磯野真穂×星野概念 「病む」と「治る」ってなんだろう。~精神臨床と医療人類学の話から~(後編)
2021.04.22更新
『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』の刊行記念イベント第二弾は、人類学者の磯野真穂さんをお迎えし、星野概念さんと対談していただきました!
磯野真穂さんは、『急に具合が悪くなる』(晶文社)などの著書があり、医療人類学の立場から医療現場の関係性やコミュニケーションについて研究されています。
時には厳しい判断を迫られる医療の現場で、「ないようである」曖昧さに向き合っているお二人。
今回の対談は、「『病む』と『治る』ってなんだろう。~精神臨床と医療人類学の話から~」と題して、「先生」として相手とどう接するか、信頼はどうやって生まれるのか、コミュニケーションとは何か、などお二人とともに考える時間となりました。
代官山 蔦屋書店さん主催でオンライン配信されたイベントの様子を、二回に分けてお届けします!
(構成・岡田森、構成補助・染谷はるひ)
「あたりまえ」の副作用
磯野 『ないようである、かもしれない』のなかで、星野さんが恐れつつ牡蠣を食べる話もおもしろかったです。
星野 「この牡蠣は危ないぞ」って体からの声を感じるときに、それに反することをするとずっと気になるんですよね。
磯野 「なんか怖い」「嫌な感じがする」って身体的感覚はすごく大事だと思います。『なぜふつうに食べられないのか』(春秋社)でインタビューさせていただいたみなさんは、その怖さが情報から入ってきているんですよね。星野さんみたいに牡蠣を食べて、牡蠣に対する身体性が生まれるんじゃなく、先に入ってきた知識から感覚が出てきちゃう。これが私は怖いなと感じたんですけど、星野さんはどうですか?
星野 本には、痩せてないことを人に言われて、そこから葛藤が始まった方のお話もありますよね。それって世間の「あたりまえ」の副作用を思いっきり食らってしまっているんだと思います。そういうふうに他者の「あたりまえ」、多数の意見に翻弄されてしまうということを感じました。
磯野 以前、海外のドキュメンタリーを見たんです。耳が少し目立つせいでいじめられた女の子がいて、無料で手術してくれるNPOでその耳をなおすというもので。それでびっくりしたのが、担当医が「他の場所もなおそう」って言うんですよね。「顎が出てるから削っちゃおう」とか。
星野 ええ!?
磯野 リポーターが「彼女はそんなこと言ってないじゃないですか」と言ったら、彼は「彼女は気づいてないからね。でも僕は見えてるよ」って。それで他の整形手術もして、最後に彼女が「It's beautiful」と言うのも衝撃でした。専門家が問題を見つけて、こうしたらもっとよくなるよと言ったら手術しますよね。こういうことが若年化して、かつ生活のありとあらゆる場所にはびこっている。
私が怖いなと思うのは、それって私たちの想像力に介入しているんですよね。想像力って「自由にはばたかせろ」とか言うじゃないですか。でもこのドキュメンタリーの医師は、理想の顔を想定し、彼女がその顔からズレていることを指摘するという形で彼女の想像力に介入している。
星野 そうですよね。
磯野 人間の想像力をここまでコントロールしていいのかなと。想像力に専門知識が入り込むって、どうなんですかね?
極端な変化は危険
星野 僕も「正しさってあるのかな?」と思うんですよね。 金子みすゞさんの詩にある「みんな違ってみんないい」って言葉は、その一節がめちゃくちゃ一人歩きしてると思うんです。「みんな違ってみんないい」ってほんと? それは多様性なのか? って思います。人と人って違いますけど、それがいいのかって、いろんな感じ方があると思います。「みんないい」なんて、なかなか言えない人もいるんじゃないかな。
「正しさをわかる」って危険ですよね。わかるといっても、その人の一意見じゃないですか。専門家という権威がはたらいているところで「これが正しい。僕はわかってる。こうしよう」ってその担当医は言っちゃってるんですよね。
磯野 でも、彼女は耳のことでいじめられてすごく苦しんでいるので、結局それで救われるんですよね。 それが救済になることに言葉を失うというか・・・。
星野 それは救済になってるのか・・・。
磯野 その瞬間は救済ですよね。そのあとはわからないです。
星野 極端な変化って、良い変化も悪い変化も危険だと思います。どこかにゆがみが出てくる気がするんですよ。その先その子が後悔しないかわからないし、後悔したときに、たとえばその先生に「どうしてくれるんですか」って言ったとしても「それは説明しましたよね。サインしてもらった書類がありますよ」みたいになるのがすごく怖い。だから医療機関における意思決定は難しいなと思うんです。
磯野 難しいですね。結局コミュニケーションは、その場の状況を信頼できるかという、なんの根拠もないものによって立っている。だからこそ怖いんですよね。
星野 怖いですね。怖いんですけど、関係性の耕し方は大事だし、丁寧さが必要なんだろうなと思います。インフォームドコンセントが良い例ですが、書類にサインしたっていうのは信頼じゃないですから。
磯野 むしろ信頼してないからですよね。
ツールはとっかかりの挨拶みたいなもの
磯野 木村大治さんは、特に見知らぬものとのコミュニケーションは決まりではなく「投射」によって支えられているんじゃないかと言っています。「おそらくこの人とだったら未来も一緒にやっていけるだろう」という根拠のない投射があってはじめてコミュニケーションが成り立つと。それがないと、とりあえずの模索もない。けれどもその信頼がどう生まれてるのかって言われると、説明できない。
ただ私たちは普段のコミュニケーションを制度とか、役割とかに頼って行い、それらが与えてくれる決まりに則ってコミュニケーションを取るので、コミュニケーションにおける信頼の存在にはそれほど気づかずにいられます。
星野 決まりが不要だとは思わないんですけど、その取り扱い方が問題だと思いますね。
磯野 決まり、すなわちコミュニケーションのためのツールはとっかかりとしてあるだけで、挨拶みたいなものですよね。とりあえず「おはよう」と言ったら「おはよう」と返されて、安心してはじまる。まずやってみるためにツールがあるべきなんですけど、しばしばツールが目的化しちゃうんですよね。
星野 ツールをつくった人は取り扱い方もすごく考えているかもしれないんですけど、みんなが使うと表面的なものだけ受け取られてしまうことってありますよね。
磯野 ツールは可能性のなかからその人が引き出してきたプロセスに一番価値があって、そのプロセスとともに使われたほうがいいんでしょうけど、なかなかそれを引き継げない。共にいることや信頼から、生きることについて考えるとき、顕在化しなかった可能性をちゃんと考えることが大事なんだろうなと思います。
「悩む」と「病む」を見分けるマンガ査定
磯野 参加者の方から質問がきていますね。これ、けっこう皆さん星野さんに聞きたいんじゃないですか?
Q. どこからが病んでいるのでしょう? とくに心の病の場合、本人の自覚では「思い悩む」と「病んでいる」の違いがわからず、受診するかどうか躊躇してしまいます。
星野 難しいなあ。 それは地続きだと思います。判断するとき、生活に即したことで考えるのが大事だと思います。診断とか症状を基準にするのではなく、生活のなかで困ってることが多かったり、うまくいかないことが増えたりしていたら相談に行ってみる。
その相談先で「この人は自分のことをわかってくれてないな」とか、「わかろうとしてくれてないな」みたいな感じがあったら相談先を変えたほうがいいと思います。
磯野 その「感じ」って大事ですよね。お医者さんとも出会いだから。合わないんじゃないかって人のところに通い続けるのは逆に具合が悪くなりそうですよね。
星野 そうなんですよ。相性が合ってるのか合ってないのかは判断しにくいんですけど、ひとまず「明らかにこの人は違うな」と思ったら律儀に通院し続ける必要は、僕は無いなと思います。
磯野 しっくりくる感がそのお医者さんとの間に生まれそうかっていうところですよね。
星野 薬が出る場合は多いと思うんですけど、違和感があるなら、この薬は本当に自分が飲むべきものなのかとか、すごく話し合ったほうがいいと思います。
磯野 その話し合いを拒否してくるような感じだったら、たぶん相性が悪いってことですよね。
星野 そう思いますね。
磯野 思い悩んでるときって、スマホをやたら見てる傾向があると思うんです。スマホを三日くらい意識的にやめてみて、それでもおかしかったら行ってみるとか・・・。
星野 下向きの気分のときにSNSを見てると、それを悪循環させるものばかり拾っちゃうんですよね。スマホを見ないかわりにどうするか・・・。
磯野 そこでこれですよ、『ないようである、かもしれない』にも出てくる『SLAM DUNK』!
星野 持ってきたんですね(笑)
磯野 初対面だし、トークが詰まったらどうしようと思って、『ないようである、かもしれない』に出てくるものをいろいろツールとして仕込んできたんです(笑)『SLAM DUNK』はスマホを見るより五〇倍いいですよ!
星野 それはそうですね!(笑)
磯野 いや、『ちびまる子ちゃん』とかでも良いんですけど、マンガの大人買い、いいと思います。
星野 僕もそういうとき、マンガ読みますね。
磯野 で、全巻読破しても「ちょっとなんか変だ・・・」となったときは、専門家の助けが必要かもしれないですね。
星野 そうですね。そういうワンクッションというか、一回自分のなかで査定をするといいかもしれないですね。
磯野 マンガ査定ですね(笑)
(終)
星野 概念(ほしの・がいねん)
1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』(ミシマ社)、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(以上、リトル・モア)がある。
磯野 真穂 (いその・まほ)
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒(1999)、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了後、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。著書に『ダイエット幻想 やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書、2019)、『急に具合が悪くなる』(共著:宮野真生子、晶文社、2019)、『医療者が語る答えなき世界 いのちの守り人の人類学』(ちくま新書、2017)、『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社、2015)がある。