ミシマガ野球部

第3回

野村・門田の通算打点数は、なぜ王・長嶋の通算打点数とあまり変わらないのか ――WBCの喧騒を横目に、大阪球場のスラッガー二人に思いを馳せる〈西村健〉

2023.03.20更新

稀代の大打者の訃報に接して

 1月23日、門田博光が亡くなった日の夜、私は改めてこの稀代のホームランバッターが残した数字を眺めてみた。
 通算出場試合2571は史上9位、パ・リーグ2位。通算安打2566は史上4位、パ・リーグ2位。通算本塁打567は史上3位、パ・リーグ2位。いずれも、パ・リーグ1位は野村克也である。この二人は1970年から77年まで共に南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)でプレーし、主に門田が3番、野村が4番に座った。パ・リーグ通算安打・本塁打1位の選手と2位の選手が続くクリーンナップとはなんという破壊力だろうと思われるかもしれないが、実はこの2人がともに本塁打を30発以上放ったシーズンはなく、チームが優勝したのも一度だけだった。70年代は、門田が全盛期に入る前で、野村の全盛期の後だったのである。
 門田(プロ在籍期間:1970-92)の全盛期は80年代だ。80年から89年の間に、本塁打を40発以上放ったシーズンが4回もある。そのうちの1年が1988年、40歳で本塁打王と打点王を獲得し、「不惑の大砲」と騒がれたシーズンである。年齢的には32歳から41歳に当たる時期で、元広島の山本浩二や元中日の和田一浩らと同様、30代になってから全盛期を迎えた選手だといえよう。
 一方の野村(プロ在籍期間:1954-80)の全盛期は1960年代で、61年から68年まで8年連続本塁打王に輝いている。史上唯一の「捕手で三冠王」になったのは1965年、30歳の時。140年以上の歴史があるメジャーリーグで、三冠王を獲得した捕手は1人もいない。重労働である捕手で三冠王を獲得するというのは、とんでもないことなのである。

通算打点ランキングを見て、あることを思いつく

 もしこの二人の全盛期が重なっていたら・・・・・・と考えるのは不毛なことだが、しかし、そんなことを考えざるを得なくなるようなデータがあった。通算打点ランキングである。

 門田氏が亡くなった日に、今まで何度も見てきた通算打点ランキングを眺めてみて、ふと、ざわつくものを感じた。

1 王 貞治 2170 (プロ在籍:1959-80 読売) 
2 野村克也 1988 (1954-80 南海-ロッテ-西武)
3 門田博光 1678 (1970-92 南海-オリックスー福岡ダイエー)
4 張本 勲 1676 (1959-81 東映・日拓・日本ハム-読売-ロッテ)
5 落合博満 1564 (1979-98 ロッテ-中日-読売-日本ハム)
6 清原和博 1530 (1986-2008 西武-読売-オリックス)
7 長嶋茂雄 1522 (1958-74 読売)
8 金本知憲 1521 (1992-2012 広島-阪神) 
9 大杉勝男 1507 (1965-1983 東映・日拓・日本ハム-ヤクルト)
10 山本浩二 1475 (1969-1986 広島)
11 衣笠祥雄 1448 (1965-1987 広島)
【中略】
15 秋山幸二 1312 (1981-2002 西武-福岡ダイエー)

 まず、王と野村の通算打点の差が、182点とそれほど大きくない。
 この二人、通算本塁打の差は211本(王:868 野村:657)とかなりの大差がついている。2位野村と門田(567本)の差は90本。王の通算本塁打数はやはりダントツの数字なのである。王と野村は6-7シーズン分、門田とは9-10シーズン分差がついているといえよう。ところが打点においては、野村との差が2-3シーズン分、門田との差は6-7シーズン分程度といえる。
 そして、長嶋茂雄の通算打点は史上7位である。
 これ、もしかしたら、王・長嶋の通算打点数の合計と、野村・門田の通算打点数の合計は、そんなに変わらないのではないか? ふと、そんなことを思いついた。
 そこで、上記の打点ランキングに登場する選手について、同時期に同じチームでクリーンナップを張ったコンビの合計打点数を算出してみた。

1 王・長嶋 (コンビでの巨人在籍期間:1959-74) 3692
2 野村・門田(コンビでの南海在籍期間:1970-77) 3666
3 張本・大杉(コンビでの東映・日拓・日本ハム在籍期間:1965-74)3183
4 山本・衣笠(コンビでの広島在籍期間:1969-86) 2923
5 清原・秋山(コンビでの西武在籍期間:1986-93) 2842

 野村・門田の通算打点数は、王・長嶋に肉薄している。その差、わずか26点。こと「得点をたたき出す」ということに関していえば、この両コンビはキャリアにおいて遜色ない成果を残しているのだ。
 クリーンナップの仕事とは何か。点を生み出すことである。たとえ本塁打をあまり打てなくても、チャンスで効果的な一打を放てばよい。あるいは犠飛でしぶとく点をとってもいい。あえて乱暴なことをいえば、三番四番五番に位置する選手なら、一死三塁で四球を選ぶより、犠飛を放ったほうがいい。それが彼らに与えられた役割だからだ。
 この最も大事な仕事において、野村・門田は史上トップクラスの成績を残したといえよう。もしこの二人の全盛期が、王・長嶋のように重なっていたら・・・南海はV9巨人(1965-73、9年連続日本一)に対抗できるチームになっていたかもしれない。

 では、KNコンビ(門田・野村)は、ONコンビに匹敵するバッターだったのか? と問われると、残念ながら「否」と答えざるを得ない。
 通算OPS(長打率+出塁率、打者の能力を測る指標)を調べてみると、王は歴代1位の1.080、長嶋は歴代14位の.919(通算4000打数以上)。一方、野村は歴代32位の.865、門田は歴代17位の.907。
 通算ではなくシーズンにおける傑出度を検証すべく、打撃三部門のタイトル獲得数を調べてみると、王が歴代1位の33回(首位打者5回、本塁打王15回、打点王13回)、野村が歴代2位の17回(首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回)、長嶋が歴代4位の13回(首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回)、門田が5回(本塁打王3回、打点王2回)と、こちらも歴然たる差がついている(ちなみに歴代3位は落合で、各5回ずつ)。
 やはり、打者としての能力は、野村・門田は王・長嶋と比較すると一枚劣ると言わざるを得ない。
 ちなみに王・長嶋が共に在籍していた時の巨人(1959-74)は、1962年を除き、16シーズン中15シーズンで得点数リーグ1位で、1968年などは2位の中日と153点も差がついている。得点をたたき出す力という点では、王・長嶋は史上最強のコンビといえるだろう。

驚愕!王の通算併殺打数

 ではなぜ野村・門田は通算打点において、王・長嶋に肉薄することができたのか?
 二人は王・長嶋よりも勝負強かったのだろうか。長嶋は「記憶に残る男」と言われ、ここ一番で強いという印象が持たれているが、実際のところはどうなのだろうか。残念ながら彼らの通算得点圏打率を調べ出すことができなかったので、かろうじて勝負強さと関係ありそうなデータを引っ張り出してみる。通算併殺打数である。野村・門田がチャンスに強いのであれば、無死一塁、一死一塁でも結果を残し、併殺打数は少ないのではないだろうか。
 データをみてみると、日本プロ野球の通算併殺打1位は野村克也、378併殺打。えー・・・。まあ、足が遅いということも、一因だろう。そして意外なことに、長嶋茂雄が4位、257併殺打。長嶋は足遅くないぞ。では王はどうなのか。私は心の底から驚愕したのだが、王の通算併殺打数は159で、歴代54位。王の通算打席数11866は史上2位である。その王よりも、通算6408打席の初芝(ロッテ)のほうが併殺打が多い。初芝を俎上に上げる必要性は全くないのだが。
 王は無死一塁や一死一塁で安易に手を出して凡打に倒れることが少なかった。そして、四球で出塁することもかなり多かったのだろう。王の通算四球数は2390でこちらもダントツ(2位は落合、1475)である。一方、長嶋、野村の通算四球は少ない。通算打席数1位の野村は通算7位、長嶋は19位である。彼らは四球を選ぶよりも果敢に打つことを好み、その結果として併殺打も増えたといえる。
 ところがさらに驚くことがあって、張本勲の通算併殺打数は145本で通算70位、王よりも少ない。王よりも足が速かったからかもしれない(張本の通算盗塁数は319、王の通算盗塁は84)。併殺打1本あたりの打席数は、王が74.67打席、張本は76.70打席である。
 門田はどうか。門田の併殺打は164本で、通算48位。こちらもかなり優秀だ。
 以上述べてきた打者の四球率(打席÷四球)と、併殺打率(打席÷併殺打)を算出してみると、下記のようになる。

※併殺打率=併殺打1本あたりの打席数。値が小さいほど併殺打が多い。
※四球率=四球1個あたりの打席数。値が小さいほど四球が多い。

 

 

併殺打率

四球率

打席数

併殺打数

四球数

1

張本

76.70

8.73

11122

145

1274

2

74.63

4.96

11866

159

2390

3

門田

62.83

8.09

10304

164

1273

4

長嶋

35.80

9.50

9201

257

969

5

野村

31.67

9.56

11970

378

1252

参考

落合

39.22

6.28

9257

236

1475

 

山本

48.75

8.06

9409

193

1168

 

衣笠

39.83

11.42

10634

267

931

 

清原

47.62

7.00

9428

198

1346

 

秋山

47.45

9.96

9063

191

910

 

大杉

32.55

12.14

8658

266

713

 

初芝

38.14

12.92

6408

168

496

 比較的、王と門田、長嶋と野村がよく似た傾向を示している。慎重型の王・門田、積極型の長嶋・野村といったところか。そして、前述した他の3コンビにおいても同様の傾向があり、「慎重型の張本・清原・山本」、「積極型の大杉・秋山・衣笠」と読み取ることができる。秋山と清原の併殺打率には差はないが、秋山の方が清原よりも俊足であることを考えると(秋山:通算303盗塁、清原:59盗塁)、秋山の方が積極的といっていいのではないだろうか。
 話がそれてしまったが(と思わせつつ、のちの議論につながってくのだが)、少なくとも、門田・野村のほうが王・長嶋よりも勝負強いとはいえない、という結論である。

一番打者に差があるのか?

 では、野村・門田の前の打者が優秀で、出塁率や盗塁数が傑出していたのだろうか。
 野村克也黄金期の一番打者と言えば広瀬叔功である。通算盗塁数・通算盗塁成功率は歴代2位、通算出塁率.326。60年代前半はパ・リーグ最高の一番打者だったといっていい。だが、広瀬が南海のレギュラーでいられたのは1972年まで。門田は広瀬の恩恵をあまり受けていない。門田の黄金期、南海で一番を務めたのは島野育夫、藤原満、河埜敬幸あたりで、門田が一番打者に恵まれたとは言い難い。
 一方、長嶋、王の前を打ったのは、通算出塁率なんと.387の与那嶺要、通算盗塁歴代3位・通算出塁率.347の柴田勲など。どうやらONとKNの打点の差を、一番打者の差に帰することも難しいようだ。裏を返せば、門田が一番打者に恵まれていれば、KNの打点はONの打点を超えていたかもしれない。

結局、決め手となるのは・・・

 打者としての力量がONよりもわずかに劣るKNが、通算打点数でONに肉薄できた理由。それはつまるところ何か。私の仮説は、結局「通算四球数」と「通算打席数」の差に起因するのではないか、というものである。
 ONの通算四球数は3359、KNの通算四球数は2525。その差、実に834。当然ながら、四球は押し出し以外では打点にならない。王の四球率が門田並だったら、打点の数ももっと増えていただろう。
 王の四球の数は異常値ともいえるものだ。前述のように四球率は4.96。歴代四球40傑のなかで2位は落合の6.28。勝負を避けられた場面もかなり多かったのだろう。ちなみに去年の村上は5.19。三冠王のシーズンの数字よりも、王の通算の数字のほうが上回っているのである。

 裏を返せば、KNは王より打てなかったがために、打点を稼ぐことができたという側面は否定できない。
 もう一つは、通算打席数である。上記の表2を見ると、KNはONよりも通算打席数が多い。KNは計22274打席。ONは計21067打席。その差は1207打席。約2年ほど、KNはONより実働年数が長い計算になる。この2年間で、KNは打点数の差を詰めたのである。
 王の最終年度の成績は打率.236ながら本塁打30本 84打点。長島のそれは.244 15本 55打点で、ベストナインを受賞している。王・長嶋は余力を残して辞めたといっていいだろう。
 一方、野村克也の最終年度の成績は.217 4本 14打点。近藤唯之著『引退 そのドラマ』に、野村が引退を決意した瞬間のことが記されている。ランナー一・三塁で、さあ犠飛を打とうか(野村は通算犠飛の日本記録保持者)と打席に向かおうとしたところ、代打・鈴木葉留彦が告げられた。その時ベンチで野村は「俺の代打になった鈴木なんか、凡退してしまえ。西武なんて負けてしまえ」と念じたという。鈴木はどうなったのか。なんと、最悪のダブルプレー。野村はそれを見て、「ざまあみろ」と心中でつぶやいた。

 そして野村は、引退を決意した。今まで、何としても勝ちたい、勝ちたいと執念を燃やしていた俺が、まさか、チームが負けることを願うようになるとは・・・・・・。ここが潮時と、野村はグラウンドを去った。通算3017試合出場の日本記録(当時)を残して。
 門田の最終年度の成績は、.258 7本 23打点。それほど悪くないと思われるかもしれないが、身体はぼろぼろだったという。中溝康隆氏のコラムによると、「開幕直前に右足のふくらはぎを痛め出遅れる。さらに追い打ちをかけるように、糖尿病からくる網膜症で2メートル先の字がかすみ出す」という状態だった(「不惑の大砲・門田博光のラストダンス トルネードにとどめを刺されて」)。最終打席は、野茂英雄に対する三振で終わったという。
 野村・門田は、文字通り身体がぼろぼろになるまで、現役にこだわったといえる。野村はテスト生として入団し1年目のオフに危うくクビになりかけるという憂き目に遭った(その時「クビにしたら南海電車に飛び込みますよ」と球団を脅して何とか残してもらったのは有名な話)。門田はドラフト2位入団ではあったが、身長170cmと小柄で、高校時代は1本も本塁打を打てなかった選手だった。彼らは、立教大学で本塁打の六大学リーグ記録を打ち立てた長嶋、甲子園優勝投手の王のようなアマチュア野球のスターではなく、執念でプロのレギュラーを掴み取ったといっていいだろう。やっとの思いで手に入れたプロの一軍選手の座。それを多少打てなくなったところで、やすやすと手放すなど、二人にとっては考えられないことだった。
 天才とは決していえないであろう二人が、グラウンドにしがみつき、自らの仕事を果たそうと打席に立ち続けた結果として、NPB史上最強のコンビと同じ量の「仕事」を残したのである。こうしたところにも、プロ野球の妙味があるといえるのではないだろうか。なんだか、今年不惑を迎えるライオンズの「骨と牙」コンビ、栗山と中村を応援したくなってきた・・・。

文・西村健

某出版社の某新書レーベルの編集者。プロ野球の昔の記録を調べるのが好きです。

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