磯野真穂×星野概念 「病む」と「治る」ってなんだろう。~精神臨床と医療人類学の話から~(前編)
2021.04.21更新
『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』の刊行記念イベント第二弾は、人類学者の磯野真穂さんをお迎えし、星野概念さんと対談していただきました!
磯野真穂さんは、『急に具合が悪くなる』(晶文社)などの著書があり、医療人類学の立場から医療現場の関係性やコミュニケーションについて研究されています。
時には厳しい判断を迫られる医療の現場で、「ないようである」曖昧さに向き合っているお二人。
今回の対談は、「『病む』と『治る』ってなんだろう。~精神臨床と医療人類学の話から~」と題して、「先生」として相手とどう接するか、信頼はどうやって生まれるのか、コミュニケーションとは何か、などお二人とともに考える時間となりました。
代官山 蔦屋書店さん主催でオンライン配信されたイベントの様子を、二回に分けてお届けします!
(構成・岡田森、構成補助・染谷はるひ)
星野概念『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』
先生としてではなく、人対人として話したい
磯野 星野さんって、スポーツ好きなんですか? 『ないようである、かもしれない』の中でも、バスケを見るのが好きとか、『SLAM DUNK』の話とか。
星野 スポーツ好きなんです。中学までは運動の選手になろうと思ってました。小学校のときは野球やってましたし、半年くらい相撲の稽古をしていたり、大学ではウィンドサーフィン部にいたり・・・。
磯野 いまのところ精神科医への道が全然見えてこないですが(笑)、なぜ精神科医になろうと思ったんですか?
星野 思い至ることはいろいろあるんですが・・・・、高校生の時に生物が好きで、それでなんでか医学部に入ったんです。ただ、バンド活動もしていて、あまり身が入らないまま勉強している中で、脳科学者の池谷裕二さんと糸井重里さんの対談本『海馬』(新潮文庫)を読んだんです。記憶とか脳の話がメインなんですけど、科学的な話をしてるはずなのに急に人生の話になったりする対談で、すごく面白いなと思って。
医師としては精神医療が一番そういうものを扱えそうだなと思ったのが理由のひとつです。でも、いま考えると自分の家族の問題とか、理由はいろいろありそうですけど。
磯野 何かになった理由って、ないようでありますよね。
星野 「ないようである」ですね。
磯野 私も、ストーリーとしては「こういう原因があって人類学者になりました」って言うけど、本当にそうかなって言われたらわからなくて。もしかしたら全然違う理由かもしれないじゃないですか。道にいたカマキリのお示しとか(笑)
星野 カマキリが知らない間に無意識にアクセスして「精神科医になれ!」ってやった可能性もありえますからね(笑)
磯野 星野さんのお話で面白いのは、医学系の方は「スピリチュアル」とまとめられそうな言葉を嫌がる方が多いなって思っていたんですけど、『ないようである、かもしれない』には「マイクロ宗教」とか「小さい神様」とかの言葉が出てきますよね。蛇のマークが入ってるえんじ色のスクラブを着ると、いい感じに診療が進むって話が私は好きで。
星野 僕は医者らしくないほうが絶対にいいなと思ってるんです。
磯野 それはなんでですか?
星野 診療で話をするときに、医師の肩書って権威的なものを感じさせる気がするんです。
磯野 実際、そうだと思います。
星野 そうですよね。医者らしいと、ちょっとしたことで相手の選択に影響を与えすぎちゃうんじゃないかと思って。だから、磯野さんと僕がいま話しているように、人対人として話ができると過不足がないかなと思うんです。
左 星野概念さん/右 磯野真穂さん
「先生モード」を出すとき
磯野 私も先生っぽいのは嫌だなと思って、意識的に「先生」を表出しないようにすることもあるんですけど、ここぞというときには意識的に「先生モード」を出すこともあります。
星野 それはどういうときですか?
磯野 相手が明らかに方向性を迷っていて、こちらには確実に行ったほうがいいだろうという方向性が見えている。かつ、その道に私が伴走できると思ったときは、「先生モード」を発揮します。
星野 いま磯野さんが伴走と言いましたけど、こっちの意見を強めに出すときはそれがすごく大事だと思います。
精神科の診療では、たとえば「週1回30分話し合っていきましょう」と約束事を決めるパターンがけっこうあるんです。そして、決めたからには伴走し続けないといけない。相手の方にすごくきついことを言われたとして「そんなこと言うんだったらもう診ない」とするのは約束違反。
異動や何かの理由で伴走をやめるときもあると思うんですけど、そのときはそれに向けての話し合いをしなければいけないと思っています。伴走ができると思ったときに「先生モード」を出すのが大事だし、そうじゃないと出せないなとも思いますね。
磯野 そういうとき何を根拠にしているかというと、「たぶんいける」みたいな身体感覚なんですよね。この感覚を言葉にしようとすると途端に心許なくなるのですが、言語化しづらいものを根拠に思い切るときって、こっちも緊張しませんか?
星野 緊張します。
磯野 しますよね(笑)。やっぱり、言ったからには最後まで一緒に行かないと。信頼はそこで生まれると思うんです。だけど裏切られた信頼って一番つらいから、何年も残っちゃう可能性がある。だから、それをしないためにも「先生モード」に立つときはけっこうな覚悟をしていく。そういう局面が過去に何度かありますね。
コミュニケーションの途中のぐるぐる
磯野 最近、人類学者の木村大治さんの本が好きで読んでるんです。「共にあるとはどういうことか」をずっと分析されている方なんですけど、たとえば「自動販売機にお金を入れてジュースが出ることは相互行為だろうか」って話があります。
コミュニケーション(相互行為)とは何かを、木村さんは「たくさんの可能性のなかから選び出しているかどうか」だと言っています。たとえばこの場合、自動販売機は選んでないんですよね。「どうしようかな、やっぱり今日は売らない」みたいなことはしない。
言葉でのコミュニケーションって、じつはその言葉や行為を選ぶ前に無数の可能性が存在してるんですよね。もっと違うことを言う可能性もあったけど、何かの理由でその言葉が引き出されてきた。私はこれが大事だと思うんです。でも、質問集とかで言葉がツール化されてしまうと、その可能性は消されてしまう。
星野 そうなんですよね。
磯野 コミュニケーションに正解をつくってしまうと、それはコミュニケーションじゃない。
星野 いまの自販機のたとえはすごいですね。お金を入れるとコーラがすぐに出てくるというのはツール化されているというか、途中のぐるぐるがないですよね。もし自販機がコミュニケーションを丁寧にしようとしていたら・・・。
磯野 じゃあ、私がお金を入れるので自販機をやってください。
星野 はい。
磯野 お金を入れて、「コーラ」。(ボタンを押す)
星野 あー、コーラ・・・をこの人は・・・欲しい。でもなんか今日は・・・もしかしたら糖分をいっぱい取っているかもしれない。
磯野 コーラ! コーラ!
左:思い悩む自販機/右:コーラのボタンを連打する磯野さん
星野 いや、でもなあ、この人コーラを押してるからなあ。
磯野 お金入れて30秒も経ったんだけど~~
星野 じゃあ一応、そっと、コーラを・・・。みたいな感じですか(笑)
磯野 こういうことですよね(笑)。こっち側にも、コーラが出てきてほしいけど来るかなっていう緊張感がある。
星野 コミュニケーションってそういうことですよね。やりとりが直線的すぎるとコミュニケーションとは言いづらい。
磯野 相手のやってくることが完全に予想できるやりとりって、もしかするといわゆる政治的な関係がそうかもしれないですね。相手に求めることが決まっていて、「このレスポンスが欲しいから私はこうする」ってものすごく意図的にやる。それを政治的と私たちが呼ぶのは、たぶんそれはコミュニケーションじゃないと思ってしまうからですよね。
政治的な関係は、コミュニケーションをお金と物の交換みたいにしてしまう。だけど潜在的にある山のような選択肢から選ぶのがコミュニケーションなんですよね。
(後半につづく)
星野 概念(ほしの・がいねん)
1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』(ミシマ社)、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(以上、リトル・モア)がある。
磯野 真穂 (いその・まほ)
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒(1999)、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了後、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。著書に『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書、2019)、『急に具合が悪くなる』(共著:宮野真生子、晶文社、2019)、『医療者が語る答えなき世界 いのちの守り人の人類学』(ちくま新書、2017)、『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社、2015)がある。