35歳大学院生

第6回

"負けてたまるかド根性"

2024.02.12更新

 あけましておめでとうございます! 球春到来! 2月1日はプロ野球のキャンプインを迎えるため、野球界のお正月とも言われています。私はというと、毎日朝から夕方まで、阪神タイガースの公式サイトの配信にくぎ付けになっています。元々は野球が嫌いだった私がこんなにも野球好きになったのは、自身が中学生の時にソフトボール部に入部したことも大きな理由のひとつです。「二度と戻りたくない」地獄の3年間でしたが、おかげさまで野球が好きになり、社会に出てから必要なことも身につきました。今では鬼監督にも感謝しています。地獄、鬼顧問など過激なワードが出てきていますが、大袈裟でも何物でもなくありのままに綴っています(笑)。今回は"根性"を築き上げてくれたソフトボール部時代について、お話しします。

 "負けてたまるかド根性"。昭和の香りプンプンで、令和の時代に何を言っているんだと思われると思いますが、これが我がソフトボール部の部訓でした。入部した理由は前回お話ししましたが、「先輩や監督が優しいのに強いなんて素敵~」と、甘い考えだったわけですが、1か月で蟻地獄だったことに気づきました。今思えば、優しかったというより、3年生の最後の大会に向けて指導者も必死で、1年生に構う時間がなかっただけだったのだと思います。課題の素振りを話しながらしていても、何も怒られませんでした。小学校にはソフトボールチームがなかったため、全員素人。少し形になるまでの1か月はほとんど放置でした。だらだらバットを振って、キャッチボールをして、ノックの補助に入る。それだけでなんとなくソフトボールをやっている気になり、満足していました。

 呑気な日々は5月の大型連休まででした。練習試合に出向き、1年生は試合中ずっと素振りをしておけということ。横目で先輩たちの試合を見ながら、バットを振っていました。すると、「お前代打や」。まだ素振りしかしたことがなく、ボールを使った練習は、バントの構えからバントするだけだった私に、監督は代打を命じたのです。ランナーもいなかったので、人生で初めてバッティングの構えからバントを試み、なんとか前に転がりました。もちろん一塁上で余裕のアウトを申告されるわけですが、スリーバント失敗にならなかったことに安堵しました。すると今度は「そのままセカンド守れ!」。ノックなんて受けたことがなく、ゴロとりレベルの1年生が急にセカンド。「無茶すぎ」と思いつつ、同級生の中で一人だけ試合に出してもらっていることを意気に感じ、「なんとなくこの辺り」のポジションにつきました。
 しかし、投手が2球ほど投じたあと「やっぱりセンターいけ! バント処理教えてないわ!」と監督。野球と同じように、ソフトボールでもバント処理の際は一塁のベースカバーに二塁手が入るのが基本で、私はまだそれを習っていませんでした。いわれるがままに、センターへ。一気に打者との距離が遠くなり「飛んでこないやろ~」と気を抜いていたところに、見事に打球が飛んできました。しかも真正面のゴロ!「これはとらないとまずい!」と思ってグラブを出したものの、時すでに遅し。見事なトンネルを披露し、グラブをかすめることもなく、打球は後ろへ転がっていきました。もうおかしくて!(笑)。絶対ダメなんですが、笑いながら打球を追いかけたのを覚えています。
 監督が鬼監督へと豹変したのはこの日以降でした。特に3年生が引退した夏以降は、下級生ながらレギュラーになったこともあり、一層過激に。「しばかれた」なんてことは日常茶飯事になりました(今の時代は絶対にアウトです!)。学校での練習中にも、ミスをするとグリップエンドで頭をコツンとやられたり、脛に向かってボールを投げられたり、頭はもちろん、頬をビンタされることもありました。いやらしいのは、監督も選手や保護者を見ているところです。頭を叩かれて泣いてしまう子や保護者が口出ししそうな人にはそれ以上はしません。我が家は、姉が全国制覇するようなバレーボール部に所属しており、超スパルタにしごかれていたことを監督も知っていたため、保護者も出てこないし、私自身も泣いたりしなかったので、加減なくどこまででもやられていました。しばかれているときは、もはや"無"でした(笑)。

 忘れられない出来事は二つ。一つは、聞き間違い事件です。真冬の土砂降りの日の練習試合での出来事です。相手投手の制球が乱れており、ランナーを置いて打順が回ってきました。カウントは2ボール。ベンチから「ウテヨ!」と大声で指示が出ました。「よし!」次のボールを私は渾身のフルスイング! その瞬間「あほかお前!」と怒号が飛びました。もう四球を出せない相手投手がストライクを取りに来るから甘いボールが来る、だから「ウテヨ」という指示だと思っていたのですが、実は監督は「待てよ!」と指示していたのです。その打席の結果は最悪なことに三振。三塁側ベンチに帰るまでもなく、打席付近までヘルメットが飛んできました。
 お察しの通り、その試合はそこで交代させられ「死ぬまでヘッドスライディングしとけ」という指示により、水たまりの中を「すみませんでした」と"アピール"しながら、ヘッドスライディングしました。鬼監督の口癖は「死ぬまでヘッドスライディング」だったので、手のひらが剥けないようにヘッドスライディングする方法もすでに取得していましたが、この日の悪天候にはかなわず、手が血だらけになったのを覚えています。
 もう一つは引退勧告事件です。これも練習試合の時、私に送りバントのサインが出ました。どちらかというと小技系の左打者だったので、バントは苦手ではありませんでした。しかし、その打席はファーストストライクをファウル。すると「代打〇〇」。一球で決められずに交代させられました。もちろん「死ぬまでヘッドスライディング」。外野の奥の方で、これも"アピール"しながら「すみませんでした~」と試合が終わるまでヘッドスライディングしました。
 試合後、ベンチを片付けていると監督が近寄ってきました。「お前もう引退せー!」。往復ビンタをくらいながら、数メートル後ろへ下がったところで段差につまずき、転んでしまいました。そこへさらにヘルメットとグラブを投げつけられました。まだ中学2年生の秋だったので、引退まで一年弱あります。鬼監督の前では「嫌です。続けさせてください。」と言いましたが、「いつ辞めてもいいなぁ」とも思っていました(笑)。こんな話を聞いたら、みなさんは「なんで辞めなかったの?」と思いますよね。辞めなかったというより、辞められなかった一番の理由は「辞めた後も毎日学校で顔を合わせるのが気まずく、続ける方がマシ!」と思っていたからです(笑)。大人になって考えると、ただの一般生徒に戻っても何も問題なかったのにと思えますが、当時はそのくらい鬼監督が怖かったのでしょう。
 結局3年間続け、全日本大会にも2回出場できました。高校も全額免除の特待生でと声をかけてもらいましたが、ソフトボール界の厳しさは十二分に味わったので普通に受験を選択しました。今の時代では考えられないような3年間でしたが、社会人になって飛び込んだマスコミの世界もなかなかの体育会系なので、そこで"負けてたまるかド根性"はいかんなく発揮されました。ソフトボール部時代の友人に会うと、爆笑しながら当時を振り返るので今となってはすごくいい思い出です。手を出すことは決してよくありませんが、様々な試練を乗り越えたり、なぜ怒られているのかを中学生ながら必死に考えたりしていたので、"耐える"や"考える"ということは身についたと思います。
 体育会系な3年間から一転、高校は第一志望の女子校に進学しました。行きたかった学校に行けるなんてスムーズな人生だなと思いますが、それも高校進学まででした・・・。次回は反省だらけの女子校生活についてお話しします。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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