第39回
えみ
2025.02.12更新
いつのまにか小樽という街が近くなっていた。もう何度訪れたことだろう。夫の祖母のおうちが小樽にあり、結婚前のつきあっているとき、結婚してから、たびたび一緒に「ばあちゃん」に会いにきていた。築80年の木造家屋は奥に長く、家の裏手には旧国鉄手宮線の線路跡があり、現在はきれいに整備されていて、線路沿いを散歩道としてずっと歩くことができる。ばあちゃんのおうちは漁師さんに長靴などを売るお商売をされていたらしい。部屋に上がるまでの土間にはバケツやダンボールがぽつぽつと置かれ、壁には商品か何かが収納されていたことが想像できるガラス戸の大きな棚が並んでいた。ばあちゃんこと恵美子さんは、色白で、お肌にしみがひとつも見られず、つやつやされていた。わたしの祖母は常にお化粧をしっかりとするひとだったので(それは難病を抱えていたゆえに現れる目のしたの青い隈を隠すためだったが)、恵美子さんのすっぴんのうつくしさは目映く、よく記憶している。
はじめて挨拶したとき、「結婚するの?」と出しぬけに訊かれた。孫が独身でいるより早く結婚してほしいひとのようだった。わたしは容赦なく「いえ、しません」と応えていた。当時ほんとうに、まるでする気がなかったし、その手の質問を苦手に感じていた。愛想は微塵もなかったはずだが、恵美子さんは笑っていた。
恵美子さんはもうこの世にいなくて。いらっしゃらないのか。いらっしゃらない、と書いて、わたしの胸にようやくありありと哀しみが広がっている。2025年の1月5日は四十九日法要で、小樽にいた。
長くひとり暮らしをされていたが、一年ほど前から養護老人ホームに入られていた。おうちで暮らされているときは、夫と寒い寒い台所に立ち、あまりに使いこまれてきている調理道具を駆使し出汁をとったりお米を炊いたりして、三人でよく食事をした。市場で買ってきた鮪の赤身や夫婦でつくったものを「おいしいねえ、ほんとにおいしい」とたくさん食べてもらえていたのに、ホームに入られてからその時間は叶わなくなった。ホームで会う恵美子さんは「おいしいものが食べたい」とこぼしていた。ずっと小樽にいられるわけではないから、ばあちゃんのことが大好きだった夫は、わたしよりはるかに深く複雑な気持ちだったろう。
恵美子さんは、いつも目と口もとがやさしかった。いつも温度のある音で「ありがとうね」を伝えてくれていた。会いにいきたくなる方だった。 "わたしのおばあちゃん"という感慨にはこの先もならないのだろうけど、あの存在感は心から消えゆくことはなく、小樽は恵美子さんのいらっしゃる街だったから、わたしは小樽に近くなることができたのだとたしかに言える。
編集部からのお知らせ
早織さんが舞台に出演されます!
2025年3月、劇団青年座さんの創立70周年記念公演『Lovely wife』という舞台に早織さんが出演されます。
脚本・演出は根本宗子さん。現在チケット販売中です。
Lovely wife
劇団青年座創立70周年記念公演第5弾/劇団青年座第260回公演
日程:2025年3月6日(木)~16日(日)
会場:本多劇場(東京)
一般前売開始:2025年1月30日(木)11:00~
「およげないん」第1話が特別配信中
東映特撮ファンクラブ(TTFC)で配信中のドラマ「およげないん」に、早織さんが出演されています。
第1話が「東映特撮YouTube Official」チャンネルにて特別配信中!
この機会にぜひご覧ください。
【特別配信】およげないん 京都激闘篇 第1話「おおさんしょううおの大山」
【あらすじ】
訪れた京都の旅館でおおさんしょううおの大山(おおさん)にこの旅館のパンフレットを作ってほしいと頼まれた泉海(いずみ)。ひょんなことから旅館の仲居として働きつつ10日間でパンフレットを作ることに…⁉
【出演】
泉海(いずみ):森高愛
大山(おおさん):おおさんしょううお
呑子(のんこ):瓦林桜
女将(おかみ):早織
【スタッフ】
脚本・監督:酒井善史(ヨーロッパ企画)