第19回
謎の外国人と、ほろ酔いの石井琢朗と、
26年ぶりの優勝と
――2024年日本シリーズレビュー〈松樟太郎〉
2024.11.08更新
「こういうとき、どんな顔すればいいかわからないの」
「笑えばいいと思うよ」
「新世紀エヴァンゲリオン」第六話での、綾波レイと碇シンジとの有名なやり取りです。ベイスターズの日本一が決まった瞬間の私が、まさにこれでした。
「こういうとき、どんな顔すればいいかわからない」
残念ながら私の隣にはシンジ君もいなければ碇ゲンドウもいなかったので、誰もなんのアドバイスもくれなかったのですが、多分、あのときの綾波並みにぎこちない笑顔を浮かべていたのだと思います。
何をどう間違えたのか、横浜DeNAベイスターズが日本一になりました。
私の事前予想では2勝4敗でホークスの優勝。もし3勝なんてしたらもう「ほぼほぼ日本一」だと勝手に自分基準を設けて迎えた日本シリーズは、その低いハードルすら飛び越えられずのっけから2連敗。
自分のハードルを「1勝でもしたらノルマクリア」と、中川颯のアンダースロー並みに地を這うほど下げて迎えた福岡での3~5戦はうって変わって、東、ケイ、ジャクソンの先発陣が好投し3連勝。
おそらく日本中の人が「ジャクソンって誰だ?」「ケイって何者だ?」と思ったことでしょう。ですよね。数カ月前、私も「誰やねん」と思っていましたから。
初めて彼らの名前を聞いたとき、マットホワイトやホセロといった、苦笑い程度の活躍しかしなかったベイスターズ謎外国人投手たちの顔が浮かんだものです。
そっちのほうが誰だって話ですが、そのくらい、失礼ながら活躍するとは思えなかったのです(あとすいません、「顔が浮かんだ」と書きましたが、さすがにマットホワイトやホセロの顔は覚えてません。盛りました)。
「そういえばブーチェックとかコーコランってのもいたな」などと考えながら迎えた第6戦。
「追浜駅(※注1)でブランドン(※注2)と会ったなあ」などと芋づる式に謎外国人投手のことを思い出しているうち、いつのまにかスコアは11対2になっていました。
※1 追浜駅:2軍球場の最寄駅。助っ人にいてもらっては困る場所
※2 ブランドン・マン:2年で3勝したのでブーチェックやコーコランよりは活躍。なぜか一部好事家から「マン様」と呼ばれていた
そして9回。
いつも薄ら笑いを浮かべている森原がホークス打線を3人で抑え、あっさりと試合終了。
こちらも思わず「ははは」と苦笑い。これが、26年ぶりの優勝の瞬間でした。
ちょっと予想外でした。日本一の瞬間というものはもっと劇的であるべきではないか、と思っていたからです。
ハマスタの場外には多くの人が集まり歓喜の声をあげ、SNS上では多くの人が「うおおおおー」「日本一だ!」とか大興奮して書き込んでいる中、自分はなぜか全力で喜べず、森原並みの微妙な笑顔を浮かべたのみでした。
「そもそも3位のチームである」というひけめがあるのは事実ですが、それにしても湧き上がるような興奮というものがない。
ひょっとして自分は本当のファンではないのではないか。そんな思いすらよぎりました。
そんなモヤモヤを抱えながら、優勝監督インタビューや記者会見などを経て、ビールかけへ。今はニコニコ動画がビールかけを生中継してくれるんですね。とんと優勝してないので知りませんでしたよ。
そして、宴もたけなわとなった頃、「タクロー」コールとともに、あの男が壇上に登りました。
そう、石井琢朗チーフ打撃兼走塁兼一塁ベースコーチです。
1998年のベイスターズの優勝~その後の長きにわたる低迷と、石井琢朗の歩みは、多くのベイスターズファン(というか、こじらせ気味のオールドファン)の中で密接に結びついています。
俊足巧打のショートとして活躍し、1998年の優勝に大いに貢献。まさに「ミスターベイスターズ」とも呼べるような存在だったにもかかわらず、球団と半ば対立するような形でベイスターズを去り、広島カープへ。
当時、ファンは「なんで琢朗が赤いの着てるんだ」と限りない違和感を抱いたものです。
カープで現役引退するとコーチとして活躍し、リーグ優勝に貢献。
当時、ファンは「なんで赤い上に優勝してるんだ」と思ったものです。
青いチームがどんどん勝てなくなっていく中、青いチームを象徴する人がなぜか赤いチームで活躍し、優勝までしているという違和感。
でも、ひょっとしたら同じ違和感を、石井琢朗本人も持っていたのではないでしょうか。
赤いチームの次は緑のチーム、そしてこともあろうにオレンジ色のチームと、何かの当てつけのようにセ・リーグの中で所属チームを変える中、たまに古巣の青いチームについて語る彼の言葉は、愛憎半ばするような何とも複雑なものだったからです。
そんな石井コーチが帰ってきて、ビールかけに参加して、若手のタクローコール(悪ノリ)に迎えられながら、ほろ酔いで壇上に上がる。私はつい、姿勢を正しました。
そうして始まった石井コーチの話は、「なんかフラフラしている」「やたらと誰かに絡む」「せっかく褒めた相手が呼んでも来ない(戸柱)」「途中から若手への説教になる」という「ザ・昭和の酔っ払い上司」という、ツッコミどころ満載のものでした。
でも、それを聞いた瞬間、やっと私は「あ、26年ぶりに日本一になったんだ」という実感がわいてきたのです。
森原が柳田を三振に斬って取ったときよりも、番長が優勝監督インタビューで絶叫した時よりも、桑原が謎のMVP踊りをした時よりも、琢朗がほろ酔いで若手に説教している姿を見たときに、26年間の空白が埋まった気がしたのです。
そして、その時に感じたのは歓喜よりも、ほっとしたような気分でした。
なるほど、ベイスターズが26年かけてやっとあるべき姿に戻ったから、嬉しいというよりもほっとしたのか。だから、そこまで嬉しいと思わなかったのだな、と。
そういえば、優勝監督インタビューのときの番長も、嬉しいというよりほっとしているようにも見えました。
その数日後、ベイスターズは村田修一コーチの就任を発表しました。
村田こそまさに、暗黒時代を象徴する選手。
「球団はどこまで本気で26年間の空白を埋めようとしているのか......」と、ちょっと怖くなりました。
そのうち、コーコランがコーチに就任するんじゃないだろうな。
文・松樟太郎
1975年、「ザ・ピーナッツ」解散と同じ年に生まれる。ロシア語科を出たのち、生来の文字好き・活字好きが嵩じ出版社に入社。ロシアとは1ミリも関係のないビジネス書を主に手がける。現在は、ビジネス書の編集をする傍ら、新たな文字情報がないかと非生産的なリサーチを続けている。そろばん3級。TOEIC受験経験なし。著書に『声に出して読みづらいロシア人』(ミシマ社)、『究極の文字を求めて』(ミシマ社)がある。「みんなのミシマガジン」で、『語尾砂漠』を連載中。