相変わらず ほんのちょっと当事者

第12回

「受診控え」のせめぎあい(後編)

2023.03.11更新

【お知らせ】この連載から本が生まれました

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『元気じゃないけど、悪くない』
青山ゆみこ(著)

本連載を再構成し、大幅に加筆を加えた一冊です。
「わたしの心と身体」の変化をめぐる、
物語のようなノンフィクションであり、ケアの実践書。
お手にとっていただけたら嬉しいです。(2024年3月20日刊行)

(「『受診控え』のせめぎあい 前編」はこちら)

 実はわたしが最初に思いついたのは、「受診しない」という選択だった。手っ取り早く、薬だけ手に入れようと目論んだのだ。

 コロナ発症から4日目の朝のこと。
 眠りを妨げる夜間の咳に振り回され、どろんとした頭のままで、9時になるとかかりつけの呼吸器内科に電話した。
 30代中盤でわたしの喘鳴ぜんめい(ぜーぜー、ひゅーひゅー)を聞き取って気管支喘息の診断を出し、2度の肺炎を見逃さずにすぐに治療してくれた、命の恩人のような院長先生がいるクリニックで(前編の冒頭参照)、内科のほかにも乳腺外科など複数の専門医がいる中規模の地域診療所だ。

「いつも院長先生に喘息でお世話になっている者ですが」と前置きして、実はコロナになって・・・と本題に入ろうとするや、「大変申し訳ありませんが」という女性の慌てた声に遮られてしまった。
「陽性の方は、うちでは対応してないんです」

 実のところ、発熱外来がないことはクリニックのHPで確認していた。とはいえ、コロナ渦中で医療機関の対応はその時々で変更される傾向があったので、薬の処方くらいさくっとお願いできちゃうのでは? と、生ぬるく楽観視していたのである。
 しかしながら、感染症法下のもと、コロナは扱わないと決めたら、議論の余地はない。銀行法の定めにより15時きっかりに閉じる銀行窓口のように、ぴしゃりと。
 この2年、医療機関でのコロナ縛りの厳しさを情報として浴びまくっていたではないか。なのに自分事となると、こんなに都合良く見通しが甘くなるなんて。自分が恥ずかしかった。

 ただ、出鼻をくじかれたのは良かったのかもしれない。コロナ禍の医療サービスの融通の利かなさというか、正しく制度・対策が優先されることを受け入れて、「受診」のアプローチを正攻法に切り替えることに納得できたからだ。

 そもそも、わたしは「呼吸器系の基礎疾患あり」で「重症化の対象者」に入っていたため、陽性確定の当日から保健所と連絡を密に取り合っていた(第8波当時は全数把握が掲げられていた)。
 うちの自治体(市)では、コロナの相談窓口は「自宅療養者フォローアップセンター」という名称だが、ここでは保健所と呼ばせてもらう。
 
 電話連絡の担当者は日替わりにもかかわらず、驚くほど引き継ぎがスムーズで、前日のバイタル(体温、血中酸素濃度など)や症状の経過を把握した上で、毎回話ができた(すばらしい)。
 そんなわけで、体調の不安はあったが、その日の担当さんに安心してどんどん相談できたように思う。

 では、緊急性のない、コロナ患者の自分が持病の診察を受ける場合、どんな選択肢があるのだろう(落ち着いて書いているが、当時、電話口では焦りまくって涙声だった)。
 体調を気遣いつつ、担当者が最初に出してくれた提案は、「検査を受けた医療機関への相談」だった(ていうか、確かに王道)。

 わたしの陽性が確定したのは近所の耳鼻科クリニックで、軽い風邪で何度かお世話になっている。ハジメマシテの先生ではない。
 早速、電話すると、診察の合間にコールバックまでしてくれた先生だが、なにかが喉に詰まったように、口が重く、コロナの症状に対処する薬として去痰剤は出せるが、現状が喘息と診断できないから治療薬を簡単に出せないと告げられた。
「前に肺炎になったんでしょう? それがなにより気になるんです」
 すでに肺炎に進んでいたら、すぐに相応の処置が必要になる。大丈夫かとは思うけれど、重症度の判定がこの電話ではつきかねると。
「いや、まだ肺炎ではないと思います(けほけほ)」
「それは検査しないとわからないでしょう」
 話は平行線をたどり、「様子を見る」「なにかあったら救急にコールする」という合意で電話を切らざるを得なかった。
 でも、気持ち的には、つまりなにもできないと宣告されたような・・・。

 当時はまだ、重症化リスクのない人でも、感染後に出る喉の痛みや咳に対して、市販の薬を飲むのが、良いの? 良くないの? と情報が錯綜していた。
 それぞれが自己判断で、曖昧なまま感冒薬や解熱剤を服用するなかで、おおむね自然治癒を目指していた覚えがある。
 症状に個人差が大きすぎて情報を共有できないのもある。軽い風邪みたいな人もいれば、ひどい風邪みたいな人もいる。わたしはたまたま後者。
 ともあれ、ひどい風邪をひいたら、しっかり風邪薬を飲むよね。
 風邪をこじらせて喘息が出たら、喘息の治療をするよね。
 シンプルにそう思えて仕方がなかった。

「受診」を目指すトライ&エラーの当時に戻ろう。
 耳鼻科の先生とのやり取りを聞き終えた保健所の担当さんは、少し思案して、次なる提案を出してくれた。保健所が手配するコロナ感染者対応の医療機関への「診察申請」である。
 え、そんなのあるなら、ぜひ、その方向で!
 テンションの上がったわたしの声に、躊躇うように声が重なってきた。何十名もの待機申請者がいるため、いつ順番が回ってくるかわからないことをご了承ください。
 なるほど・・・。
 そして、その日の夕方遅く、保健所からの着信。淡い期待を滲ませながら出ると、「残念ですが、本日の申請は受理されませんでした」という。
 なんと、申請にすらたどりつけなかったのか・・・。
 驚いて固まっているわたしの薄暗い気配を察したのか、担当さんはフォローするように「往診」の希望申請についても教えてくれた。
「明日、もし、症状がひどくなっていたら、そちらの申請を出しましょうか?」

 心細かったあのとき、彼女たち(たまたまなのか全員女性だった)は一貫して親身に相談に乗ってくれた。感染療養中の数少ない良き思い出だ。
 ただ、わたしは往診の希望はもう出さなかった。もし申請が受理され、晴れて順番待ちの長い列に加わったとしても、診察担当が内科医とは限らないと知ったからだ。もちろん、たまたま喘息に強い呼吸器内科の先生に当たる可能性もある。でも、その確率は、年賀状お年玉くじの3等切手シートにあたるより低いように思えた(わたしはくじ運がめちゃ悪い)。

 そんなふうに、コロナ感染後の「受診」という道は、開けては閉ざされることを繰り返す。
 次々に現れるハードルが高い。いや、険しい。自分が挑もうとする山の全容が把握できず、いったいどこから登ればいいのか途方にくれるような。
 ときどき10m先を案内する人が現れるものの、コンパスもない、地図もない。装備(薬)もないまま、ワイルドに放り出されるような魔のコロナ山。
「高い病床使用率」「救急受け入れ停止」といった赤いサイレンが鳴り響く緊急事態のその前の、小さな小さな段階での話として、言葉にできない心細さがつきまとうのが、多くの人が体験したコロナ感染ではないだろうか。

 電話口で幾度となく投げかけられた「なにかあったら救急車を呼んでください」というフレーズだが、「なにか」って、具体的にどんな状況だろう。その判断は一般の人間にはとても難しい。
 選択肢がなかったわけではない。むしろ複数あったにもかかわらず、結果として、わたしは「受診」を控えることになってしまった。
 これが制度の隙間なのだろうか。
 誰のことも責められないようなもどかしさは、いまも咀嚼できず、胸の奥にある。
 
 というところから一変。
 わたしが下山ルートを見つけたのは、コロナ発症から5日目、おさまることのない咳に気持ちをもっていかれそうになりながら、スマホを眺めているときだった。
 目に飛び込んだのは、「発熱外来のオンライン診療」という文字だ。
 呼吸器内科が専科にあり、なおかつオンラインでの初診を受け付けてくれる病院に絞り込んで検索すると、該当するクリニックが近所で一軒ヒットした。
 少し迷って保健所に電話して、みなが戦友のように感じていた担当さんに「受診してもいいか」と確認すると、「有りです!」と力強い返事が返ってきた。
 すぐさまクリニックのサイトにアクセスすると、その日の午前中にひと枠だけ空きがあり、わたしはWeb問診に過去の病歴詳細を打ち込み、お薬手帳の写メをばしばし貼って送り、お昼前にZoomのようなオンラインの診察を受けた。笑顔の優しい女医さんが、呼吸も丁寧に診てくれて、コロナによる喘息の誘発と診断された。
 コロナ禍のオンライン対応に慣れた様子のそのクリニックは、受診後、最寄りの調剤薬局に処方箋を手配してくれて、「近いから直接お届けしますね」と、夕方にはわたしの手元には喘息治療薬フルセットが届いていたのだ。
 ちなみに全額公費負担、わたしは実質、無料だった。
 その夜は久しぶりに咳に邪魔されることなく、発症後はじめてまとまって睡眠がとれ、そこからはいつもの喘息の回復期のように、少しずつ症状が消えていった。

 後日談も添えておきたい。
 自宅療養期間が過ぎてから、改めて、かかりつけの呼吸器内科クリニックを受診した。
 診察室で、胸部と背中に聴診器を当てると、10数年来の付き合いとなる先生は苦笑いのような表情を浮かべた。
「喘息やねえ」
「コロナになって、すぐに咳がひどくなって・・・」
「もともと喘息を持ってるから、コロナに感染したら出るよ」
 ですよね・・・。今後感染した場合、わたしはまた喘息になるのだろうか。
「可能性は高いね。だから、今回もしっかり治療しましょう」
 2週間分の薬をどっさり抱えて帰宅した。この医療費は、もちろん一部個人負担である。

 基礎疾患のある人は、コロナで重症化する。
 この2年以上、耳にたこができるほど聞かされていたフレーズだが、コロナの症状がひどいというより、まさに持病を発症するってことなんだと、初めて腑に落ちた。

 結果的に、わたしの場合は、症状が変化したときに、持病の治療を検討したことは良かったように思う。でも、いわば素人の自己判断で薬を飲むことが適切なのか、いまもって正解はわからないままだ。

 さて、コロナ対策が大きな転換を迎えようとしている昨今。
 前述の東京新聞でも触れられているが、5類に区分が変わることで、入院調整など病院の負担は増えるのに収益は減る状況が予測されており、病院にとっては発熱外来を続けることでデメリットが生じうるという。
 制度上、開かれたように聞こえつつ、実際のところは「受診のハードル」はますます上がるかもしれない。
 さまざまな規制緩和により、基礎疾患のある人や高齢者といった感染弱者のリスクを懸念する医師もいる。
【新型コロナ】弱者の存在、忘れないで 「5類」移行で横浜労災病院副院長 緩和ムードに警鐘

「コロナの収束」に向かうといっても、ウイルスが消えるわけではない。わたし自身は、今後またいつ感染してもおかしくないと想像している。
 いわば感染弱者に近い、そんな自分は、今後どう備えればいいのだろうか。

 最近、内科診療所を開業している知人に、こんな話を聞いた。
 そのクリニックは、発熱外来として登録、公表はしていなかったが、2021年の夏頃(医療従事者がコロナワクチンの1回目接種をしたあたり)から、定期的に通院する、いわゆるかかりつけ患者が発熱などの症状を訴えた場合は、できるだけ検査や診療、薬の処方をして、難しい場合は電話で症状を聞いて、勧められる医療機関を提案したり、自治体が行う自己抗原検査に誘導していたそうだ。
 発熱外来として厚労省が把握している医療機関以外に、同じようなやり方でかかりつけ患者さんを診る地域の診療所は少なくなかったとも教えてくれた。
 そうした街のお医者さん(地域の診療所など)は、5類になろうがなるまいがスタンスはあまり変わらないのではないか。ただ、これまで発熱患者さんを診ていなかったクリニックは、院内の患者さんの導線などを含めて、対応に苦慮されるかもしれない。
 制度としてではなく、お付き合いのある関係のなかにかかりつけ医があれば良かった。それがこのコロナ禍中の、ベターな医療体制だったのではなかっただろうかと。
「お店でもそうですよね。いつも来てくださってる人の無理は多少聞いちゃう、みたいなことありますから」
 この2年と少し、危機感が途切れることがなかっただろう医療の現場にいる人からぽろりとこぼれるそんな声が、わたしの胸にじんわり深く届く。

 どんな人間関係にも言えることだが、継続して関わる、日頃のお付き合いって大事だ。
 考えてみれば、病院に行くのは不調のときだけで、回復してから「元気になりました!」とわざわざ報告する機会って、あまりない。御礼も言えずに、便りのないのが良い知らせになってしまう。辛うじて、あのときはとその後を報告するのは、次の不調を訴えるときなのだ(申し訳ない)。

 わたし自身のことだが、オンライン診療でお世話になった呼吸器内科でも、経過観察(慢性気管支炎を含めて)の診察を受けた。
 なにかあったときは、というより、なにかある前に、頼れるように。
 感染症に限らず、さまざまな状況が急変する昨今。地味だけれどそんな確かな関わりは、なにかあるといろんな意味で過剰に反応しがちなわたしの胸のあたりを、お守りのように落ち着かせてくれている。

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

文筆・編集。神戸在住。猫が好き。「読む・書く」講座やオープンダイアローグをはじめ、さまざまな対話の手法を実践中。著書に、ホスピスの「食のケア」を取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)、エッセイ『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)。共著に『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)、震災後の神戸の聞き書き集『BE KOBE』(ポプラ社)などがある。

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