第28回
くずれ
2021.01.03更新
また新たな一年がはじまった。昨年は思わぬ京都での生活があった。今年も京都での生活と東京での生活があるだろう。どちらが好きかという問いを立てたなら、どちらも好きだと答えよう。京都で長く過ごしていると東京に来たとき、水を得た魚のように伸びやかな気持ちになる。東京で長期の仕事をしていると京都に帰ったとき、腰を据えて生きる感覚を取りもどしほっとする。ふたつの場所がわたしにもたらすそれぞれの影響を、どちらも手ばなすことができそうにない。
新たな、がつづく。はじめてご一緒する演出家の方、共演者の方の中に今いて、新たな役に接している。新しい役に関わりはじめたとき、まず最も感じるのは違和感だ。わたしとは違う。わたしはこのひとのことがわからない。わかることなんてできるのだろうか? 演じることに疑いを持ち、どうして役を引き受けてしまったんだろうなあという思いまで浮かんでくる。逃げてしまいたい、まで思いが行きつくと、いいや逃げたくないという気持ちが浮上する。だって正直なところ、このひとのことが気になって気になって仕方がないのだ。このひとの声がわたしから出てきてほしい。わたしと違う。その違和感と対峙することは、肩に砂袋をのせられたかのように重たくだるい。さて普段のわたしは何を守っているのだ?
このような段階をほかの俳優も踏んで演じているかは知らない。わたしは目下役を演じる体と心が一体となっておらず、走りたくても走れず、くるおしい。この苦しみが血となり肉となったころ、「新たな」の意識もすっかり消えているのだろう。