第3回
いちじくいちのこと 02
2019.02.13更新
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秋田県にかほ市でいちじくの甘露煮をつくる彼(勘六商店の佐藤玲くん)にとって、僕(編集者)は本や雑誌をつくる人。それゆえ彼は当然のように僕に取材依頼をした。なのに僕から返ってきた答えは「マルシェをやろう!」。そりゃあ玲くんもずいぶん戸惑ったに違いない。「取材してください」「マルシェやろう」って、知らない人が見てたら「無理問答」でもやってるのかと思うほどにシュールな会話だ。けれど僕の中ではしっかり筋がとおっていた。玲くんのいちじくに対する思いと、僕の思いを掛け算したそのイコールの二本線がまっすぐ伸びて、そこにハッキリと一本の道が通った。その先にある解のイメージこそが、マルシェイベントだった。だから、いまさらながらあの時の返答を補足するとこうなる。「了解。もちろん取材するけど、その先にマルシェをやろう!」。
僕が思う編集は、取材してテキストを書き、まとめることが全てじゃない。ビジョンの実現のために打つ手段のすべてが編集だ。そういう意味では「マルシェイベント」だって手段の一つに過ぎない。玲くんがあの日話してくれたことをまとめるとこうだ。
・にかほ市として地域の特産品にいちじくを推進する動きがある。
・そんないちじくに未来を感じ、若木を植える農家が増えている。
・少しずつだけれど若手生産者も増えている。
いちじくの甘露煮のメーカーとして生産者を応援することは、自身の商売の未来にもつながっていくだろう。一方僕は、いちじくがどうこうという以前に、にかほという土地のポテンシャルの高さを活かして、より多くの人がこの町に訪れる未来を想像していた。そしてそれは、中央集権的な社会からすれば、末端も末端なこの田舎でも豊かさを生み出すことができるということの証明だ。僕はそれがしたかった。そこにワクワクした。
その勢いのままに口走ったのが「いちじくいち」という名前だ。もちろんその意味するところは「イチジク市」なんだけれど、ひらがなにした瞬間に、まるで花が開いたような心地良さがあった。「花の無い果実」と書く「無花果(いちじく)」に、僕のなかで最初に花が咲いたのは間違いなくこのときだったと思う。これまでにない新しい世界を見せてくれる仕事がはじまるときは、いつだってこうだ。言葉が僕を先導する。逆に言えば、そういう名前が浮かばないものは絶対にうまくいかない。「いちじくいち」の気持ちいい響きは、青く若い印象がある秋田のいじちくにピッタリだし、なにより「いち(一)」からスタートするにふさわしい。そのうえ真ん中に「じく(軸)」まであるから完璧だ。
僕は自分でつけたその名前に引っ張られるようにイメージを膨らませた。そのイメージが広がるほど、必要な仲間も明確になっていった。編集力を左右するディレクションはとにかく大切。ここでどういう座組みをつくるかが、今後のすべてを決めると言ってもいい。突拍子もない思いつきから、ガンガン突き進む印象を持たれている僕だけど、そんな僕でもめちゃめちゃ慎重になる瞬間があって、それがここだ。仮に目の前に二人のカメラマンがいたとする。そのどちらに撮影をお願いした方が自分のビジョンに近づけるか? もしくはビジョンがさらに膨らむか? そういったことを考えてディレクションしていくこの作業が、僕は大好きだ。ここに僕の最大のクリエイティブがあるかもしれないとすら思う。
さっそく僕は玲くんにお願いをして、まずは地元のいちじく生産者のみなさんを集めてもらった。そこで僕が考える「いちじくいち」のイメージについて思いっきり語った。しかしその反応はいまいちだった。だけどそれも折り込み済みだ。僕の頭のなかにしかないイメージを、初対面のみなさんが一気に共有できるわけがない。僕は実際のカタチを目の前にいる生産者のみなさんに見せなければと、より一層奮起した。だからそのイメージの実現を優先させるためにも、生産者のみなさんがいちじくを直売するための販売ブースまで僕たちが自腹で用意することを約束した。とにかく初年度は参加してくれるだけでいい。なんてったって「いちじくいち」なんだから、いちじくがなければ始まらない。そして僕は、こういう場面で必ず話すようにしている、とても大切なことをみなさんに伝えた。「ただ、これだけは言っておきたいんですけど......」
遠く関西からやってきたよくわからない編集者が、なぜかいちじくのことや、にかほ市のことを考えて、こんなイベントをやろうとしている。おまけに我々のブースまで用意してくれる。なんか裏があるんじゃ無いか? そう思われても仕方がない。だから僕はこう続けた。「ただ、これだけは言っておきたいんですけど......、僕はにかほの未来のためにとか、みなさんの生活のためにとか、そんな思いでいちじくいちをやるほど余裕があるわけではありません。僕はハッキリと自分のために、いちじくいちをやろうと思っています。僕は編集者として、ここ秋田で、これからの日本のスタンダードになるような事例をつくりたい。僕のそのチャレンジの一つがいちじくいちで、それはまったくもって僕の欲望です。なのでこの僕の試みに、乗っかってみるのもおもしろそうだなとか、得しそうだぞとか、みなさんの思惑と合致する部分があるなら、ぜひ来年も参加してください」
そんな風に言う僕をみて、生産者のみなさんは、余計にぽかんとしていたけれど、地方から未来をつくりたいと願う僕にとって、これはとても大切なポイントだ。『のんびり』をつくっていた時も、池田修三さんのプロデュースをした時も、僕は同じことを言っていた。僕は誰よりも僕の未来について考えている。だからこそ、そこに巻き込んでしまう仲間たちの幸福な未来をも望んでいるだけだ。それをやたらと「みなさんのために」とか言う人を僕は信用していない。
なんといっても僕はよそ者だ。もちろんただ金儲けをしようとしているわけではないけれど、経済のことだって考えなきゃいけない。だからこそ、いちじくいちにおいて、もう一つ絶対に譲れない大切なことがあった。それは、いわゆる補助金を使わないということだ。
(つづく)