第15回
ボクは悩める坊さん。~ミッセイ和尚、2冊目を書きあげることができるのか?(前編)
2020.02.17更新
3日後、2月20日(木)に発刊する、『坊さん、ぼーっとする。 娘たち・仏典・先人と対話したり、しなかったり』。「ポップに仏教を伝えること」を大切にする白川密成さんの『ボクは坊さん。』、『坊さん、父になる。』に続く3作目になります。先日のミシマガジンでは、本書を書き終えた白川密成さんよりいただいたお言葉を掲載いたしました。(こちら)
3作目とは言うものの、1作目、2作目を書き進める道のりも順風満帆にきたわけではありませんでした。今からおよそ、7年前のことです。「人を傷つけないこと」や「文体」など色々なことを気にしつつ悩みながら書いていたものの、どうしても先を書けなくなってしまった密成さん。そんな密成さんを応援しようと、編集のミシマが「悩める坊さんをみんなで救おう(笑)」というイベントを開催します。本日は「復活ミシマガジン」として、2冊目『坊さん、父になる。』に挑戦するために行われた、公開企画会議の様子をお届けいたします。一冊ができるまでにどこで迷い、どう乗り越えていくのか。新刊『坊さん、ぼーっとする。』にも成長して登場する、娘さんの話もありますので、合わせて楽しみながら読んでいただけましたら幸いです。
(ミシマガ編集部)
白川密成『坊さんぼーっとする。娘たち・仏典・先人と対話したり、しなかったり』(ミシマ社)
※本記事は、「旧みんなのミシマガジン」にて、2013年5月7日〜5月10日に掲載されたものです。
一冊の本を書きあげる――。それはときに、登山家がエベレスト級の山に挑戦するのにひとしい覚悟と苦難を要する。それでも人は本を書こうとする。いや、書かねばならない。そこに、「山」ならぬ、「読者」がいるかぎり。すべてをわかったうえで、命を賭(と)して書き上げようとする存在、それが書き手、作家というものだろう。
今ここにひとりの悩めるお坊さんがいる。
その名を白川密成という。齢(よわい)34にして、四国は愛媛の今治・栄福寺住職であり、一児の父でもある。若き住職、31歳のまだ独身だった時代に、一冊の本を書きあげた。題名は、『ボクは坊さん。』。その名の通り、自身の坊さん体験をつづった内容である。24歳で突然住職になったミッセイ和尚は、ずっと、坊さんライフを坊さんだけが独占するのはもったいない、と思っていた。その積年の思いを、ポップソングのような言葉で伝えようとした。
幸運にも、話題になった。発刊直後から話題になり、即重版。現在、すでに7刷を数える。映画化の話まで進んでいるほどである。
発刊時、住職は「著者インタビュー」のたびにこんなことを述べていた。
「一冊目の本は、それまでの人生を詰め込んだベストアルバムのようなもの。すべてを出し切ったあとの二枚目のアルバム、つまり二冊目以降がむずかしいと思うんです」
和尚の言葉に偽りなし。
自らの説法に説得力をもたせるかのように、その通りのことが彼の身に起こる。
書けない・・・。
一冊目から2年後に、『空海さんに聞いてみよう』(徳間書店)という本を出したものの、それは『ボクは坊さん。』の流れには位置しない一冊。
彼が一冊目に切り拓いた世界をさらに豊かにする「次」の一冊が、どうしても書けない・・・。
2013年3月31日――。
『ボクは坊さん。』刊行から3年以上が経ち、本来なら「次」がもう出ているはずの時期である。
その日、「坊さん」は京都の南のはずれ、城陽市の一軒家にやってきた。
「寺子屋ミシマ社」と称するイベントにゲストとして招かれたのであった。
招待文には、こう記されていた。
「悩める坊さんをみんなで救おう(笑)」。
ゲストを誘う文句としては、なんとも失礼な言い方である。いくらなんでも、(笑)はないだろう。
穏やかな和尚として慕われているミッセイ和尚も、このときばかりはさすがに・・・。
いいえ。
キレる、どころか、手を合わせて感謝すらしたという。
「どうか私を救ってください」
いつも懇願される立場の住職が懇願する立場になっていた。
そうして神か仏か、それとも何かにすがりつくような気持ちで、(たぶん)、会場である「ミシマ社の本屋さん」へとやってこられた。
そこには、20名ほどの衆人が待機していた。「ミッセイさん再生」を願うファンや一般の方々が・・・。
呼びかけ人は、『ボクは坊さん。』の編集者であるミシマクニヒロ。
果たして、彼、および寺子屋参加人たちは、和尚を救うことができるのか?
2013年3月31日14時――。
音のない鐘の音とともに、寺子屋ミシマ社編集編の幕は開けた。
しかし、このとき誰ひとりとして、ミッセイ和尚の身に何が起こるか、知る由もなかったのである。
大幅に書き直した一冊目
ミシマ いま、2冊目をご執筆中ですが、 実をいうと、一冊目の『ボクは坊さん。』も難産だったんですよね。
ミッセイ ええ。最初は、「ほぼ日」に連載していたものを並び替えたもので出そうと思ってたんです。
ミシマ そうですよね。で、読ませてもらって、たしかに面白いのですが、それがどうも断片的というか、一冊を読み通してのものではないように感じたんです。それで、そのとき大幅に書き直しをお願いしました。決死の覚悟で。
で、結局文体そのものから変えようということに行き着き、語尾を「ですよね?」みたいな感じで書いてらっしゃったところから、「である」調になったりというふうに変化していって今の形になりました。
戸籍に登録された名前が突然、変わる――。
そんな経験が自分の身に降りかかるなんて、多くの人は想像もしないだろう。もちろん、僕だってそうだった。
だけどそれは、実際におこった。白川歩として生きてきた僕の二十四年間は、ある日、突然終わり、新しい名前で生きることになった。
二〇〇一年十一月。
僧侶であった祖父が他界した数日後、僕は改名手続きをするために裁判所を訪れた。
帽子をかぶったまま、「あの、突然ですが名前を変えたいのですが......」と要領を得ない僕に、職員のおばさんは、「あなたねぇ、名前って、そう簡単に変えられるものじゃないのよ」とため息をつきながら、少し不機嫌な表情だったけれど、僕が宗教者だとわかると、おばさんの口調は微妙にやわらかくなり、あっけないほど簡単に手続きは進んだ。(『ボクは坊さん。』はじめにより)
ミッセイ 僕は書くのがすごい遅いので、結構チャレンジングな作業だったんです。もともと原作のあるものをゼロから書き直していくという作業だったので、相当苦しいんだろうなあと。でも頭から書いていくと、24歳の自分の文章がそこにあるけれど、30歳の自分の身体にフィットしたものが出てくるんです。やっぱり文章ってその人のある意味で身体的なものだから、今の自分のものが出てくるんですよね。ので、書いていて具合がいいというかちょっと気持ちよかったんですよね。
ミシマ たしかに。これ書かれたのは30歳くらいのことですよね。最初、無理して24歳のミッセイさんの文体で書こうとされていたから、あれ~? これミッセイさんが今思ってることと違うのでは!? っていう感じがありました。あと、こんな語り口じゃないはずなのに、やたらと女子高生を意識したような口調で。
ミッセイ ははは。24歳の僕は、めっちゃ「じゃん」というのを使ってました(笑)。
ミシマ (笑)。「じゃん」を使う坊さん。
ミッセイ なんか、どうも若者ぶってる感がすごく強くて。そういうのも全部取っ払って、いま使っている言葉を使って書いたというのがありますねえ。
ミシマ で、そうやって出来あがってもらった原稿が本当に素晴らしくて、ページを繰る手が止まらなかった。深みもあるし、面白さ、ポップさもあって。とにかく非常に感動しました。最初にいただいたライトな感じの文体から一冊の本になるものとしての伸びが飛躍的にあって、そこにミッセイさんの中に眠っている書き手としての潜在力を感じました。これはすごいなぁ、と思ったのがいまだに印象に残っている。
ミッセイ ああ、そうですか。ありがとうございます。
そのときに、文体を変えただけでなくって、仏典の言葉や弘法大師の言葉とかを僕たちの生活に生かせそうな活かせそうな形で、全然とってつけたような形にならずに散りばめていけたというのが、そのときよかったなあと思いますね。
で、出した後に、すごく評価いただいたんです。
よくミュージシャンが前の作品を否定すると新しいのが作れるといわれるんですが、僕はいまだにこの本を読むたびに、あっ面白いなあと思ってしまいます。
ミシマ あ、自分で言った(笑)。
ミッセイ 自分で読んで、この人ここんとこ説明上手やなあって思ったりとかね(笑)。般若心経の「空(くう)」句をラーメンに例えているんですが、これなかなかいい例えだなあと思ったりして。ぼーっとしてるときなんかは、なんかこの作者に会ってみたいなあとか思ったりね(笑)。
ミシマ (笑)
ミッセイ この本にうっとりしているうちはあかんなあとは思うんです。だから、ずっとあかんあかんと否定しようとしていたんですけど、でもそれを変に否定すんのはもうやめようと思ってるんです。少なくとも前の作品で、自分がこの本ほんまに好きやなあっていう本をミシマさんと作れた、それだけ達成感のあるものを作れたというのはひとつの共同作業としての達成だし、むしろ次のステップにせなあかんなあと思いながらも、その中で次の本は...ねえ? はははは。
ミシマ でも、ミッセイさんがおっしゃったようにこの本、いいですよねえ。
ミッセイ (笑)。そうですね。
ミシマ たとえば、「宗教は自分の中の物語を呼び覚ますものというふうに感じている」とかいうさりげない一言とかが、あ、たしかに、というふうに目を開かせるような一言がぽんぽんとさりげなく入っていて。
ミッセイ 流れがきれいに、ストーリーがうまいことできたんですよねえ。っていうふうにこの達成感を引きずっている(笑)。
企む坊さんに、ブレイクスルーを!
ミシマ これだけのものを書けるミッセイさんなので、すいすい書いていただいたらいいんじゃないかと思っているんですけど、ここに来てミッセイさんの筆が止まってしまったというのがここ1年くらいあったんですよね。
ミッセイ うん、そうですね。でも、このイベントがあるということもあって、ある意味ちょっと追い込まれています。
ミシマ そういうの重要ですよね。
ミッセイ 重要ですよね。僕が思うに、『ボクは坊さん。』では仏典を青春小説の中に埋め込むということ自体が、とても斬新で実はあんまりないことだったと思うんですよねえ。
ミシマ たしかに。
ミッセイ でね、だからそれとおんなじようなアイディアで、ロックとかポップとかの歌詞を盛り込んでいくのはどうだろうって企んだこともあるんです。なんか新しい立体感が生まれるんじゃないかな、と思って。
ミシマ いろいろと企む(たくらむ)お坊さんなんです。ほんと企むの好きですよね。Tシャツつくったり。
ミッセイ バッグ作ったりね。まあ、企んでるときはいいんですけどね。
ミシマ で、それで、そんな2冊目を出そうとしているミッセイさんが、じゃあこれからどうしていくのかというのを、今日ここでみなさんと一緒に考えていきたいと思っておりまして。この本のときもそうやって打ち合わせさせてもらって文体を変えようとか仏教の言葉を入れようとかいうことがブレイクスルーになって、ぐっと完成に近づいたというのがあったんですが、今日、その瞬間が起きればなあと思っております。
ミッセイ みなさま、僕にブレイクスルーをください。懇願!
ボクは、元書店員。
ミッセイ いやあ、そんなこんなで、何をどう書こうかなと思っていまして...。それで第一回の「沈黙」っていう回を書いてみたんですけど、なんか「いいんじゃない?」って自分では思ってるんです。この感覚で書き綴ってみようかと思ってるんですけど、どうでしょう。
沈黙
第一回「沈黙の語るもの」先日、僕は瀬戸内海の離島で行われた近所の若いお坊さんたちによる、子どもの「お泊まり合宿」に行ってきました。瀬戸内海の離島の多くには、「島四国」遍路が存在しま す。これは、四国八十八カ所をモデルにして、島のお寺や祠(ほこら)、お地蔵さんを八十八の札所にし、ミニ遍路を島の中につくっているものです(島だけでなく、全国各地にもこのような存在があります)。この島の島四国は江戸時代(1807年)に創建されたもので、お坊さんをやめて還俗したお医者さん、修験者、庄屋さんが創建しました。
僕たちも小学生の子どもたちと一緒に、この島四国を五箇所ほどお参りしたのですが、子どもたちの多くが事前に配った簡単なお経の本を欲しがったのが意外でした。「これ、くれるん?(くれるの?)」
「おわったら、あげるよ。ほしん?(欲しいの?)」「うん」「なんで?」
「法事のときにお経を憶えとったら、かっこええやん。だから、欲しい」
ということでした。意外とこんなことの連続で、「仏さんを大事にする四国のおばあさん」のような人たちは、どんどん誕生していくのかもな、思ったりしました。
バスに乗って、海が綺麗に見える山の展望公園まで登っていると、目の覚めるような大海原の風景が開けてきました。「うぉー、きれいだなぁー」僕は思わず子どもより早く歓声をあげます。すると島に住む子どもが、「えー、そんなに綺麗?」と声をかけてきまし た。
「うん。すごく綺麗!」
「まぁ、たしかに綺麗やとは思うけれど、そこまでは...。毎日、みとるしなぁ。オレら」まんざらでもなさそうだけど、あきれたような表情、そして素直な言葉にただ笑ってしまいました。
仏教のことを考えていたり、また普段の生活の中で"沈黙"ということを、今までに何度か漠然と考えてきたように思います。
お寺にいつか「詩碑」を建立したいという思いがあります。それは河合隼雄さんが亡くなられた後、出版された『泣き虫ハァちゃん』(河合隼雄、新潮社)に寄せられた谷川俊太郎さんの「来てくれるー河合隼雄さんにー」という詩です。この詩を本屋で読んだ時は、「人が人に想いを寄せる」そのひやりとするほどのあたたかな温度に、その場所からしばらく足を進めることができませんでした。その中にも「沈黙」についてとても印象的な言葉があります。
「私がもう言葉を使い果たしたとき
人間の饒舌と宇宙の沈黙のはざまで
ひとり途方に暮れるとき
あなたが来てくれる」(部分抜粋)「人間の饒舌と宇宙の沈黙」
なんという胸を突く言葉でしょうか。そして僕たちにとっての「沈黙」の意味の大きさを想像しながらも、それをうまく説明できない自分がいます。そういえば、お寺でなにか新しいイベントがするならどのようなものだろう? と考えていたときに「沈黙会(ちんもくえ)」という集いはどうかと思いついたことがあります。沈黙の少ないこの世界に、沈黙を持ち合って、人が集まる。そのことはなにか、とても「お寺らしい」「仏教らしい」と感じたのでした。そのわりには、おしゃべりな自分を自省して、ぷっとひとり噴き出し、そのままになってしまいました。『維摩経(ゆいまぎょう)』というお経があります。
お坊さんでも仏様でもない主人公が、次々にお坊さんや菩薩などを、論破していくとい う戯曲的な性格をもった面白いお経です。1〜2世紀に成立したであろう、という説があり、聖徳太子作と伝えられる『三経義疏(さんきょうぎしょ)』の中でも解説されています(ちなみにその他のふたつは『勝鬘経(しょうまんぎょう)』と『法華経(ほけきょう)』で す)そこでも大切なモチーフとして「沈黙」が登場します。
このお経の主人公の維摩(ゆいま)が、そこに集まっている菩薩たちに、(仏の教えの理想とする)分別も対立するものもない世界<不二の法門に入る>ということは、どういうことなのですか。と問いかけます。
それを受けて、徳守菩薩、徳頂菩薩、師子菩薩、妙意菩薩、無尽意菩薩、などなどの菩 薩は次々と自分の見解を述べていきます。このあたりのシーンは壮観です。
例えば徳守菩薩は「<我>と<わがもの>というのは二つに対立したものです。我があるゆえに<わがもの>があるのです。もしも我がないならば<わがもの>というものもないのです。これが不二の法門に入ることです」と応じます。そして最後の文殊菩薩が答えた後、文殊は、
「さぁ、あなたがお説きください。不二の法門に入るというのは、どういうことですか?」
と維摩に発言を促します。すると、維摩は「沈黙」するのです。(「そのとき維摩は黙然として、言葉がなかった」)
文殊はその「沈黙」に感動し声をあげます。
「みごとだ。みごとだ。さらに文字や語音も存在しない。これが真に不二の法門に入ることです」
この議論の聴衆には五千人の菩薩がいましたが、その菩薩、みんなが<不二の法門に入った>と経典には記されています。議論の当事者だけではなく、その無数の聴衆にもインパクトを与えるような、とてもスリリングで圧倒的な議論だということでしょう。僕が仏の教えに触れていると、なにかを説くとき、それは「ひとつの真理」を示すというよりは、「両極端のことを同時に心に留めなさい」ということや、「正反対とも思われるなことが、同時におこっていること」を喚起させられることがとても多いです。
「沈黙」についても同じような印象を受けるのです。
語りかける言葉を否定するのではなく(なにせこの経典も"言葉"で書かれているのですから)、「世界に現れでた言葉"のみ"で考えてはならない」「そこには同時に、"現れるかもしれなかった"無数の沈黙があることを知りなさい」「沈黙でしか、語り得ないものがあるとしたら、それを静かに耳を澄ませなさい」そのような呼びかけを、感じるのです。これは、僕の個人的な感じ方かもしれませんけれど。「沈黙」から悟りを得た五千人の菩薩。そして宇宙の「沈黙」。
答えめいたものは、今、僕の胸の中にはないですが、せめていつもよりすこし、沈黙というものに耳を傾け時間を積み上げてみたいと『維摩経』から思いました。
(前半部分のみ掲載)
ミシマ 素晴らしいと思います。と同時に、このようにも感じています。たぶん、ミッセイさんはこの半年間、仏教の部分を深めようとしてらっしゃったと思うんです。でも、仏教のところは、もう、ミッセイさんの中にあるもので十分なんじゃないかなと。
ミッセイ おお、なるほど。はいはい。
ミシマ もともと、ミッセイさんには「いかにポップに伝えるか」っていうのをめざすということがあったと思うんです。ここで再び、ミッセイさんなりの本音を素直に書くという初めのスタンスに戻られるのがいいんじゃないかな、とも感じています。
ミッセイ ああ、なるほど・・・。たしかに、「仏教的なものはもうある程度あるんじゃないか」っていうことをミシマさんに言われて、あ、そうかもなとは素直に思えました。おっしゃるように、もっと仏教的に完成度の高いものをつくりたいという野望がありまして。また野望なんですが(笑)。とすると、僕は逆に、仏教というものに引きずられていたのかなあと気づきました。
ミシマ 『ボクは坊さん。』の「はじめに」でも書かれているように「自分の言葉で、僕なりの本音を話すこと」というのが、ミッセイさんの原点だと思いますし、それは10年経ってもミッセイさんの中では同じだと思うんです。
ミッセイ そうですよね。あと、僕が初めの頃に思っていて、今も自戒として思っているのは、結局本って読者に届けるものなんです。僕が褒められるために書いてるわけじゃあない。僕の思いはもちろん必要なんですが、お客さんにこれが欲しい! と思ってもらうものだと思うんです。
ミシマ あ、そう! そうなんですよ。
ミッセイ 僕、元書店員なんで、......届かない本ってやっぱり迷惑なんですよね。
ミシマ (笑)
ミッセイ 売れ残りますから(笑)。売上至上主義とかとは全く別の話で、売れる本を作っていくっていうのが必要かなあと思います。やっぱり届かないと意味がないので。
ミシマ いやあ、そこまで考えるお坊さんってこれなかなかいないですよ。元書店員さんならではですよね。前の『ボクは坊さん。』のときも、一緒に営業で書店さんにいくたびに、書店員さんにかけるミッセイさんの第一声は、「売れてますか?」。
一同(笑)
ミッセイ いやあ、昔それでご飯食べていたんでね。やっぱり売れているかどうかは気になるんですよ。
お坊さんの結婚生活
ミシマ それで、この寺子屋で知りたいのは、ミッセイさんの生活からくるエピソードの部分です。前の本から3年が経って、エピソードで言えばまず、ご結婚されましたよね。
ミッセイ そうですね。結婚しました。そのあと、娘の「おと」が生まれました。
ミシマ それは本当に大きな変化ですよね。個人としても、宗教者としても。家族ができるということは、非常に俗世間的な部分が入ってきたということでもあります。それって日本の仏教の面白さでもありますよね。
ミッセイ そうですね。国際的に見ると、ほとんどのお坊さんは結婚しないです。結婚する前にラダックというチベット仏教国に行ったときに少年僧から「お前結婚するのか?」と訊かれて、「まあ、できたらしようかと思う」って答えると、「Oh..Haaaa」って頭を抱えられましたね(笑)。
一同(笑)
ミシマ どうですか、実際に家族生活が始まって。ふつうのサラリーマンの雰囲気とかって夫婦の間であるんですか?
ミッセイ まあ、そりゃあ坊さんじゃない人から聞いたら、全くわからない会話もありますよ。僕の妻は、尼僧でもあるんで。
ミシマ お二人がご飯食べながら、昨今の仏教界の腐敗ぶりについて語ったりする、なんてことも?
ミッセイ ああああ、ありますあります。まあもちろん、ふつうの会話もしてますけども。
ミシマ いま、おとちゃんはおいくつですか?
ミッセイ いま1歳です。「マンマ」と、なぜか疑問形で「おいしい?」っていうのだけしゃべります(笑)。それを最初に聞いたときは単純にすごいなあと思いましたねえ。なんにも教えてないのにしゃべりだすって。やっぱりこういう仕事をしているので、子どもを見ていると本能というものを考えます。こういうときに人間って悲しいんやなあとか、食べるってここまで本質的なことなんやなあとか。生物として人間を見ることができるというか。自分の子を生物として見るっていうのはよくないのかもしれないですけど。
ミシマ やっぱりお子さんを見て学ぶことっていうのはあるでしょうねえ。
ミッセイ いま保育所にもお世話になっているのですが、保育所からのアンケートに妻が、「譲ること・あげること・一緒にやることを学んでほしい」って書いていて、へえそんなふうに思ってるんやって思いましたね。それは自分もまだできてないことだし、それに母が娘に対してこういう思いがあるっていうことに、「すごいなあ、いいなあ」と。仏教もそういうことだと思うので。
ミシマ その絵が面白いですね。奥さんがそれを書いていて、赤ちゃんがそこにいて、ミッセイさんがそれを見て、一番勉強してるのはミッセイさんっていう(笑)。
ミッセイ あっ、そういうシーンも次の本に書いてみると面白いかもしれないですね。ちょっとメモしときます。
ミシマ (笑)
(明日に続きます)
編集部からのお知らせ
白川密成さんのトークイベントが開催されます。
■2020年2月21日(金)東京・荻窪
「坊さん、本屋で語る」
日程:2月21日(金)19:30〜
場所:本屋 Title
■2020年2月22日(土)東京・渋谷
「本屋さん、あつまる。」たのしい本屋さんが渋谷PARCOにやってきた!
に、「ミシマ社の本屋さん」が出店。白川密成さんによる30分ミニトークを開催します!
日程:2月22日(土)
場所:渋谷PARCO 8F ほぼ日曜日
① 白川密成さん×河野通和さん(「ほぼ日の学校」学校長)
13:00~13:30
② 白川密成さん×高橋久美子さん(作家・作詞家。『今夜 凶暴だから わたし』著者)
16:00~16:30
※いずれもお申込み不要、観覧フリーです。
※トーク終了後、サイン会予定です。
※22日(土)トーク以外の時間帯で、「坊さんの3分人生相談」も実施予定です。
(詳細は後日ミシマ社Twitterなどでお知らせいたします!)