35歳大学院生

第10回

いざ、アナウンサーの就職活動

2024.08.19更新

 うだるような暑さですが、大好きな季節がやってきました! 毎日朝から高校野球を4試合観戦し、夜はプロ野球観戦。1日5試合の野球観戦をする生活を送っています。アラフォーになってもここまで野球漬けの日々を過ごしているのは、前回コラムに綴ったように、初めて訪れた阪神甲子園球場に完全に惚れたから。ちなみに、今月1日は甲子園球場の100歳のお誕生日でした。幸せなことに、記念すべき日に、読売ジャイアンツやMLBボストン・レッドソックスなどでご活躍された上原浩治さんと、阪神タイガースでご活躍された藤川球児さんのレジェンドお二人とトークショーでご一緒させていただきました。「甲子園で仕事がしたい!」と思った12歳の私に「夢は叶っているよ」と伝えたいです。

 そんな夢のような仕事ができるようになったのは、間違いなく "赤ちょうちん" のおかげです。
 就職活動が本格化する大学3年生になり、周囲の友人も動き始めました。業界をしぼる人もいれば、職種をしぼる人、給与などの福利厚生を重視する人など、基準は人それぞれ。私はというと、腰掛け3年ではなく、「仕事は長く続けたい」という気持ちがあったので、そのためには「好きなことでないと続かない」ということで、大好きなスポーツに関わる仕事を一番に考えました。
 スポーツに関わる仕事と言っても多岐にわたります。最初に浮かんだのはもちろんマスコミです。「アスリートに取材して、それを自ら伝えたい」。大学生時代も野球観戦に明け暮れ、華やかなキャンパスライフとは程遠い生活を送っていた私ですが、生意気にも "アナウンサー" という職種に憧れました。あくまで "憧れ" です。アナウンサーでなくてもディレクターや新聞社の記者も取材して伝えるという仕事はできます。当時は狭き門と言われていたマスコミ業界に入るために、対策をしてくれる予備校のようなものにも通いました。いわゆるアナウンススクールというより、エントリーシートや面接の対策を行ってくれる場所でした。東京だと、テレビ朝日やフジテレビなど、各放送局がアナウンススクールを開講しており、就職試験で一緒になるアナウンサー志望者はほとんどがそのようなスクールに通っていました。そして、みんなまぶしい! キラキラしていました! 私は本当に芋くさ~い学生でしたので、アナウンサーの試験にも関わらず一人だけ真っ黒のリクルートスーツで臨んでいました。逆に目立つこともなく、埋もれていました。

 頑固な私は生意気にも「入れればどこの放送局でもよい」というわけではありませんでした。高校野球やプロ野球に関われること、オリンピックに関われること、駅伝に関われること。これらに強いこだわりがあり、NHKに入局したいと強く思っていました。NHKは各放送局採用の契約リポーターと、全国転勤でいつかはニュースウォッチナインやサンデースポーツなど看板番組を担当するチャンスのある正職員の、大きく分けて2つの採用形態があります。私は大きなスポーツ大会に関わりたかったのでもちろん正職員での入局を希望。民放はほぼエントリーシートすら通ることなく面接も受けられなかったのですが、運よくそのNHKは最終面接までとんとん進んでいきました。面接官に「うちの守本奈実に似ているね」と言われ、嬉しかったことを覚えています。結局あと一歩のところで内定はいただけず・・・。日本テレビもアナウンサーではなく総合職の試験で5次か6次面接まで進みましたが内定まではたどり着けませんでした。落ちた時は泣いて友達に電話した記憶があります。大学4年生の4月ごろだったと思います。この時期を過ぎると残っているマスコミは地方局や地方紙ばかり。大きなスポーツに関われる機会は極端に減ることから、これでマスコミの受験は "一度" 終わりにしました。

 学生時代に病院でアルバイトしていたこともあり、興味のあった製薬会社を中心に、金融やスポーツメーカーを受験しました。とある銀行の面接と第2回WBCの日本対韓国の試合が重なり、試合に集中していたら面接に全く間に合わず辞退したこともありました。結局その試合でイチローさんの素晴らしいヒットをみることができました。就職先も決まっていないのに野球を優先するなんて、やっぱり野球が好きだったみたいです。マスコミの就職活動は撃沈でしたが、無事複数の会社から内定をいただき、最終的に製薬会社に決めて就職活動を終えました。

 それから数か月。就職活動も終えて学生生活を楽しんでいた大学4年生の夏に、友人が「山口の放送局が募集してるで」と教えてくれました。それがのちに入社することになる山口朝日放送のアナウンサー職でした。山口県に行ったこともなければ山口朝日放送のことも知らない・・・。調べてみると、高校野球の地方大会を1回戦から地上波で放送しているスポーツに熱い会社ということがわかりました。「もう内定もいただいているし、落ちてもいい。受かったらラッキー!」。ここにいけば大好きな野球を仕事にできるかもしれないと、受験することにしました。
 エントリーシートの通過後、一次面接は東京支社で受けました。アルバイトで貯めたお金で夜行バスを使って東京へ。お気に入りのピンクのリュックと就活バックを持って、新宿駅に降り立ちました。マクドナルドのトイレで黒のスーツに着替え、朝マックで英気を養い、いざ銀座へ! 「一度場所を確認してから、荷物をコインロッカーへ預けよう」と思っていたのですが、まさかの迷子になり、東京支社を見つけたころにはコインロッカーへ荷物を預ける時間がありませんでした。そのまま荷物を持って会場へ向かうと、「ここで座って待っていてください」と案内されました。荷物をそこへ置いたまま面接部屋に行けると思いきや「お待たせしました。荷物はすべて持って中へ」と・・・。「うそやん!」思わず声が漏れそうになりながら、ピンクのリュックとともに中に入りました。面接官は私の顔を見ずに、リュックにくぎ付け。さんざん野球への想いを面接で伝えると、最後に「そのリュックにはグラブでも入ってるの?」と質問される始末。「こんなふざけたリュックで面接に行くなんて、絶対落ちたわ」。友人にメールすると "それは無理やろな!" と返信が来ました。
 しかし、なぜか2次面接の案内が! わけもわからず、山口県の本社へ面接に行くことになりました。
 生まれて初めての山口県。次は時間に余裕を持ってと、前泊することにしました。県庁所在地でも、電車(まだディーゼルなので汽車)は30分に1本。ビジネスホテルも多くありません。なんとか会社まで徒歩で行けそうなホテルをとりましたが、周りにはコンビニしかありませんでした。「夜ごはんどうしよう」。ホテルの机の引き出しをあけると、手書きの周辺地図があり、飲食店が5軒ほど紹介されていました。コンビニで簡単に済ませてもよかったのですが、食には貪欲な私。せっかくなら地元のおいしいものを食べたいと、載っていた焼き鳥屋さんに向かいました。当時はまだガラケーですから、事前にお店の情報を調べることは簡単ではありません。
 たどり着くと、穴の開いた赤ちょうちんがぶらさがった、引き戸の小さなお店でした。折り返そうかと思いましたが、あまりにも腹ペコだったのでおそるおそる中へ入りました。カウンターと、背中側の座敷にテーブルが2つある程度。座敷に常連とみられる男性が3人ほどいて、大将の視線の先のテレビでは巨人と阪神の試合が放送されていました。「野球観ながらさっさと食べて帰ろう」。カウンターに案内され、エノキポン酢と串を何本か頼みました。すると小柄な大将が「山口の人じゃないね~どこから来よったん?」と声をかけてくれました。山口朝日放送の試験を受けに来た旨を伝えると、「それは合格したらお祝いせんといけんね! 山口はフグが有名やから、受かったらうちでフグ食べさせちゃる!」。常連さんたちも「それは応援せんと!」と翌日の試験へ向けて背中を押してくれました。初めての山口県での夜は、温かい人に出会えてぐっすり眠れました。
 いよいよ本社での試験。"赤ちょうちん" が大活躍してくれる結果となるのです。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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