第14回
韓国文学の傑作『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』に学ぶ楽しい弱小チームライフ〈ミシマ社・須賀紘也〉
2024.06.11更新
こんにちは、ミシマ社営業チームのスガです。
開幕直後の我が中日ドラゴンズの快進撃をご覧いただきましたでしょうか? 思わずradikoの有料版を契約し、CBC、もしくは東海ラジオに耳を傾ける日々、負ける気がしませんでした。特に「ここで打って欲しい」と言う場面で必ず打ってくれた四番中田の頼もしさったら。
一時は最下位に転落したドラゴンズ、現在4位まで盛り返しています。2年連続最下位からの脱却、そして上位進出はなるでしょうか。
最近、ドラゴンズに加えてチェックしているのが韓国のプロ野球(KBO)です。こちらは毎日22時ごろに、KBOの公式チャンネルがその日の各試合のダイジェストをアップするのでチェックしています。
特に2チーム、釜山(プサン)のロッテジャイアンツと仁川(インチョン)のSSGランダースを応援し始めています。この2チームは、私が応援するチームを決めるときにポイントとしている「強すぎないこと」をクリアしていることもありますが、ファンが昔ながらのご当地歌謡曲を愛唱歌としているところにひかれています。
日本の応援団は応援歌をトランペットで演奏しますが、韓国ではスピーカーで音源を流しています。ファンが歌謡曲を熱唱するのを見ていると、スタジアムと間違えて特大のカラオケボックスに入ったかのような錯覚を覚えます。
ロッテは『釜山カルメギ』、そしてチョー・ヨンピルの歌唱が日本でもヒットした『釜山港へ帰れ』の2曲。韓国では日本の演歌に近い歌謡曲を「トロット」と呼ぶそうです。
『釜山カルメギ』→『釜山港へ帰れ』
SSGは『沿岸埠頭』。曲名は仁川の名所です。
『沿岸埠頭』 曲に合わせて手を左右に振るのがポイント、『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』にも登場します
この3曲に共通するのは哀調を帯びたメロディーと、舞台が海辺で갈매기、カルメギ、つまりカモメが登場することです。日本で言うと『かもめが翔んだ日』が重なります。先述の3曲も、『かもめ〜』と同じ失恋ソングだったり、誰かと離ればなれになる曲です。日本でも韓国でも、渡辺真知子さんの言う通りで人はどうしても哀しくなると海を見つめにきて、そしてカモメに誰かを重ねるものなのでしょう。
そして、ポイントなのが歌詞を変えずにそのまま熱唱しているところです。有名な曲を応援歌に流用するのは日本でもよくあることですが、カープの応援団が「大判小判がざっくざっく」の童謡『花咲爺』を「今日のカープは勝つ勝つ」の『宮島さん』にしたように、普通は応援用に歌詞を変えるものです。
歌詞を変えずに流用というと、ヤクルト応援団による『東京音頭』が被りますが、「花の都の真ん中で」の都市賛歌とはだいぶ雰囲気が違います。大の男たちが野球をしているのを、コブシの効いた古い失恋ソングで応援するというのは不思議な構図ですが、老いも若いも声をそろえて、その土地の年季の入った地元ソングを歌うというのは美しいものです(これは東京音頭にも言えますね)。これもDSKC(土井善晴と食を考えるクラス)で土井先生がおっしゃる「土産土法」の一つなのかもしれません。
沿岸埠頭がある港町・仁川。首都ソウルの衛星都市ということもあり、日本でいう横浜とダブります。横浜にアイスクリームが伝来したように、仁川は野球が最初に伝来した地と言われています。
現在のSSGランダースは、2000年創設のSKワイバーンズを前身としています。それより18年も前、1982年のKBO開幕とともに、仁川にあるプロ野球チームが誕生しました。このチームのファンの軌跡を描いた、韓国文学の傑作があります。
それが『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』です。
『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』とは
『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』パク・ミンギュ 著 斎藤真理子 訳(晶文社)
仁川にできた三美スーパースターズ。主人公の少年と友人のソンフンはこの地元のチームに必死に声援を送ったのですが、チームは低迷しひどいシーズンには5勝35敗で勝率.125を記録するなど、プロ野球ではなかなかお目にかかることのない数字を次々にたたき出します。
アマチュア野球しかなかった韓国野球界に「プロ」が導入され、同じようにこのころの韓国社会にも「プロ」という概念が導入されます。「お話にもならない野球っていうよりは、単に平凡な野球といったほうがはるかに正確」(『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』p146)な野球をする三美スーパースターズの惨状に、「一人の人間が平凡な人生を生きていったとする、それは何の問題もない平凡な人生だ、なのにそれがプロの世界においては恥ずかしい人生になってしまうのだと僕は思った」(同p146)と、熱心な少年ファンであった主人公は、16歳で迎えた三美スーパースターズの最終戦の夜、これから生きていく世間に恐れを抱きます。
その後は「所属が人生を決める」と覚悟を決めて、一流大への進学・一流企業への就職を果たします。しかし死に物狂いでハードワークに耐えてきた彼に、30歳になったときに通貨危機にリストラに離婚にとさまざまな困難に直面します。そんな彼を救ったものこそが、「三美スーパースターズの野球」でした。彼とソンフンはプロの世界では実現が困難である「打ちづらい球は打たず、捕りづらい球は捕らない」(同 p315)三美スーパースターズの野球を再現するためにファンクラブ(草野球チーム)を設立し、「三美スーパースターズVSプロ・オールスターズ」の試合に臨みます。
本作は小説家パク・ミンギュ(代表作に『ピンポン』『亡き王女のためのパヴァーヌ』など)のデビュー作です。1997年のIMF通貨危機で、町にあふれかえる失業者を元気づけるために小説を書き始めたという作者。ほかの作品も、競争社会にこぼれる、またつらい思いをしている方をあたたかくすくい上げてくれるものが多く見られます。自身も「一割二分五厘の勝率で僕は生きてきた」(同 p354「あとがき」)と語る作者のまなざしに、豊かに生きるとはどういうことかを考えさせられます。外に出て何も考えずにキャッチボールを始めたくなります。
また、ユーモアや韓国の懐メロが盛りだくさんなのも本作の特徴です。注釈を見返しながら読むのがおすすめです。
『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』に学ぼう
『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』は、深い感銘を与える小説であるとともに、低迷するチームのファンにとって非常に実用的な書籍であるといえます。勝てないチームを応援しているファンも、前向きに生きていくためにぜひ参考にしていただきたいところをピックアップしました。
①希望の持ち方
・選手名鑑を眺める
遊んでいても常にクラスでトップの成績を独占していたこいつは、彼だけの独特な論理で我らが三美の優秀さを強調した
「うちのチームの選手たちは、名前も憶えやすいんだ」(p47)
→ドラゴンズの選手名鑑を見ていたら、全国名字ランキング1位の「佐藤」選手は一人もいないのに、10位の「加藤」選手は4人もいました。これは「勝とう!」ということでいいのではないでしょうか。
・屁理屈
彼はずっと、後期リーグが始まれば勢力図は変わるだろうと主張し、その根拠としてOBや三星などの強豪チームが前期リーグで選手を酷使しすぎたことを挙げるのが常だった。
(中略)
それに比べれば、打ちにくい球は決して打たず、捕りにくい球は決して捕らない我らが三美こそ、冬眠から目覚めたアナグマのごとく体力を温存していると考えていい。(同 p93)
→この理論は低迷している全スポーツの全チームに転用可能です。
この「憶えやすい」も「酷使」も、友人のソンフンが編み出した理論です。同じチームのファンのポジティブな友人を探しておくというのも、勝てないチームを応援するうえで大事なポイントになりそうです。
②ミスを「再現」しよう
主人公とソンフンがつくったファンクラブは、前述のとおり三美だけがたどり着いた「打ちづらい球は打たず、捕りづらい球は捕らない」の野球の再現を目指しています。それは徹底されていて、体を張ってファイプレーをした選手が、「何やってんだ」と注意されます。その「再現」が暮らしに行き詰ったときに力を抜いてみる練習にもなり、彼らの生活を好転させていきます。
私スガは、「浮き球野球」という大会に参加しています。作家の椎名誠さんがはじめた、海の「浮き」で野球をする大会です。関東の15ほどのチームが参加しているのですが、私のチームは開幕12連敗を記録するなど、三美スーパースターズに負けないぐらいの弱小チームです。しかし、いいのです。今までは、勝利を目指してしまっていたためつらいものがありました。しかし、これはチャンスだったのです。野球選手のホームランはまねできなくても、推しの選手の大振りの三振、三塁手の豪快なトンネルはかなり細かくまねできるかもしれません。模写しているうちに、そんな失敗も愛おしく思えてきそうです。
ちなみに浮き球野球には代表的なルールが2つあります。1つは「全力でプレーしてはいけない」、もう1つは「酒を飲んでプレーしてもいい」。だから、いつでも気楽にミスできる環境が整っています。
「再現」はプレーそのもの以外でもできるかもしれません。ショッキングな逆転負けを抽象画にしてみたり、俳句を一句ひねってみたり。もちろん作品自体にミスがあってもちょうどいいのでいいきっかけになりそうです。