第24回
特集『くらしのアナキズム』刊行記念対談 松村圭一郎×藤原辰史「政治を自分たちの生活にとり戻す!」(後編)
2021.11.10更新
『くらしのアナキズム』の刊行を記念して、10月7日、著者の松村圭一郎さんと、歴史学者の藤原辰史さんによるオンライン対談を開催しました。藤原さんの著書『縁食論』刊行記念対談や、雑誌『ちゃぶ台』誌上での対談など、これまでもたびたび対話を重ねてきた、同世代の研究者のお二人によるトーク。アナキズム、自治、政治・・・etc. 語り合いながらリアルタイムでお互いの思考が「耕されて」いく様子が、とてもスリリングで刺激的なトークとなりました。ミシマガジンではその模様を一部抜粋し、2日間にわたってお届けいたします!
構成:山本路葉、池畑索季
不真面目なアナキズム
藤原 松村さんって私が面白いなと思うのは、ずっと経済人類学、というのかな、経済の問題を考えている。
松村 いちばん難しいところを突いてきますね。アナキズムとか言いながら、国が課す税金は逃れられないですからね。でも、たぶん税って、基本的に値段のつくものにかかるわけですよね。だから、ちょっとした「おすそ分け」をする、ってやり方があるかもしれない。
藤原 あー。
松村 消費税10%って、100円で売り買いするから10%つくわけだけど、値段のないタダのモノのやりとりに10%とかつかないですよね。うちの母親が家庭菜園で育てたスナップエンドウを近所の人に渡すのって、そのやり取りには税はかからないですよね。そもそも、そうしたモノのやりとりを国が捕捉できるはずもない。
藤原 無税ですね、言われてみれば。
松村 経済的なやり取りの中で国家が把握しうるのは、値段のあるやり取り。藤原さんの無料食堂の企てにも繋がってくるかもしれないけど、おすそ分けのネットワークの中では税は課されない。これがなんとか税を回避するやり方ですかね。でもまあ、給料から天引きされているのは逃れられないけど。
藤原 最近腹立ってしょうがないです、なんで俺たちの給料、こんなところに使い続けているんだとか。
松村 それはもう、ほんとそう。払うのはいいんですよ、別に。みんなのために使う必要があることには。
藤原 もちろん。
松村 でもね、その使い道が、オリンピックにしてもそうだけど、絶望感がすごいありますね。それを真面目にアナキズム的に解決してやろうと思うと、もうそういうやり取りの外側、つまり完全に市場的な交換の外側に出るしかないんだけど、それは多くの人にとって無茶な話ですよね。だから、崇高なアナキズムじゃなく、不真面目なアナキズムだって言い訳めいたことを本のなかで書いたのは、そういう国家的な営みを全否定するような真面目なアナキズムからは遠い自分たちの姿も、まずは否定せずに許容しておこうと・・・。
藤原 うん。
松村 すでに国家に取り囲まれて逃れられない状況の中にいるんだから、どうしようもないところもある。でもその中でも、できることはあるよね、そこでなんとかポジティブに考えられるところを見出していこう、掘り起こしていこう、ということですかね。税を拒否することが正しいアナキストだっていうのも、たぶん言えないような気がする。
藤原 うん。
松村 一方でいろんなサービス、医療の補助を受けていて、大学も国庫からお金が出ているわけだし、道路も使っているし、一方で取られるだけじゃなくて恩恵も逃れがたく受けていて、「くらし」が支えられているんですよね。だから税金を払わないことだけが正しいわけではないというか、まずそこは認めざるを得ないところがあって。アナキズムという思想の一貫性よりも、むしろ「くらし」を守ることが大切なので。
国家が無能で無力でも、自分たちで何とかやっていけるものを作っておく。それが政治なんじゃないか
藤原 去年の4月に「パンデミックを生きる指針」という文章を書いたときに、「国家なんて信じられない、役に立たない」と書いたことを複数の方から批判を受けました。たとえば、ある近現代史研究者は「国籍を剥奪されたときの頼りない感じは無視できない」、とおっしゃっていて。国家がない状態を軽々しく扱えないのではないか、という批判ですね。そのあたり、どうお考えですか?
松村 国家を廃絶するとか革命を起こすとか、そういう意味でのアナキズムではないというのが今回「くらしのアナキズム」の立場で、それはなぜかっていうと、それが人類学的視点だと思うんですね。人類学者が注目してきた様々な国家なき社会の人たちって、自分たちである種の秩序の仕組みを作っている。みんなばらばらに自由に生きているわけではない。だから、私も政治体制とか秩序を作る仕組み自体を否定しているわけでは全然なくて。国家という制度に囲まれている世界の中で、国籍をはく奪されたら、もう生きられなくなる、というのはその通りなんだけれども、それはすでに国家の枠組みがあるなかで、その外側に放り出されたわけですよね。秩序の仕組みなしには生きていけない状態で、生業の手段を奪われ、国籍を剥奪されると悲惨なことになる。それは、当然だと思う。
藤原 うんうん。
松村 だから、どうやって秩序の仕組みを、さっきの藤原さん的な意味の「自治」的な動きの中で作り出していくかが重要になるわけです。いま私たちを囲っているいろんなものに依存しながら、私たちは生きているわけですよね。だからその囲いを壊しちゃったり、そこから放り出されたりしたら、当然、くらしが成り立たなくなる。だから最初のほうでスコットを引用していますけど、革命を起こしてしまうと、より強権的な支配者が現れて・・・。
藤原 そうそうそう。
松村 より搾取されるとか。例えばロシア革命の後にどれだけの人が飢饉で死んだか。ほんと第二次世界大戦並みでしょ、何千万人も亡くなったんですよね。
藤原 何千万単位ですね。
松村 核兵器とか大量殺りく兵器とか使わなくても、ある種の生業から無理やり移動させられたり、くらしが依存していたネットワークから無理やり引き離されたりしたら、やはり生きていけなくなるんですよね。相互に依存しあったり助け合ったりする関係のネットワークをそう簡単に壊しちゃだめだというのが、たぶん肝なんですね。だから、現代史の中に現れる「国家がない状態に置かれた人」というのはそういうネットワークから切り離されたわけで、やはりその悲惨な状況を作り出しているのは、むしろ国家の側だと思うんですよね。
藤原 まったくそうですね。
松村 だから、国家なんていらない、みたいなはっきりと国家を否定するような言葉で言うのではなくて、どうやったら、国家の仕組みが無能で無力でも、自分たちで何とかやっていけるものを作っておくか。私たちはどんどんそれを手放して、国家の側に譲り渡したり、市場の側に譲り渡したりしてきたんだけど、多少、上がガタガタしても揺るがないような、地盤をどうやったら作れるのか。暮らしを守るための仕組みとか関係を作ることを否定できないし、それこそが政治なんじゃないかなと。
ヒーローをあえてつくらないアナキズム
藤原 質問が来てますね。「松村さんのくらしの中のアナキズムの考え方にとても共感しました。松村さんが一番好きなアナキストがいたら教えていただきたいです」
松村 やっぱり私がパッと思いつくのは普通のエチオピアの村で会ったおじいさんとか、村でくらしている名前を言っても誰も知らないような人たちなんですよね、その人たちのくらしそのものが、国家がどうであれ自分たちで生きていく力があるし、何か問題が起こった時でも、融通し合いながら問題を解決できる能力があって。それって私たちがすごい失ってきたものというか。問題が起きたときに、つい人に頼ってしまう、制度に頼ってしまう、専門家に頼ってしまう。だから、ヒーローをあえて作らないアナキズムっていうのがあってもいいんじゃないか、って思います。
藤原 松村さんは、ビッグネームではなくて、その辺にあるアナキズム、石ころみたいなアナキズムを拾っていくんですけど、その手付きというのが、対象の肌触りをそのまま持ってくるような書き方をされてくるので、本当に魅力的だと思いますね。読んでいて楽しいというか、純粋に読み物としてもすごい楽しめるというのが、この本のポイントやと思います。やっぱり僕は恵まれてるなと思うのは、日本に住んでいる人類学者にすごくユニークな人たちが多いことで、全世界から参照されるような研究がおそらく日本から今後出てくるんじゃないか、松村さんもきっとそうじゃないかと、私は歴史学者の一人として期待しています。