第9回
健康的ってむずかしい(中編)
2022.11.16更新
【お知らせ】この連載から本が生まれました
『元気じゃないけど、悪くない』
青山ゆみこ(著)
本連載を再構成し、大幅に加筆を加えた一冊です。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、
物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
お手にとっていただけたら嬉しいです。(2024年3月20日刊行)
身長が162センチになった思春期の頃から、かれこれ30年。わたしの体重はだいたい51〜54キロで上がったり下がったりを繰り返してきた。
飲むのも食べるのも大好きなので、欲望のおもむくままに生活していると、いつの間にかもっさり積もる部屋のほこりのような皮下脂肪で、顔と身体の輪郭が丸くなる。
ほこりが見えたら始める本気の掃除のような感覚で、わたしは半年おきくらいに脂肪の断捨離的ダイエットをして、3キロほどを1週間でぎゅっと絞っていた。手持ちの服がサイズアウトせず、健康診断でぎりぎり標準値に滑り込むような程度で。
我流ダイエットの方法はいたってシンプル。炭水化物と脂をできるだけ減らし、お酒を我慢するだけだ。
トレーニング的な運動はせず、ついでに身の回りを整理するように、普段は適当に掃除しているお風呂や換気扇などをちょっと本気で磨いたりと、あくまで日常のワークの延長で動いた。
それだけで簡単に3、4キロが落ちたのは、普段の飲み食いが旺盛すぎたのだとも思う。
だが、40代の後半にさしかかると、なんだろう、次第に手っ取り早く「落とす」ことが難しくなった。
単純に体重の数値が下がっても脂肪率は変わらなかったり、お腹はぶよぶよと締まりがない。また、ごはんやパンなどの主食を食べないと、ダイエット3日目くらいには気怠いようなしんどさを感じたり、風邪をひきやすくなったり。内側も外側も、身体の調子がすっきりしない。
「無理なダイエットを繰り返すことは身体への負担が大きく、筋肉量が減り、痩せにくい体質になります」
いろんなダイエット本に書かれていたとおりのことが、自分の身体に起きていた。
若い頃より新陳代謝が悪くなる傾向は、肌の張りでも感じていたし、全般的に身体の反応が鈍くなっている。
今までのような、その場しのぎのやり方はもう通用しないんだなあ。
50を前に、はたと実感したことも、パーソナルトレーニングを受けようと考えた大きなきっかけだった。
ユースケせんせとのトレーニングがいい感じに始まると、いよいよ本丸。
自分がなにを食べたらいいのか。なにを食べてはいけないのか。
すっかり途方に暮れていたわたしは、過去の体験を打ち明けながらすがりつくように「食」のアドバイスを求めたのだった。
期待で鼻息荒く相談するわたしに向けられたユースケせんせの提案は、拍子抜けするほどシンプルなものだった。
「青山さんが、この食事がいいんじゃないかと思うメニューと量を、まず食べてみてください」
えええ、それで失敗してきたので不安なんだけど・・・。
「大丈夫です。青山さんが食べたいと思うごはんから、足したり引いたりして、青山さんにとっていちばんストレスの少ない、かつベストな食事を探していきましょう」
その日から毎日、朝に飲むミルクティーから始まり、食事に限らず、口にしたものをひとつ残らずいちいち写メに撮り、夜寝る前にリスト化してレコーディングしたものをユースケ先生にメールで報告することになった。
それに対して例えば、こんなコメントが戻ってくる。
「お昼ごはんは、豆腐の味噌汁、納豆、豚の生姜焼きだとたんぱく質が多すぎちゃうので、豆腐をワカメやひじきなど海藻に変えると、ミネラルが摂れて、たんぱく質がいい感じの量になりますね」
あるいは、米は糖質。ダイエットで避けたい食材。そんなふうにすり込まれているわたしは手っ取り早く主食を抜こうとしていたら、こんな提案がある。
「お米は僕も大好きです。もし食べたいけれど我慢しているのなら雑穀米はいかがでしょうか。糖質の吸収が緩やかになるんです。炭水化物はすぐにエネルギーとなるので、トレーニングのある日なら、むしろ朝ご飯におにぎり一つ食べていただいたら、身体がよく動いて気持ちいいかもしれません」
なんと!
トレーニング前は身体を軽くしていった方がいいかと、お腹が空くのも我慢してトレーニングに挑んだのに・・・。
はたまた、油のカロリーが怖くて控えていると、ユースケせんせからこんなメッセージが着信した日もある。
「オリーブオイルやエゴマ油など、良質の油は適度に摂ってもらった方がいいくらいです。炒めものに使う油の量も、テフロンのお鍋なんかだと、少量でも素材の風味が出て美味しく食べられますよ」
ダイエットってとにかく「減らす」方向が良いと思いこんでいたけれど、ユースケせんせは、「食べる」選択肢を増やしてくれているようにも感じた。
その食材を食べるのに、適切なタイミングがある。素材の特徴を考えて、ほどほどの量を食べるやり方のようなもの。最初の頃は一つひとつに迷っていたが、次第に自分が好きなものを、いつ、どう食べたら良いのかつかめてきた。
「食べない」ではなく、「食べること」の意味を考え始めると、不思議なほど体重も体脂肪率も減り続けた。面白いくらいに。
栄養バランスを配慮したことで、極端なダイエットで感じたような身体の不調もなかった。
1カ月を過ぎた頃には体重4キロ減、体脂肪率5%減。
「頑張りすぎないでくださいね」とユースケせんせがさり気なくブレーキをかけてくれるほどだった。
高めだった血圧は120/80というお手本みたいな数値になった。
食生活の改善で、「目に見える」体型変化のインパクトも大きかったが、なによりわたしを日々興奮させる大きな事実が他にあった。
ここまで書いたことは、教科書通りのダイエットを、知識と節度を持ったトレーナーのもとで、正しくチャレンジしてみた。なんというか、まあ、そんな体験だったように思う。いわば想定内だ(一人ではできなかったけど)。
それとは別に、わたしにとって、人生で初めての体験が、日々、進行していた。
「お酒を飲まない」ことである。
は、はあ、そんなこと? とたいしたことに思わない人は、きっとお酒とは無縁、あるいはほどよい距離でつきあっている人でしょう。どうぞそのままで〜。
逆に、この一行に反応した人は、きっとままならない飲酒習慣がある人だろう。「飲まない」という強い意志を持たなければ、ごく当たり前に冷蔵庫から缶ビールを出してぷしゅっと開ける。その1本が呼び水、いや呼び酒となり、焼酎、ワインと次々に味を変えて喉を潤わせてしまうような、そこのあなた(それがわたし)。
成人して以降、わたしは飲むことを楽しみに生きてきた。毎日がお酒を中心に回っていたと言っても過言ではない。仕事は嫌いではなかったが、終わってから飲む酒がなかったら、わたしはそこまで頑張れただろうか。
お酒を飲み始めると、まずふっと肩の力が抜けて気が楽になり、なんともいえない高揚感が訪れる。
泣きたいようなうんざりした気分のときも、お酒が回ると胸のつかえがとれるように心の強ばりがほどけて、泣きたいだけ泣ける。
お酒を飲むと、感情をコントロールしたり抑制したりするストッパーのようなものが外れる自分が楽だった。
それを求めて、最初の一口を飲んだ。
ビール、日本酒、ワイン、ウイスキーやハードリカーまでなんでも飲む。20代や30代の頃は、アテさえいらなかった。酔うために飲むので、むしろなにか食べるのが邪魔にさえ感じていた。
記憶がなくなるくらいまで飲まないと飲んだ気がしないので、どうだろう、飲酒生活30年のうちの1年分ほどはきっと記憶がない(覚えていないので確かめようがないが・・・)。
20歳の頃から1人でも飲みに行っていたから、通っているバーの店主はもはや友人でもあるし、学生の頃からお酒の絡まない友達なんてほとんどいない。
わたしの思い出も、人間関係も、酒場を取材するような仕事だってそうだ。人生そのものに、お酒が深く関わっている。
今回パーソナルトレーニングを始めることに決めたその数年前から、わたしはお酒を止めたかった。止めるまでいかなくても、量を減らしたい気持ちがあった。でも、どうしても思い通りにならない。
特に親や愛猫との別れのあとは、自分の飲酒量が増えすぎていることに危機感も抱いていた。毎晩ワインのボトルを2本空けて、そのあとも暖炉にマキをせっせとくべるように、安価な焼酎をほぼ割らずにぐびぐびと流し込むようなお酒との付き合いは、どう考えても良くない。それはわかってはいるけれど、飲み始めると止められない。
飲酒時、感情や行動をコントロールできずに起きるトラブルは数限りなくあった。信用、お金、モノ・・・失ったものの多さたるや。
酒の上での出来事は、悪いときには悪さが強く出る。ひどい後悔のような嫌なざらつきを忘れたくて、翌日にまた飲んでごまかそうとする。そんな悪循環。
身体ももちろんしんどい。ひどい喉の渇きに、頭痛、吐き気、倦怠感。起きるのが辛いのに、寝られないというひどい二日酔い。
午前中はほとんど使い物にならず、うぅうぅとうめいてひらすら水分をとり、不快感が去るのを待ち、夕方になってようやく仕事ができるという有様だ。
遅れている仕事のストレスを、また寝る前のお酒で紛らわせるという。あとは言うまでもない。
楽しさを盛り上げてくれることも多いが、それ以上に苦しさや哀しみもすべて酒でごまかしている自分。ごまかすために必要な量が、年齢とともに増えているわたしは、いわゆる「アルコール依存症」の崖っぷちに立っている気がしてならなかった。
思い立って心療内科で相談したこともある。だが、減酒へのアドバイスはあったが、病名がつくような状態ではないからと、飲酒を禁止されることもなく、飲酒後に不快反応を出す抗酒薬を処方する段階でもないと告げられて、がっかりした。医者からレッドカードを出されたら、むしろ楽なんじゃないかと考えていたからだ。
厚生労働省「e-ヘルスネット」の「アルコールと依存」には、「どこからがアルコール依存症で、どこまでが普通の酒飲みかという線引きは、はっきり出来るものではありません」という記述がある。
アルコール依存症と、酔ったときに問題を起こすということとは異なります。それは「酒乱」であって、依存症とは違います。酔ったときにいくら問題を起こしたとしても、たまにしか飲酒しない人はアルコール依存症ではありません。逆に酔ったときに周りに迷惑をかけなくても、飲酒がコントロールできなければアルコール依存症といえます。
毎晩、それなりの量を常飲してしまうわたしは、やはりアルコールに依存しているように思える。
夫との関係でも、お酒が絡んでしょっちゅう食卓が炎上し、健康診断の結果は身体的な課題を突きつけている。どう考えてもわたしはアルコールによる問題を抱えていた。かなりの深刻さで。
さまざまな問題を
パーソナルトレーニングと共に開始した「お酒を飲まない」というルールは、食の改善どころではなく、わたしの生活を、行動を、わたしそのものを、想像を超えて変えていった。