってがんばるとき、活力に満ちてきた。なぜこのような性質を持っているのかよくわからない。自分を忘れているときが楽しい時間なのではないか。しかし誰かに強い原動力を依拠することは危なっかしいなあと思うのだ。
春に出会い、秋に戯曲を読むだけの稽古をし、冬に立ち稽古と公演をともにし、わたしを長く見ていた演出家の山口茜さんに「早織さんは、すこしずつ変わっていかれる」という言葉をいただいたことが今後のヒントになりそうだった。日々のできごとや気持ちに揺られ揺られ、すこしずつ変わっていくことは時間がかかる。時間のかかる、たまものがほしい。