第23回
楽天・辛島航の「グッとくる年度別成績」〈西村健〉
2025.04.25更新
プロ野球選手名鑑で各選手の通算成績を眺めていると、しばしば印象に残る数字に出くわす。
たとえば2025年の選手名鑑の場合、巨人の丸が通算1067四球で、打率が.277で出塁率が.378、1割以上の差があることを知れば「さすがだな」と思うし、ロッテの唐川が通算81勝をマークしていることに、失礼ながら意外に多いなと驚く。ヤクルトの山下輝が通算1勝であることを知れば、2022年に日本シリーズで先発したことが強く印象に残っている私などは、もっと活躍してほしい、と思ってしまう。
しかし今回取り上げたいのは、そうした立派な成績、意外な成績、応援したくなるような成績ではなく、「グッとくる」というか、「わびさび」というか、「いとをかし」というか、そうした言葉で形容される味わい深い通算成績である。
「プロ野球選手名鑑2025」で滋味を感じた成績は下記だった。
辛島 航
1990年生まれ 35歳
飯塚高-楽天(2008年ドラフト6位=17年目)
通算成績 56勝72敗10H2S 1000回2/3 防御率3.97
辛島のイメージを正直にいう。選手名鑑で名前を見た時。「辛島ってまだがんばっているんやなあ」。予告先発で名前を見た時。「辛島ってまだがんばっているんやなあ」。試合で投げているシーンを映像で見た時。「辛島ってまだがんばっているんやなあ」。楽天の先発ローテって誰がいるんかなと思った時。「早川、岸、藤井、あと誰? 古謝? なるほど。瀧中、松井? そうか。あ、辛島もまだがんばっているのか」。
同学年の先発投手の中で6位
辛島は2019年に9勝を挙げたことがある。その時の記憶が残っているので、「まだがんばっているのか」という印象になるのだが、24年は一度も登板がなかったようだ。今年2025年はこれまで2回先発しているが、いずれも打ち込まれてしまった。
この辛島が、56勝し、かつ、72敗していて、通算防御率が3.97であるということは、投手王国とはいえないチームにおいて(投手王国なら3.97の防御率ではこんなに先発できない)ローテ投手としてある程度安定した成績を残してきたということである。
56勝72敗ということは勝率.438。同時期の楽天の通算勝率は.487。エース級とはいえないが、通算投球回数が1000投球回を超えているのは見事である。
これまでNPBで通算投球回数1000回を達成したのは371人。最近では25年3月27日に松葉(中日)が達成している。日本プロ野球は1936年からスタートしているから、乱暴に概算すると通算1000投球回を達成できる投手は1年間で5人程度。同学年の先発投手ベスト5に入る計算になるのだから大したものである。
せっかくなので調べてみると、辛島は1990年4月2日―1991年4月1日に生まれた投手の中で、通算投球回数6位だった。1位は西勇(阪神)、2位は則本(楽天)、3位は小川(ヤクルト)、4位は東浜(ソフトバンク)、5位は前述の松葉である。
(次のサイトを参考にしました:「プロ野球最強世代を探せ!」なお、選手名鑑記載以外の選手の成績は、2025年4月18日現在)
また、通算16年でまだ自由契約になっていないということは、1年2年だけ大活躍してあとは鳴かず飛ばず、ということではなく、少なくとも16シーズンのうち半分は「チームに貢献した」といえる成績を残したのだろうと想像できる。
加えて、辛島は高卒ドラフト6位。入団前に既にプロで通用する実力を備えていたわけではなく、球速や変化球において世代トップクラスの能力があったわけでもなく、入団後も、ドラフト1位の選手が受けるような英才教育を与えられたわけでもないのだろう。
入団後、周囲のレベルに圧倒されながらも、二軍で努力と工夫を重ね、なんとか一軍に定着し、生き抜いてきたのだと想像する。
二ケタは勝てないがローテは埋めてくれる投手
そこで辛島の年度別成績を下記に挙げてみよう。
2009年に高卒新人として早くも一軍で登板しているのはやや意外だったが、本格的に開花したのは入団4年目の2012年の時。そしてこのシーズンが辛島のキャリアハイなのかもしれない。8勝5敗で防御率2.53。規定投球回には達していないが、規定投球回以上のランキングでは9位に相当する。
しかし翌年以降、防御率3点未満のシーズンはない。おそらく他チームがデータを分析し、対策を練ったのがその一因だろう。
それでも完全に攻略された訳ではなく、9勝を1回、8勝を2回マークしている。二ケタは勝てないが、ローテーションは埋めてくれる投手、といったところか。
なお、「wikipedia」に記載された「選手としての特徴」は、「平均球速約137km/h、最速145km/hの速球と、スローカーブ、スライダー、チェンジアップなどの変化球を操り、打たせて取る投球が持ち味」と、いかにもなことが書いてある。
ではコントロールはどうかというと、通算与四球330、通算与四球率(9イニング当たりの四球数。数字が小さいほど優れた数字)は2.95。悪くはないが、2024年のパ・リーグ全体の与四球率は2.73だから、武器とまではいえないだろう。2012年シーズンの与四球率は1.92とかなり優秀なものだったが、2013年以降のシーズン与四球率はいずれも2.50以上である。
球速も変化球もコントロールも武器とはいいにくい投手が、プロの天才たちをなんとかして抑えてきたのである。しかし、2ケタ勝利を挙げるまでには至っていない。
そして辛島は24年以降、一軍で勝ち星を挙げられていない。
プロの世界に身を投じ、1000イニング投げてきた高卒投手の衰えを、いま、私たちは目にしている。このまま引退を迎えてしまうのか、それとも再起があるのだろうか。
辛島以外の「グッとくる成績・経歴」の選手
どちらになっても、それぞれ趣があるように思えるが、ここで参考までに辛島以外の「グッとくる成績」「グッとくる経歴」の選手の例をみてみよう。
条件は、「通算50勝以上(チームに貢献していることは確か)」、「通算100試合以上に先発登板(先発投手としてのキャリアを重ねてきている)」「ドラフト3位以下で入団(入団時は高い評価ではなかった)」「2ケタ勝利は1シーズン以下」「タイトルなし」(傑出した成績を残す実力・運はなかった)「非即戦力(二軍で研鑽を積み2年目以降に一軍定着)」である。
この条件に合致する選手が、一人だけ見つかった。
欠端光則
1963年生まれ
岩手・福岡高から1980年ドラフト3位でロッテに入団
(81-83)ロッテ-(84-94)大洋・横浜
通算成績 57勝71敗3S 1164回2/3 防御率4.36
キャリアハイ:1988年 11勝8敗1S 防御率3.22(51登板で12先発)
二ケタ勝利はこの1シーズンだけ
欠端の場合、28歳を迎えるシーズンの1991年に、一軍定着後初の勝ち星なしとなったのだが、翌年1992年は55試合登板とリリーバーとして復活。しかし93年は2試合登板に終わり、31歳となる94年に引退している。
欠端のリリーバーとしての復活を見ると、辛島にもまだチャンスがあると思えてくる(欠端の復活は29歳のことだが...)。
ただしみじみ「をかし」だなあと思ったのは、「通算50勝以上」「通算100試合以上に先発登板」「ドラフト3位以下で入団」「2ケタ勝利は1シーズン以下」「タイトルなし」「非即戦力(2年目以降に一軍定着)」という条件を満たしているのが2人しか見つけられなかったことである。おそらく他にもいるのだろうが、少なくともかなり希少価値のあるキャリア・成績であることは確かだ。
そして、一度も2ケタ勝利をマークしていないのは辛島だけである。
いまや投手の勝利数は指標としてはほとんど重視されていないが、それでも、2ケタ勝利と1ケタ勝利では印象ががらりと変わる。先発投手の一つの目標となる数字といえよう。裏を返せば、先発ローテに入って2ケタ勝てなければ、防御率が良かったとしても完全に満足することはできないのではないだろうか。
辛島は9勝が1回、8勝が3回で、「2ケタ勝利」の厚い壁を破ることができていない。そこにもどかしさを覚える一方で、「まだ完全ではない」という禅的な味わいも感じられるのではないか。
京都・龍安寺の石庭の石は15個あるのだが、一度に15個は見られない設計になっている、なぜなら15は完全な数だととらえられていて、完全な数に達するのを戒めるという意味があるという。辛島の年度別成績にも、それに類した趣があるのだ。
(ただ、この龍安寺の話はかなり有名なのだが、実は15個見えるポイントもあるのだ、と述べているサイトもある......)
いずれにせよ辛島のキャリア、年度別成績の味わい深さはかなり希少価値があるといえよう。辛島と同じ時代に生きていることに感謝したい。
文・西村健
某出版社の某新書レーベルの編集者。プロ野球の昔の記録を調べるのが好きです。