第24回
三砂ちづるさん、大地へ!
2024.04.01更新
ミシマガジンでもおなじみの三砂先生が大地の丘にやってきた! 事の発端は、大地での保護者会での出来事。あおちゃんは、読んで感銘を受けた本があると保護者に紹介するのを常としていた。その日、紹介してくれたのは、三砂ちづるさんの『抱きしめられなかったあなたへ』(講談社+α文庫)という本だった。保護者会終了後、あおちゃんに、「僕も読んでみます!」と伝えた。あおちゃんは、「三砂さん、いつか大地に遊びに来てくれないかな」と言った。
僕は、『抱きしめられなかったあなたへ』を早速注文して読んでみた。これが、べらぼうに面白い本だったのだ。僕は一晩で読み終えると、あおちゃんに感想を伝えた。
「あおちゃん、三砂さんやばいっす!!!」
「ねえ。やばいでしょ!」
僕は三砂さんの『抱きしめられなかったあなたへ』を読んで、「タッチハンガー」という言葉をはじめて知った。「タッチハンガー」とは、人と直に触れたり、ハグしたり、という経験が少ないことが、その人のさみしさや飢えにつながっているのではないか、ということ。「そっと誰かが、手を肩に乗せてくれたり」「ハグされる」「背中をポンと叩いてくれる」そんな「ふれあい」が、大切なのかもしれない、と三砂さんは綴る。
僕は大地の丘に来る前にある会社で働いていた。この組織では、老若男女問わず、大いに働くことがモットーとされていた。「元気に楽しく、生き生きと働こう!」という姿勢は、大いに前向きでエネルギーに溢れて素晴らしい。だけど、僕は時々、ノリについていけないと思うときがあった。長男たかちゃんが生まれ、一年間育休を取得したことも影響しているかもしれない。
「がんばらないで、赤ちゃんに頬ずりし、抱っこして、ぶらぶらして生きていてはだめですかね?」と僕はその会社の全社集会で、活躍した社員が表彰されるのを拍手しながら見つめていたことがあった。活躍する社員たちの光はまぶしい。他方で、少なくない仲間たちが、自分の存在証明のために成果を上げようと粉骨砕身しているように見えることがあった。「頑張って、仕事で成果を出し、認められること」はもちろん前向きなこと、素晴らしいことだ。ただ、時々一呼吸置きたくなることだってある。いや、もしかしたら、人は仕事で成果を出して賞賛を受けたいのではなく、大事な人にギュッとハグされたりしたいだけなのではないか。三砂さんの本を読んで、そんなことを感じた。
そして、僕は三砂ちづるさんにハマった。次から次へと三砂さんの本を注文し、読破していった。まず『オニババ化する女たち』(光文社新書)。なんなんだ、この切れ味のよさは! そして、ミシマ社の『女たちが、なにか、おかしい』と『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』の二冊。滅法おもしろい。次に、図星すぎて、読むのがつらかった『不機嫌な夫婦』(朝日新書)。産土を、うぶすなと読むことを知った『女に産土はいらない』(春秋社)。『死にゆく人のかたわらで ガンの夫を家で看取った二年二カ月』(幻冬舎)は、切なすぎて、読み終わったあと、実家の父に送った。その後、三砂さんの子育て中の南米時代の空気を満喫できる『セルタンとリトラル ブラジルの10年』(弦書房)を読了。衝撃の最後のエピソードが収録された『ケアリング・ストーリー』(ミツイパブリッシング)。
そして、大地で読み継がれる『赤ちゃんにおむつはいらない』(勁草書房)。三砂さんが小説を書いているのにも驚いた。これが、読み始めると止まらい。三砂ワールドに没頭した『月の小屋』と『不完全燃焼、ベギーバギー、そして暴力の萌芽について』(ともに毎日新聞社)。共著も、最高におもしろかった。よしもとばななさんとの『女子の遺伝子』(亜紀書房)、内田樹さんとの『身体知』(講談社+α文庫)。そして、5000人以上の赤ちゃんを取り上げた助産師、矢島床子さんらとの『家で生まれて家で死ぬ』(ミツイパブリッシング)。
怒涛の三砂さんオンパレード。僕はかたっぱしから読み、読了すると、あおちゃんに読んだ本を貸していった。そして、あおちゃんもかたっぱしから読んでいった。あおちゃんは、読んだ本をかたっぱしから保護者会で紹介していった。あおちゃんに貸した本が戻ってくると、僕は大地のお父さん、お母さんに貸した。大地は空前の三砂ちづるブームに席巻された。
僕は三砂さんにロンドン大学院時代に出会っていることに気づいた。三砂さんが翻訳をしたパウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』は、課題図書だった。英語で読むのに挫折した僕は三砂訳を手に取っていた。その時は、三砂さんの本に6年後にハマることなど予想もしていなかった。
そして、はずせないのは、もちろんこの一冊だ。『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)。熊本の思想史家、渡辺京二さんを、三砂先生とゼミの皆さんが訪ねた対話の記録だ(なんてうらやましい時間だろう!)。僕が、渡辺さんを知ったのは、スタジオジブリの月刊誌『熱風』で「僕、育休いただきたいっす!」を連載しているときだ。プロデューサーの鈴木敏夫さんが、渡辺京二さんのファンであることを知ったのがきっかけだった。鈴木さんが責任編集の『AERA』で特集インタビューされていた(現代の肖像、著:三宅玲子さん)のを読んで、僕は渡辺さんの生き方に魅了された。僕は、渡辺さんに会いたくて熊本を頻繁に訪ねるようになり、出会った友人たちとのご縁で、渡辺さんにお話を聞くことができた(詳細は、拙著『僕、育休いただきたいっす!』(こぶな書店)をお読みください)。その後、ジブリの鈴木さんと熱風の編集部のみなさんと、渡辺さんの家を再訪した。その時の記録は、Podcastのジブリ汗まみれ「渡辺京二さんをお迎えして『ファンタジーを語る』」で聞くことができます。そう、僕は渡辺京二さんが大好きだった。そして、三砂先生も渡辺京二さんのことを敬愛していた。というわけで、僕は三砂先生に勝手にご縁を感じ始めていた。
「ぜひ三砂先生を大地にお招きしたい。」あおちゃんに相談すると、「税所さん、ぜひお招きしよう!」となった。僕は、三砂先生の研究室に本の感想と大地にお招きしたい旨を手紙で送った。しばらくすると、三砂先生から快諾のお返事が来た。僕もあおちゃんも喜び舞わんほどだった。その後、あおちゃんから三砂先生へ正式に招待の手紙が送られた。この手紙には、あおちゃんが大地で体現する哲学が、熱く綴られていた。そして、三砂先生は忙しいスケジュールをやりくりして、2023年3月に来てくれることになったのだった。
三砂先生をお迎えした当日、大地は、雪解けで足元がぐちゃぐちゃだったが、天気は晴れ渡っていた。着物姿の三砂先生が大地の丘に降り立つと、いつもの丘の空気がきりっと引き立った気がした。大地のお母さんたちの何人かは、着物姿で三砂先生を迎える。大地のホールは、50人近い参加者の方で満員だった
三砂先生のお話会の幕開けには、先生が好きだというクイーンの「We will lock you」が鳴り響いた(みんなで手拍子と足踏みでの演奏です)。謎の演出に、三砂先生が照れながら登場する。僕とあおちゃんで、三砂先生の紹介をした。お話会は二部に分かれていた。第一部は、三砂先生がメインの語り手となって、「子育てにおける母性」を育む「自然分娩」「母乳育児」「おむつなし育児」の話をしてくれた。第二部は、参加者のみんなで三砂さんへの質問や対話の時間。大地のお父さん、お母さんからたくさんの質問が飛び出して、時間はあっという間に過ぎていった。僕とあおちゃんにとっては、夢のような時間だった。お話会が終わると、参加者の人たちが本を片手に、三砂さんのサインを求める列ができた。終了後、三砂先生と一緒に、信州の山々に沈む美しい夕焼けを見た。そして、あおちゃん夫妻が腕を振るった大地の料理が並ぶ打ち上げ。大地の「三砂先生デー」はまたたくまに過ぎていった。
帰り道、僕は自分のトヨタボクシーに三砂先生を乗せて長野駅までお送りした。夜の山道を走りながら、僕たちは色々な話をした。最近、新しい旅路の予兆があったことを僕は三砂先生に話した。良三さんの言葉「空でいき、満ちて帰る」、ともさんの「ザールラント行」、そして、僕が大地で得たシュタイナー教育のインスピレーション。近々、ドイツに向けて家族で引っ越したいと思っていること。
「そうですか。ドイツへ・・・」
三砂先生は、僕が小布施に引っ越してから2年もしないうちに、家族で移動しようとしていることにいささか、驚いた様子だった。
「シュタイナーは、私もずっと気になっている存在ではありました。私自身は、まだしっかり読めてはいないのですが」
三砂先生は、長野の夜道の暗闇を見つめながら、ふとつぶやいた。
「シュタイナー教育といえば、小貫大輔さん・・・」
僕は三砂先生が長野駅に吸い込まれていくのを見送った。そして、次のしるしがまた現れた。
「そうか。小貫大輔さんに会いに行こう。」