第27回
偶然と呼ぶべきなのか、何かの導きと捉えるべきなのか、
2021.08.17更新
去年の今頃に想像していたのとはかなり違う世の中になってきている気がします。色々な捉え方があると思うし、いやいやこうなると思っていたよ、という人もいるでしょう。でも、少なくとも僕は、社会がこんなにもウイルスに悩まされ続けることも、もともとあまり興味がなかったオリンピックに対して今まで抱かなかった葛藤の気持ちが芽生えることも、全く予想できていませんでした。どんなことでも、先を読むのは難しいですね。
そんな中、気をつけながら色々な形で自由が失われないように工夫を続けている人たちがいます。感染症のことはとても大きな出来事ですが、生きていれば大小様々な予想外のことが起こります。それらは当然嬉しいものばかりではありません。なんだかうまくいかないなぁという時に、工夫を考え続けるということはとても大切な構えだといつも思います。
工夫を考えざるをえない状況というのは、そうしないと仕事や生活がおびやかされるという状況が多いと思います。きっと今は、挙げればキリがないほどの人たちが、「仕方ない、この手を打ってみよう」という形で日々試行錯誤し、工夫に頭を捻っているのではないでしょうか。飲食業に携わる知人が多くいますが、本当に大変そうです。これまでと同じように営業できている店はどこにもないのではないかというのが大げさではない印象です。精神医療や福祉の現場も様々な工夫を必要としています。オンラインという手法になると不可能になってしまうケアはたくさんあるのです。でも、オンラインではなく通院するとなると、定期的に病院に足をふみ入れることになります。待合室は相変わらずの大混雑。感染予防を徹底しきることの難しさを日々実感します。通院がままならない人の家には、今でも当然訪問支援を行います。訪問看護、訪問薬剤、訪問診療などなど。もしもこれらのかかわりが感染症のきっかけになるようなことがあれば、通院がままならない人が無理をして家から出て、病院に行かなければならないかもしれません。そんなことを考えるととても緊張するし、なるべく短時間での訪問を心がけようとしますが、短時間になるとケアの側面で不十分になってしまうこともある。まだなかなか、この新たな環境に対しての良いバランスというものが定まっていないというのが現状です。
音楽業界の人たちも工夫を続けています。しばらくオンラインで配信ライブを続けていた友人のバンドマンがいますが、はじめのうちはそれを有料にしてよいものか無料でやるべきか、という迷いがあったようでした。しばらくしてオンラインでの配信ライブの手法が確立されてくると、果たしてこれでライブの魅力が伝えられているのだろうかという疑問が湧いてきます。いや、これは最初からあったものですが、ライブの魅力がオンラインだけで伝えられるはずがないのです。ライブに行くのが嫌いではない人ならば分かると思います。音や、演奏している人たちの気持ちがからだ全体に響くのは、耳と目以外でもライブを感じているからです。五感や雰囲気などすべての感覚を総動員できるからこそライブは他に変えがたい。でもそれがなかなか難しい状況です。そしてこの状況が続くと、今度はライブをやる場所の経営が立ち行かなくなります。もうすでにかなり逼迫していると思うし、放っておいたらライブハウスがなくなってしまいそう。そんなことになったら取り返しがつきません。知っている人も多いと思いますが、今ではライブは、入場者数を大きく制限しながらも現場で体感できるようにはなってきていて、それに加えてそのライブを配信するという工夫に行き着いています。
先日、僕もそのようなライブに参加することになりました。個人的には数年前からバンドやユニット活動をしなくなって、ライブの頻度は減っていましたが、2020年4月以降、その回数は本当に極端に減りました。2020年は12月に一度、配信だけのライブに参加しただけで、今回はそれ以来のライブ。つまり、2021年で初めてのライブでの演奏でした。半年以上も人前で演奏していないというのは相当に緊張するものでしたが、気のおけない人たちとの演奏だったことが救いでした。その救いがありながらも、いくつか弾き間違えてしまって、そのたびに、「配信されているということはライブの現場よりもずっとクリアな音でこのミスが伝わるということか・・・」と余計なことを考えてしまい、ミスを連発してしまいそうな悪循環に陥るところでした。オンラインというのは本当に厄介で、演奏のミスは伝わりやすいし、演奏でなくても、トークイベントを配信してその後にアーカイブが残るなんて言われたら、下手なことを言えないぞ、と硬くなってしまいます。配信の環境で自分を律しすぎそうな考えを拭うことは、実は至難のわざであると感じています。
そんな色々な葛藤もありながら、やはりライブで演奏するのは楽しく充実したもので、ライブをするまでの何度かのリハーサルの日を含めて、やはり良いものだなぁと思いました。ライブを終えて楽屋でダラダラしていると、一緒に出ていた他の知らないバンドの人から、「星野さん、お久しぶりです!」と急に勢いのある感じで話しかけられました。確かに僕は星野さんだけど、僕はその勢いのある人を知らない気がしました。今や星野といえば色々な有名な星野がいます。音楽家とか俳優とか、小説家とか、リゾートとか。そういった有名な星野がいる中で、その人は僕が僕としての星野だということを分かっているのだろうか。そんなことを、『東京大学物語』に出てくるほどではないにしても、ぐるぐる考えていたからか、勢いのある人に対してしばらく黙ったまま、じっと見つめる形になってしまいました。それで急にピンときたのです。
こういう時のピンとくる感じ。これって思い出す、というのとまた違う気がしています。その人と目が合ったりした何かしらの瞬間がきっかけになって、まるで昔その人とやりとりをした時のような体感が蘇っているかのように、脳の記憶ではなくからだが再体験している感覚。そういう、過去の体験のフラッシュバックのようなことが生じている気がするのです。そのフラッシュバック的な現象によって思い出しました。その人は、十年以上前に僕が組んでいたバンドでよく出演していたライブハウスの店員さんでした。その後、その人は自分のバンドでフェスの常連になるくらいの出世をして、僕はそのバンドの音楽が好きだったのですが、まさかその日の楽屋で会うなんて考えていなかったので、なかなか思い出せなかったみたいです。話せば話すほど、見れば見るほどにその人はその人で、なんだかとても嬉しくなって思い出話に花が咲きました。僕が好きだったその人のバンドは、今は解散してしまって、それでもやはりつくりたい音楽があるので新しいバンドを組んで活動しているということでした。これも、音楽を続けていくための工夫だなぁと思います。
そんな驚くべき嬉しい出会いがあり、少し前までだったら打ち上げがあってきっと遅くまでその人と酒を共にしたと思うのですが、今は打ち上げすら開かれません。これも含めて、今の状況の中で安全にライブをしていく工夫と言えるかもしれません。それでも、ライブで演奏ができた充実感や、久々の出会いの嬉しさなどを噛み締めながらの帰路。重い機材を持っていたし、家までものすごく遠い場所というわけでもなかったのでタクシーで帰ろうかと思いつきました。タクシー乗り場の近くまで行って、一応家までの距離と予測料金を調べました。よし乗って帰ってもよさそうだ、と思いながら、もうこれは癖で、その時しなくても良さそうなメールチェックをしてSNSを開いてしまいました。少しSNSをみ始めてから、いやいや今みなくて良くない? と自分にツッコミを入れてタクシーに乗ることにしました。その間、何人かの人が待っていたタクシーに乗って行ったと思うし、タクシーに乗ろうとしてからもはじめの二台は背が低いタクシーでした。ギターなどの機材がある時は背が高いタクシーの方がずっと乗りやすいので、その二台を他の人に譲って次にきた背の高いタクシーに乗りました。家までの道を伝えて一息ついていると、急に「星野さん、星野さん!」と運転手さんに声をかけられました。いやいや、だから、星野がここのところなんとなくキてる感じは分からなくもないですよ。でも、それは僕ではなく・・・、と考え始めたところでちょっと待てよ。運転手さんは僕が星野だということを知らないはず。僕が、源さんとか、智幸さんとか、リゾートさんに似ているのならば間違えるのは分かるけど、その誰にも似てると言われたことも、自覚的に似てると思ったこともありません。なぜこの人は僕が星野だと知っているのだ、とまたたくさん考えながら運転手さんが指差している助手席前の名札を見ると、なんと十年以上前のバンド時代、よくライブハウスで同じイベントに出演していたバンドのヴォーカルの人でした。なんだこの「世にも奇妙な物語」的展開は! 驚きすぎて、これまで一度もやったことがなかった、洋画でよく出てくる外国人が「ワオワオワオワオ」と少しずつ「ワオ」の音量が大きくなるようなリアクションをしてしまいました。その人は、僕がバンドの解散後に二年ほど生き方に迷っていた頃、同じようにバンドが解散して、急に満面の、完璧そうで脆そうな笑顔のアイコンとともにSNSで自己啓発的な発信を連発していた時期がありました。自分も迷いの中にいたけど、当時その人のことはとても心配で、しばらく共通のバンドの友人に様子を聞いたりしていたのですが、みなあまり連絡を取れない状況になっているとのことでした。
そんな心配の時期から八年ほど経過しての再開。目の前には、バンドで一緒のイベントに出演していた頃とほとんど変わらないその人がいました。僕は気遣いをする余裕がなかったのと、もともと気遣いし合うよりももっと近い仲だったこともあり、心配だった時期のことなどを直接聞きました。その時はやはり迷いの中にいて、少しの間自分を見失っていたけど、その後すぐにタクシーの運転手さんになり、都内の二十三区内を毎日回っているということでした。その人はタクシーの運転手をとても楽しんでいて、天職だと語っていました。その人がタクシー運転手になったのも、僕が医師として再出発したのも、八年程前のそれぞれが生きていくための工夫だったのかもしれないなぁと思います。
それにしてもその日その人は、二十三区内というとんでもなく広い範囲を朝から回っていて、帰ろうとしていたけどタクシー乗り場があったので最後に寄って仕事をして帰るところだったそうです。だから、僕はその日の最後の乗客だったと言えます。僕は乗る前にスマホにとらわれそうになったり、タクシーを譲ったりしました。それらのどれか一つでも欠けたらその人との再会はなかったでしょう。この出会いを偶然と呼ぶべきなのか、何かの導きと捉えるべきなのか、それはどちらとも言えませんが、この日は2021年で初めてのライブで、楽屋で十年以上ぶりの出会いがあり、最後にこんなお導きタクシーエピソードがありました。
僕は常々、嬉しい驚きは、とても豊かな心の栄養になると思っているのですが、この日はまさに栄養満点な日でした。この心の栄養が、今後どのような影響を及ぼしてくれるのか。それは自分でも気づかないような形かもしれませんが、とてもとても楽しみなことです。
編集部からのお知らせ
この連載が本になりました!
本連載をもとにした『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月に発刊されました!
刊行を記念して、装画を担当された榎本俊二さんや、人類学者の磯野真穂さんとの対談イベントがおこなわれ、その一部が文章としてミシマガに掲載されています! ぜひご覧ください。