学ぶとは何か 数学と歴史学の対話

第18回

広げて回して切り口を(伊原康隆)

2022.07.20更新

歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。藤原さんから伊原さんへの前回の便りはこちらから。

伊原康隆>>>藤原辰史


 歴史学の有りように関する本格的で実に分かりやすいご要約と問題提起を拝読し、これは長く手元に置いてわが糧としたい、これほど有用な要約を誘導できたのならそれだけで拙稿にも意味があったぞ、ととても嬉しく感じました。なお、叙事詩と感じて下さったのならそれは数学自体の力であり、もし数学は数の世界、別世界、とお感じでしたらそれは表現者としての私の力不足のせいだと思います。 

 私は紙に印刷し鉛筆で書き込みをしながら読むのが常ですが、今回のご書簡の場合、!〇〇が至る所に、そして4節「中心点と目線」には ?〇〇もいくつか書き込むことになりました。!には「啓発された」と「我が意を得たり」がありますが、啓発されたが特に多く、同感だけでなく反省のもとにもなっております。ほんの一つ例を挙げれば「犠牲者創出の法則」の中の「抑圧される人間集団があらわれるのは、単純に社会が階層化したり格差が広まったりする現象というよりは、力を持つ人間たちは抑圧された人間集団をいつも必要としている法則のあらわれにすぎない」。これについて私は、格差拡大だろうとしか思っていませんでした。それで「ランドマークは格差最小の状況と対応する点」なのかな、と。まだ対談の回数がありますので、残された?等についてはいずれ質問させていただきたいと思います。

1 関係性に顔がないわけ

(i)  A 店とA' 店の値段の比は、トマトで比べてもキュウリで比べても同じだった

と家族の一人が言い、もう一人は

(ii)  トマトとキュウリの値段の比は、 A 店で比べてもA' 店で比べても同じだった

と言ったとします。関心の重点は違いますが、具体的には同じことですね。トマトの値段をA 店 では t 、A' 店 では t' 、キュウリの値段を A 店 では k 、A' 店 では k' とすると、 (i) (ii) はそれぞれ

[i]   t' / t = k' / k
[ii]   k / t = k' / t'

ですが、[i] [ii] とも t' k = t k' の言い換えですから。

 命題の間の同値性を ≡ であらわすと、 (i) ≡ (ii) の背後にあるのは顔のない法則性 [i] ≡ [ii] だといえるでしょう。

全く同じことを複素数の(微小な分母分子をもつ)分数に対して適用すると、前回述べたように、複素関数すなわち複素平面から複素平面への写像が

{i}  微分できる
{ii}  角度を保つ

の二つが同値な命題、と分かるのでした。つまり、同値性 [i] ≡ [ii] は、それぞれの顔を持つ (i) ≡ (ii) や {i} ≡ {ii} を代入できる箱だ、だから顔がないのだ、というわけでしょう。なお、店や品目の数が一般の場合については補足ファイル(対応する項目番号の箇所) をご参照下さい。

 異分野間の共通性は「対象」についてではなく「関係性」においてですね。あいにく関係性は顔がないから親しまれにくい。でもそういう環境の中でこそ、その共通性が感じ取りやすい言葉、つまり普遍的表現に適した言葉による交流が必要で、それはこの場合「よく選ばれた記号系」ではないでしょうか。これが数学屋のつぶやきです。標語的にまとめて繰り返すと

 関係性に顔がないのは、対象に依存しない普遍的法則性と表裏一体。

 だから代名詞のような記号系で表現されるのが適当で、それは「数学語」として差別されるのでなく、より広く民の言葉の一部になってほしい、こう願ってます。以下もその拙い試みです。

2 シャと回転

 われわれが出会う難問を「問題」として意識するときは、まず背景として何らかの構造を持つ集合(以後、構造体とよぶことにしましょう)を意識し、その構造体を記述する適切な言葉のおさらいをし、個々の問題はその言葉で表現するわけです。しかし簡単な問題ではない場合、その枠組みの中では解決の構図が見え難く、より大きな、そして場合によっては仮想的な構造体の枠組みにまで広げて眺めることで初めて簡易化の切り口の構図もみえ、問題も自然に解ける。こういうこともあるでしょう。藤原さんのご要約から感じたことの1つは、国家の仕組みの変革も「こういった大胆な試み、それによって新たな問題が発生、更に......」という連鎖の歴史を残してきているのだ、でした。今回はこの種の展開のために

  数学分野で開発されてきた言語
  でも一般性が期待されるから普通の言語と差別して欲しくない言語

その紹介をさせていただきたいと思います。主役は「群」、根っこのキーワードは2つの構造体 A, B の間の「シャ

   f : A ー→ B

です。これは何かというと、集合 A のどの要素 a に対しても集合 B のある要素 b = f(a) を対応させる「一斉対応付け」であって、条件「 A のいくつかの要素 a, a', ... の間にある種の関係が成り立てば 対応する B の要素 f (a), f (a') ...... の間にも同種の関係が成り立つ」を満たすもののことです。「関係」も、同等な友達関係、命令依存関係、三すくみ等、一般には多種類考えます。

 A を知るためそれを(異なる角度から)簡易化したモデル B, B', ...を探す場合もあるし、A に関する特定の問題を解くために A をより大きな構造体に埋め込んで考える場合もあります。また異なる由来を持つ2つの構造体の間に何らかの共通要素を感じとったらそれらを結びつける射を探す――数学研究の常套手段です。射のうちで、集合間の1対1対応であり、さらにその逆写像も関係性を保つものを「同型射」とよびます。同型射で結ばれる2つの構造体は「同型」です。

Morphisms 2-4.jpeg A               B          B'

 たとえば 図 の A は、白丸黒丸計13個の要素からなる集合に、それらのうち短い線分で直接結ばれたもの同志は「仲間」という関係が入った構造体(それ以外の空間的配置は考慮せず)、B, B' はそれらの別種の簡易化で、これらの間の2つの射 f : A ー→ B (回転重ね合わせ射), f' : A ー→ B' (先端引っ込め射)が見えるでしょう(どの要素も自分自身とも仲間、とみています)。

 構造体 A から A 自身への同型射がどのくらいあるか。これをよく知ることは A の構造についてよく知るための第一歩です。それをここでは A の「回転」とよぶことにします(補足参照)。改めて述べると、A の回転とは集合としての1対1対応  A ー→ A であって、A の要素間の左側での関係性(種類と有無)と右側でのそれが忠実に対応しているもののことです。人間同志のあらゆる関係をイメージしたら「そんなものは恒等射以外ありえない」と感じますが、ポイントは、考える問題に応じて今は何を関連性とみなすか、まずこの抽出をすることでしょう。

3 群とは? 回転群にみるその特徴

 以後、構造体 A の回転全体を A の「回転群」とよび、 G(A) で表すことにします。これも単なる集合ではありません。 G(A) の2つの元(「要素」と同義です)g : a ー→ g (a) , g' : a ー→ g' (a)に対してそれらの合成 a ー→ g(g'(a)) (先にg' 、次に g) も G(A) の元になりますから、これを gg' と定めることによって G(A) における「積」が自然に定義されます(gg' とg'g は、Aへの作用の順序が逆なので、一般には相異なるG の元になります)。掛ける順序に依存する積です。また A の全ての元を固定する恒等写像を 1A または単に 1 と記し、群の単位元(後述)とみるときは e と書くこともあります。これは G(A) のどの元と掛けてもその元を変えません。そして G(A) のどの元 g も g g-1 = g-1 g = 1 を満たす「逆元」g-1 を唯一つ持つことに注意して下さい。

 一般に、こういう積の構造を持つ集合を群 (group) とよびます(正確な定義などは補足参照)。群とは「凡そ動かすものたち」「そのあまり大きくない集団」。2つの動作(ここでは動かす側の動作)の重ね合わせを(可換とは限らない)積と考えると、その範囲で積もとれるし、その意味の「 1 」もあるし「逆元」も持つ、イメージとしてはそういう対象です。それを一般的にあつかう「基本用語と思考の節約のための基本定理」をあたえてくれるのが群の一般論です。回転群は典型的な例で、「群」は「変換」を組織的に研究するため必要不可欠な概念でしょう。なお群の一部分でその積構造の制限によってそれ自体が群になるものを「部分群」とよびます。

 まず図の B' の回転群 G(B') は何か考えてみましょう。どの回転も中心点は固定せざるを得ませんが、外の3点は、いろいろな回転をとることで自由に入れ替えられます。そのうちで3点を巡回させる元の1つを ω 、2点を入れ替え残り1点を固定する元の1つを ρ と置くと「G(B') は ω と ρ で生成され、基本関係式 ω3 = ρ2 = 1, ρω = ω2ρ で定義される」などと表現されます。

20220720-1.JPG

実際 G(B') の 6 個の元は

   1 ( =e ), ω , ω2, ρ , ωρ , ω2ρ

と表され、それらの積も上の関係式によってこの形に書き直せるわけです。

 次に、多少複雑になる 図の A の回転群 G = G(A) を記述するためにはどういう言葉がどう使われるのか注目して下さい。まず G のどの元も A の中心点は動かせません、いま外部3白点を { 1, 2, 3 }と名付け、G の元で点 i を固定するもの全体がつくる部分群を Hi と名付けましょう。この場合、どの i, j = 1, 2, 3 をとっても点 i を j にうつす元 g が G に存在することから、Hi = g-1 Hj g 、つまり射 h ー→ g-1 h g によって Hj がうつる先が Hi になります(互いに「共役」な部分群)。ほら、ここでも積が可換でないし、そういう積をもつ変換の考察が自然だったでしょう! これら3つの共通部分 N は3つの外白点をすべて固定する G(A) の元全体からなる部分群で、個々の Hi との相違は g-1 Ng = N が G の任意の g に対して成り立つことです。この性質をもつ部分群は最初ガロアが注目し現在は正規部分群とよばれています。その特徴は

  群はその正規部分群で割ることができ、割ったものは再び群の構造を持つ

ことです。「商群」とよびます。これが群構造の階層分けの基礎です。たとえば上の場合の商群 G / N は、割り算としては「先端部無視」であり、商群は自然に G(B') と同型になるということが見えるのではないでしょうか。

 回転群 G = G(A) は A にさまざまに「働きかける」存在と見直して下さい。G の各元 g は A の置換 a ー→ g(a) を引き起こしますが、これを g の A への「作用」と見なすのです。A の2つの元 a, a' が 「Aの構造のもとで果たす役割は同じで、相互入れ替えができる」という気分を表す言葉は「共役性」です。その定義は a' = g(a) を満たす回転 g が存在することで、共役性によって A の元が類別されます。上の例 A ではどうなっているでしょうか。

 群らしい群の例は(構造抜きの)有限集合の置換(入れ替え)全体が作る群です。元の集合の元の個数を n とするときこの群は n 次対称群(記号 Sn、 symmetric group)とよばれ特に親しまれています。一般に有限個の元からなる群を有限群、その元の個数をその群の「位数」といいますが、Sn の位数は順列の個数 n! = 1x 2x... xn です。上の例の G(B') はS3です。

 回転が 1 しかない構造体を表す形容詞は「剛直」です。厳密に序列がつけられた構造体はそう呼ぶのがふさわしいでしょう。数学では、有理数全体に和と積を入れた構造は剛直です。0 と 1 はそれぞれの積に関する特別な性質によって他にうつり得ないし、他の要素も四則によって 1 から得られるからやはり動かせないからです。ところが剛直な構造体で発生する問題に取り組んでいても遅かれ早かれ悟ることは「問題を自然な枠組みで考えるために広げる構造体は(十分広げてあれば)多くの対称性、言い換えれば回転を持ち、その研究こそ真っ先にやるべきだろう」ということです。最初は代数学、それも方程式論の開拓者ガロアの理論が群の導入の突破口でした。

4 方程式のガロア群

 「方程式を立てる」を「問題をはっきり書き下す」、「それを解く」を「問題の解決方を見つける」になぞらえてみて下さい。ここでは1変数 n 次多項式 f(x) に対して f(x) = 0 という方程式を考えます。ただし n > 1、xn の係数は(以後も)1、その他の係数 a1, ......, an もすべて有理数とします。係数 ai たちが「既知の情報」に相当します。2月にお話ししたように f(x) は複素数の範囲では必ず1次式の積

   f (x) = xn + a1 xn-1 + ...... + an
     = (x - α1) (x - α2) ...... (x - αn)

に分解し、そこでは n 個の根 α1 , α2 , ... , αn を有します(この根のうちのどれかが「必要な解決法」と対応)。普通は係数から出発してなるべく早く一つの根に到達しようとするでしょう。中等教育でも根といわず解とよばせようとしたり......。ガロアは(200年前の少年でしたが)違いました。まず根全部を考える(つまり広げる)、そして根たち同志の間にどんな「見えなかった有理的関係」があリ得るかを調べる(回転させてみる)。これらこそが、係数から代数的手段(四則と根号の組み合わせ)によって根を得る手順がそもそも存在し得るかどうかを判定し、存在する場合はそれを求める方法も与える。彼はついにこれを見抜いたのです。そこに現れたのが根たちの間の「関係性を保つ置換全体」だけで構成されるガロア群、その群論的な構造如何がポイントでした。そして、その群構造を具体的に知る手段が、素数ごとの簡易化(切り口)です。他の思惑もありこれらを現代的な言葉で書いてみます。

 この方程式の「分解体」とは、これらの根の有理数係数の(多変数)多項式として表せる複素数たちだけで構成される構造体のことです(0でない数による割り算もこの範囲内で可能です)。たとえば f(x) = x2 + 1 の場合、分解体は a + bi(ただし、i2 = -1, a, b は有理数)と表せる複素数全体で、その回転群は複素共軛写像 a + bi ー→ a - bi と恒等置換の2つの元から成り立っています。

 分解体の回転群をその方程式のガロア群とよびます。これはどう具象化されるのか。

 まずガロア群の任意の元(ここでは σ と書く) の作用は個々の有理数を動かしません。さらに明らかな関係  f ( σ (αi ) ) = σ ( f (αi ) ) = σ (0) = 0 によって、根 αi がうつされる先はやはり根の1つ αj になることが分かります 。 従って σ は n 個の根の間の置換を引き起こしますが、それぞれの根の行先さえ決まれば分解体の各元の行先も自動的に決まりますから、

  n 次方程式のガロア群は n 次対称群 Sn の「部分群」

として具象化されることが分かります。「根の間の関係性を保つ置換」という代わりに「分解体の回転群」と言い換えただけです。特にガロア群の位数は n! 以下、実際その約数です。また
f (x) が既約、つまり有理数係数の(1次以上の)多項式の積に分解できない場合、その任意の2根はガロア群の元の作用によって互いにうつり合えるので、この場合ガロア群の位数は少なくとも n(実際その倍数)です。

 方程式の代数的可解性に関するガロアの基本定理は「補足」に述べますが、たとえば 5 次以上の対称群 Sn は方程式が代数的には解けない部類に属します。ガロア群が Sn 全体になるとは、「根の間の有理的関係式はすべて、根と係数の関係とよばれる n 根の間の基本対称式から導かれるものに限られる」ということです。根と係数の関係とは、(1)の係数の比較から直ちに出る αi 全部の和 = - a1 、積 = (-1)n an 、を含む n個の等式のことです。一般にはそうならない例として3次方程式 x3 - 3x + 1 = 0 をみて下さい。この場合、根の順序を適当に取ると巡回的に αi+1 = αi2 - 2 (ただし αi+3 = αi と置く)となるので、1根の行先だけで他の根の行く先が定まり、ガロア群はこれらを巡回させる置換しか含みません。

5 切り口

 ではガロア群という有限な対象に、分解体などという無限集合構造体の「藪の中」を通ることなくして如何に到達できるのでしょうか。ここからが「さまざまな簡易化の特徴を生かす分野」整数論の出番です。比喩的にいえばガリヴァーの旅でしょうか。

 方程式 f (x) = 0 の係数は整数(整数全体は普通 Z で表します)として一般性を失いません。すると見えてくる可能性が「 Z の元の「偶奇」による2分類とか、(より一般に)ある素数 p で割った余り { 0, 1, ...... , p-1 } による Z の分類とかを活かせないか?」でしょう。この集合を

   Z / p = { 0, 1, ...... , p-1 }

と記すと、ここにも和と積が「普通に和や積を取ってから p で割った余りに置き換える」という操作で矛盾なく導入されます。Z / p に於ける等式は区別して ≡ と書きましょう。素数の定義をご存知なければ、それは「0 以外の数による割り算が Z / pでは自由にできる」こととお考え下さい。たとえば p = 5 なら 1/3 ≡ 2, 1/4 ≡ 4, 等。 Z / p が有用なのは、元の個数が有限個しかないことに加えて割り算もできるからです。そしてp ≡ 0 から導かれ 「p 国」に特有な等式

   (a + b)p ≡ ap + bp

によって、a ー→ apZ / p の 回転であること! です。

 Z / p 係数の方程式の分解体 Kp とそのガロア群 Gp も自然に定義されます。n 次既約多項式は一般に複数個ありますが、その分解体は(同型を除いて)1つしかなく、それを GF(pn) と書くとそれは Z / p = GF(p) を含む pn個の元からなり、和と積と0 以外の元での割り算が可能で、しかもq = pn とおくとき

  GF(q) は 丁度、xq - x = 0 の q個の根全体からなる

のです。驚いて下さい、一つの方程式の根たち「だけ」で和と積に関して閉じた世界ができているのです(具体的表示法は補足参照)。一般の多項式 f (x) に対する分解体は、その既約因子の次数の最小公倍数 Nに対する GF(pN) です。この分解体の回転群 Gp はフロベニウス写像とよばれる

   φp : α ー→ αp

を含み、φp は各既約成分の根に巡回的に作用し、Gp は φp の冪 1, φp , ......, φpN-1 だけからなっています。

20220720-2.JPG

 そしてもう一つ 「p = ∞」 というのがあります。それは多項式 f (x) の実数の範囲での既約分解、1次式と2次式(判別式が負のもの)いくつかずつの積、と対応し、分解体への φ の作用は複素共役 x + y i ー→ x - y i です。
 
 これらを元のガロア群 G の研究に結びつける原理、いわばガリヴァーの旅先と現実世界とのリンクは、次の定理です。

 ガロア群 G は Sn の中で φp たちが定める「共役類」をすべて含む最小の群である。

 明示はしませんでしたが、この背景は「射の延長」です。素数 p に対する射 f : Z ー→ Z /p は、分解体 K(の中の整数部分)から GF(pN) への射 f* に延長され、それはガロア群の間の逆向きの射 f^ : G ← Gp を誘導し、とくに Gp の元 φp は G の元を与える。 ただし、f* や f^ の取り方には、 K の回転群である G の元との合成による自由度があるから、φp の行く先として確定するのは Gの「元」ではなく「共役類」(補足参照)だ、ということです。

 一例として5次方程式 x5 - x + 1 = 0 をとると、この係数を Z /2 と Z /3 の2箇所に落として簡易化することで、これらのガロア群が5次対称群全体になることが分かります(p = ♾ も使えます。補足参照)。

 われわれは方程式 f(x) = 0 から出発し、その分解体、ガロア群についてお話ししてきました。この原理によってガロア群の計算ができ、個々の方程式の根の代数的性質も知ることができる、という代数学への古典的応用も目覚しかったのですが、現代数学にとってより重要なのは、ガロア群の中にφp たちがどのように分布しているかの研究、そしてそれが示唆する「何か」だと思います。

6 吟味と感想

 ところで、構造体について書きながら頭をよぎっていたのは、藤原さん(等)による構造の破壊や腐敗の積極的取り上げ方と松村圭一郎さんによる(社会)構造はそのスキマこそが大切、という論の魅力でした。見事な構造体であるクモの巣にしても、一旦作られれば捕食に労をかけずに済む有利な装置だが、糸は大量のタンパク質を素材として必要とするから放棄するときは自分で食べるらしい、というファーブルの観察もありましたし、対重量の糸の強さは鋼鉄以上だそうだから、クモが仮にもっと集団生活に適していたら養蚕のようにクモの糸も大量生産できるだろうに、とどこかに書かれていました。またクモの巣ではスキマも重要で、それが足りなければそもそも獲物も引っかからないだろうし、風によってゆらぐだけでなく飛ばされてしまうことでしょう。DNAでも広溝というスキマがあるからこそ、酵素が中に入り込んで遺伝子の発現や抑制のために働けるわけですし、この対談のテーマである学びの場でも教育期間が編み目を張り巡らせている中、生徒個人個人が自分の心の近傍につくるスキマ(前回の言葉で言えば時間軸の虚数部分)こそが重要と思われます。

 また、社会問題で重要な「回転」の要件は「構造を厳密に保つ入れ替え」ではなく「入れ替えによって構造の一部が壊れても修復可能な範囲内」ということでしょう。ここが難しいところで、「範囲内」のような曖昧な条件は合成によって保たれなくなり、群構造が回転全体に入りきれない、という「厳密即融通の利かなさ」が私にも感じられます。生物の修復の仕組みの進化から学べることも多くありそうです。

 ドイツを中心にご出張との由。私の体験した(80年代頃の)ドイツの田舎では、宿に鍵なしトランクを道端に放置しておいても安心、という相互信頼を基盤とする素晴らしい文化が健在でした。できるまで長期間かかり、環境の変化次第ではあっさり壊されてしまうかもしれない、との危惧も抱いています。こういった良き時代の風習が現在も残されているかについても、そのうちお聞かせ下さること楽しみにしております。
Gute Reise und Alles Gute!

藤原辰史/伊原康隆

藤原辰史/伊原康隆
(ふじはら・たつし/いはら・やすたか)

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。

伊原康隆(いはら・やすたか)
1938年東京生まれ。理学博士。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。1998年日本学士院賞。東京大学数物系大学院修士課程修了後、勤務先の東京大学理学部(1990年まで)と京都大学数理解析研究所(2002年まで)を本拠地に、欧米の諸大学を主な中期滞在先に、数学(おもに整数論)の研究と教育に携わってきた。著書に『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版)、『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社)など。最新刊は『文化の土壌に自立の根』(三省堂書店/創英社)。

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