学ぶとは何か 数学と歴史学の対話

第5回

本物とは何か(藤原辰史)

2022.01.09更新

歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。伊原さんから藤原さんへの前回の便りはこちらから。

藤原辰史>>>伊原康隆


 2022年が始まりましたね。今年も伊原さんとこうして言葉が交わせることをうれしく思いながら、お返事を書いています。

 大人が用意する教育環境としての「探」と、個人の心の動きとしての「探」は、現段階では別々のものとして扱うべきだというご指摘、ごもっともです。せっかちに結論を求めてしまうのは私の性分で、「縁学」という言葉は一旦棚上げして、発酵するのを待つことにしましょう。

 「本物と出会うこと」と「わからないと認識すること」という試金石が実は連なりであること。パリのマルモッタン美術館に飾ってあるモネの絵が、上下逆であることを光の専門家の西澤潤一さんが明らかにしたというお話には心惹かれます。数学者の伊原さんがご自宅で私たち家族に向けてモーツァルトへの溢れる愛を語ったときを思い浮かべていました。自然科学と芸術のあいだには私たちが想像するほどの大きな壁が存在しない、それどころか、どこかに共生する世界が広がっているのではないか、とワクワクしてきます。

 ここで伊原さんに質問があります。伊原さんは「本物」をどういうふうに定義されるのでしょうか。私は決して「本物」の存在を否定しているわけではないですし、若いうちに「本物」に触れ、チンプンカンプンの迷路で迷うことの重要性は理解しております。「アイツはホンモノや」とか「あの人の仕事はニセモノだよね」という言い方も今までしなかったわけではありません。ただ、これまで流通してきた「本物」という言葉は、芸術や学問の商業化がここまで進んでしまった現在、どこか「俗っぽく」なっているような気もしないではありません。そこから、伊原さんが愛し、私がつかみたいと思っている、「本物の本物」をきちんと救い出しておきたいのです。

 もちろん、伊原さんとのこれまでのお話やご著書から、伊原さんにとっての「本物」が何かについては理解しているつもりなのですが、改めてこの場で聞いてみたいのです。いまパッと私の頭に浮かぶのは、こんな感じです。

 時代の試練を乗り越えたもの
 あらゆる角度からの批評に耐えられるもの
 繰り返しの玩味に耐えられるもの

 他方で、時代が認めてきたのだから、みんなが「良い」というから「本物だ」ということに、どこか悔しい気持ちも抱いてしまいます。本物はいまどこかでつねに生まれているはずなのに、それが不当に「本物でない」と言われて、人びとの目に触れられていないのではないか、という思いと、いや「本物」はやはりどんな運命たろうと「本物」であり、だから歴史に名を残しているのだ、という思いが交錯します。

 誰もが「すごい」と言っているから「すごい」と思う価値体験と、個人(これは伊原さんの重要なワードですが)的な愛ともいうべき価値体験をどう切り離すか。もしかすると、モーツァルトもドストエフスキーも、「みんながすごいと言っている」という同調圧力の中で何度も吟味してきているうちに「すごい」と思うようになったんじゃないか、と、まるで中二病のように思うことがあります。

 しかし、私がドストエフスキーの作品に触れて、その虜になったのは、先生に読めと言われたからだけではない、時代の試練を何度も超えたからだけでもない、「何か」があったはずです。この個人的な「何か」が時代を超えて繰り返し起こらない限り、本物は本物ではない、と思います。そこには伊原さんの核心である「愛」という言葉が重要だと思うのですが、いかがお考えでしょうか。それとも問題の立て方が間違っているのでしょうか。

 これに付随する質問を。これまで世界中の先端の数学者と対話をしてきた伊原さんにうかがいたいのですが、「これは本物だ!」と思う数学者とはどんな数学者でしょうか。ちなみに、私が、ああ、この方は本物の人文学の研究者だと思ったときの共通点として、そんな方と会って話したり、そんな人の本を読んだりしたときは、派手なことを一言も言っていないのに、家に帰ってすぐに勉強したくなる、ということがあります。それから、一言一句の選択を何かものを食べるように噛み締めて考えている人に出会って、その味が自分に伝染する、と思ったときも、同様な気持ちになります。ハイデルベルク大学に滞在していたとき、日本学の先生のご自宅にお邪魔しました。丸山眞男のドイツ語訳をなさった方です。その先生が、私に向けてご自分の収集している江戸時代の資料のお話ししたとき、この先生の話している言葉が美味しそう! と感じたのを今でも覚えています(私の食い意地が張っているだけかもしれませんが)。どちらも自分がとっても小さいことを知って恥ずかしくなるというよりは、小さいからもっと勉強しようと思うようになる、という感じですね。

 さて、最後に、「変化と結果との関係に思いをはせ、変化の規則を知って結果を予測する」という伊原さんの微積の説明がとっても気に入っています。私は確率統計が全くダメで、微積は好きだったことを最初のお手紙で書きましたが、微積とはこんな構えなのかと、うれしくなりました。いつか、伊原さんのご専門である整数論についてもっと伺いたいです。

(伊原さんから藤原さんへのお返事は、毎月20日に公開予定です。)

藤原辰史/伊原康隆

藤原辰史/伊原康隆
(ふじはら・たつし/いはら・やすたか)

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。

伊原康隆(いはら・やすたか)
1938年東京生まれ。理学博士。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。1998年日本学士院賞。東京大学数物系大学院修士課程修了後、勤務先の東京大学理学部(1990年まで)と京都大学数理解析研究所(2002年まで)を本拠地に、欧米の諸大学を主な中期滞在先に、数学(おもに整数論)の研究と教育に携わってきた。著書に『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版)、『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社)など。最新刊は『文化の土壌に自立の根』(三省堂書店/創英社)。

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