日本習合論

第10回

W刊行記念 内田樹×釈徹宗「日本宗教の "くせ" を考える 富永仲基と「習合」の視点から」(1)

2021.01.24更新

 内田樹先生の『日本習合論』(ミシマ社)と、釈徹宗先生の『天才 富永仲基』(新潮新書)の2冊の本の刊行を記念するトークイベントを、12月9日にMSLive!で開催しました。

 内田先生と釈先生が、それぞれの本のテーマとなった「習合」「富永仲基」をキーワードに、日本の宗教についてお話されました。「三教(仏教・儒教・神道)はそれぞれ『くせ』がある」と指摘したのは富永仲基ですが、2人のお話からも、日本の宗教史、また文化史が持つ「くせ」を露わになってゆきました。
 今日と明日の2日連続でお届けします!

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左:『日本習合論』内田樹(ミシマ社)   右:『天才 富永仲基』釈 徹宗(新潮新書)

浄土真宗は習合を避けようとしてきた?

ーー日本の宗教、とくに浄土真宗と「習合」との関係について、お聞かせください。

 日本宗教文化は習合信仰の傾向が強く、それが基盤になっていることは間違いありません。よくキリスト教文化圏やイスラム文化圏と比較して語られるところですが、霊魂観や来世観なども複数が習合しています。
 また、その一方で、できるだけ習合を避けようとした流れもあります。浄土真宗や日蓮宗や唯一神道などといった派です。浄土真宗などは、神道や密教とはできるだけ習合しないような体系を構築しようとしてきました。日本宗教文化の流れから言えば、非主流派です。しかし、そんな非主流の宗派が日本最大の伝統仏教教団になるわけでして。そのあたりは日本の宗教状況のおもしろいところです。浄土真宗の場合は、弱者を強い求心力でつなげていったあたりが特徴ですね。
 それと、日本の習合信仰を考える場合、外来の宗教を日本型に変質させて受容・習合してきたところも特徴です。仏教は「日本型仏教」になり、儒教は「日本型儒教」になり、キリスト教は「日本型キリスト教」になってきました。日本に合わないものは排除するんですね。そうやって土着するわけです。

内田 鈴木大拙の『日本的霊性』によると、平安時代までの仏教は一部の貴族たちの間だけに受け入れられていた都市的なものだった。それが鎌倉時代になって、民衆の間に広まり、「大地のエネルギー」を吸い上げて、それを滋養にすることによって日本固有のものになった。平安時代の都市仏教が、生活者のエートスと習合して日本固有の仏教が成立したという大拙説を採れば、浄土真宗や日蓮宗のような鎌倉仏教はそれ自体が外来と土着が習合したものだったということになります。だったら、それ以上の土着との習合の必要はなかったということで説明はつきませんか。
 ぼくの言う習合というのは、外来の、体系的・理念的なシステムが、生活者が足裏から吸い上げるアーシーな(泥臭い)エネルギーと結びつくことなんです。日本の場合は、そこからしか豊穣なものが生まれてこない。そういう考え方なんです。だから、日本列島のなかに根を張っているものであれば、「くっつく」ものはなんでもいいんです。
 浄土真宗では、理想的な宗教実践者は「妙好人」ですよ。深い仏教的知識を具えた学僧や徳の高い高僧ではなくて、民間の、地に足の着いた無学な生活者たちが実践する素朴な信仰を浄土真宗は理想として掲げた。ぼくは「妙好人」というアイデアそのものがすごく習合的なんじゃないかと思います。

(編集部註:妙好人・・・浄土真宗を中心とした浄土教の篤信者のこと。とくに浄土真宗の念仏者の篤信家を指す。〈『世界大百科事典』(平凡社)より抜粋〉)

 そこが内田先生の習合論の興味深いところです。単に重層信仰を良しとされているわけではない。その文脈で言えば、浄土真宗のような草の根型の宗派は、ある種の習合を見て取れることとなります。妙好人はその好例でしょう。とても習合的な人たちですから。
 妙好人が浄土真宗の人格の理想とされるのは江戸時代からです。そこには各時代における篤信者のモデルが投影されています。そして妙好人は批判の対象にもなるんです。批判の論点はいくつかあるのですが、その中のひとつに「習合信仰的だ」というものもあります。これも習合を避けようとする浄土真宗の性質なのですが、実は1990年代に浄土真宗の門徒たちは実は意外と習合的だという調査結果が発表されたことがありまして。教学や理念の部分では習合的なものを避けようとしてきた伝統を持ちながら、現場の生活者の大半はとても習合的だということがわかりました(笑)。浄土真宗の関係者の中でも衝撃の調査結果でした。社会心理学者の金児暁嗣先生の『真宗信仰と民俗信仰』(永田文昌堂)などに詳しくデータが出ています。

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左:釈徹宗先生、右:内田樹先生

「いろいろあっていいじゃない」を論として確立する

 習合の態度の反対は、理念的でピュアなものを目指す態度だと考えるならば、「原初に戻れ」というような純化をめざす動きは、制度宗教の一つの習い性です。これは繰り返し起こるんです。宗教は、いわば「出だしがピーク」なんですよね。釈迦がピーク、あるいは親鸞がピークなんです。理想が最初の一歩にあるものですから、あとはすべて「堕落した」という表現がつきまとうのが宗教という領域の宿命です。それに「原初に戻れ」をという人たちの声は、やはりすごく強いんですよ(笑)。理念に合致しているものですから。これまで習合でおさまっていた人たちは批判の対象にされてしまいます。

内田 それは宗教のある種の生理というか、進化の自然なプロセスなのかも知れないですね。どんな宗教でも必ず定期的に「原初に還れ」「夾雑物を除去して純化せよ」という声が上がります。宗教だけじゃなくて、何でも。「マルクスに還れ」とか「フロイトに還れ」とか「物自体に還れ」とか(笑)。
 習合は、もともと「氷炭相容れざるもの」をなんとか折り合いをつけて一緒になってもらうということだから、無原則なんです。当座はなんとか折り合いはつくけれど、その場のしのぎですから、時間が経つと無理がでてくる。「汚れ」がたまる。だから、定期的に浄化しなければならなくなる。「原初の清浄に還れ」というスローガンが出てくるのは、だいたいシステムが惰性化して、そこに流動性がなくなったときなんです。システム内の偏りがある閾値を超えると平等に戻す。コップの底に澱が沈殿したら、コップを振って、濃度を均等にしますでしょう。ああいう感じで、偏りを解消する。均質とか平等というのは人為が介在しないと実現しないんです。システムを放置していたらいつの間にか平等が実現したということは人間の世界では絶対に起こらない。放っておけば人間は必ず階層や格差を生み出す。資源や権力や文化資本の偏りが生じるのです。だから、ときどきシステムを揺り動かして、沈殿したものをかき混ぜて、流動性を再起動させないといけない。システム内をいったん均質にして、平等を実現するためには、その場合には理念先行の、観念的な、原理主義的な働きかけが必要になる。習合で折り合いをつけて、純化でシステムを揺らして偏りを解消する。そういうことを繰り返しをしているんじゃないかな。

 たしかに習合は、情緒的でもありますし、境界をぼやかせます。問題棚上げ・先送りというのが基本的な態度でしょう。異なる宗教が共存するためには、基本的に「棚上げ」であり「先送り」なんですけど、ずっと棚上げばかりしていると、重みで棚が落ちそうになるので(笑)、棚の作り直しみたいなことは起こりますね。
 ところで、内田先生が『日本習合論』を書かれたモチベーションのひとつに、なぜあれほど簡単に明治時代に神仏習合をあっさりと捨てたのか、なぜそれをみんなが受け容れたのかという問いがありますよね。

内田 習合にはきちんとしたロジックや理論がないんです。習合を学的に基礎づけるような宗教理論って存在しない。気がついたら、なんとなく習合していた。集合無意識のなせるわざなんです。理屈じゃない。だから、本居宣長のような人が出てきて、理論的に「習合はダメだ」と言われると反論できない。理論がないんだから、反論のしようがない。

 習合は無原則なだけに、強引なものには弱いということがあるんでしょうね。仏教と神道とをきちんと線引きしようとした。もともと双子の関係なのに。自分の経験上思うのですが、近いものほど違いを強調して離れたがる。たとえば、東本願寺と西本願寺(の宗派)って、おたがいに違うところを強調しがちなんです。大きな目で見たらおんなじだと思うのですが、やけに違いを強調する。そのわりには、浄土真宗とキリスト教の同じところをあげたがる人がいたりして(笑)。人間ってそういうところがあるのかもしれないですね。だから、仏教と神道もことさら相違を強調する時期があった。

内田 ときどきそういう、「違うものはちゃんと区別して、境界線をきっぱり引こうじゃないの」って言い出す几帳面な人がいるんですよね。気持ちはわかるんです。一緒になってはいけないものがくっついているのを見るとむかむかするというのは、わかる。でも、そうやって「くっつけておく」ことによって、実はいろいろな深刻な問題が顕在化しないで済まされてきている。習合を正当化する理論て、立てにくいんです。「そちらにもそちらのお立場があるでしょうし、こちらにもこちらの立場がある。どうですここは一つナカとって・・・」というやり方なんですから。それをどうすれば理論化できるか。それが僕のライフワークなんです。

 それが『日本習合論』に結実したわけですね。

先人が残したものをどう踏まえるか、という文化

内田  神仏習合は、聖地のリアルな吸引力から始まったんだと思うんです。パワースポットというのがありますよね。巨石とか巨木とか山岳とか滝とか、そういうところに宗教的感受性の強い人が惹きつけられてやってくる。宗教活動はそこから始まる。
 キリスト教の場合でも、古い教会があるところはそれ以前の宗教の聖地なんです。先行する宗教を消して、その上に上書きした。ミトラ教の聖地の上に教会を建てる。ドルイド教の聖地の上に教会を建てる。でも、日本はちょっと違う。前あったものを消して上書きするということはしないんですね。重ねるんだけれど、下にあるものが透けて見えるようになっている。
「歌枕」ってあるじゃないですか。昔からの因縁やいわれのある場所に行くと、歌人俳人はとりあえずそこで一首一句を詠む。その場合、その歌枕でこれまで歌われた先行作品を踏まえておかないといけない。だから、歌枕で詠まれた歌については、先行するどのようなテクストの、どの箇所を踏まえているのか、それがわからないと歌の真意がわからない。単独で作品が自立しているわけじゃなくて、そのつどすでに先行作品とのコラボレーションなんです。歌枕というのはすごく習合的な気がするんです。先人たちがそこに積み上げてきたものをすべて滋養として取り込むという、オープンマインデッドな感じが。

 先に自分の思想・信条があって、やってきたパスに対して「これは俺の信条にあっているか」と取捨選択するんじゃなしに、まず先人からのパスをキャッチしたうえで、パスされてきたものを大切に磨き、あらためて自分の想いも載せて次へパスするみたいな作法でしょうか。

内田 そうです。オリジナルなものを追求するのではなく、まずは祖述というか、臨書というか、そういうところから入る。そうやって先行するものとつながる。歌枕みたいなものって、ヨーロッパの文学史には出てこないんです。「この海岸はかつてシャトーブリアンがナントカという作品を着想したところである」とか言って、それを踏まえて「では私もひとふし」とかいうエピソードを読んだ覚えがない(笑)。
 芭蕉が歌枕で俳句を詠むときには、必ず同じ場所で西行(平安時代後期の歌人)や飯尾宗祇(室町時代の連歌師)が詠んだ歌を踏まえてますよね。芭蕉だけ読むと、歌の深い意味がわからない。『笈の小文』で明石の歌枕を訪れたときに芭蕉は「蛸壺やはかなき夢を夏の月」と一句詠んでますけれど、その後に秋の須磨明石の浦の景色、淡路島の叙景を続けて、「物しる人の見侍らばさまざまの境にもおもひなぞらふるべし」と書いている。この句がどのような古歌を踏まえているかわかる人にとっては句の興趣は深まるであろう、と。それはこの句が『源氏物語』、謡曲『松風』、杜甫の漢詩などいくつもの先行作品を踏まえているからです。
 日本で「文学的教養」と言われているものはこのことなんじゃないかと思います。あるテクストについては、それが踏まえている先行作品についてどこまで遡及できるか、その深さと広がりを知ることを教養というんじゃないかと思うんです。ヨーロッパだと、誰かが何か引用句を口にすると、すかさずそれは聖書のどの章の第何節であるとか、シェークスピアのどこそこであると言い当てられる人が教養があるとみなされる。日本では違いますよね。口にした言葉の直接の出典を言い当てるんじゃなくて、それがどういう先行テクストを踏まえているか、それを味わう。知識を披歴するんじゃなくて、愉悦を引き出す。それって「習合的」じゃないですか。

 なるほど。それは歌ならではの特質にも由来しそうですね。歌はそもそも習合的で、ロジックよりも、パトスやトポスが先行します。そして、人間の宗教性にダイレクトにくる特性をもっている。聞いた話なのですが、源氏物語でも、文章の部分がストーリーになっていて、登場人物の感情や情緒はぜんぶ歌になっているそうです。内面は歌でつづられている。

内田 日本人の感情教育は歌を詠むことで成り立っていたんじゃないかと思いますね。子どもでも、人を好きになると歌を詠む。子どもにはもちろん恋愛の経験なんかない。嫉妬心とか訪れることを思い焦がれるとかいうことについて、自分自身には経験的実感はない。でも、そういう歌を詠む。実感を託して言葉にしたのではなく、すでにある言葉にちょっとだけオリジナル風味を加えたものを詠む。でも、そういうことを繰り返しているうちに、自分が詠んだ歌に媒介されて感情が熟成していく。起源が自分の中にはない言葉でも、いったん口に出してしまうと自分自身のものになり、浸み込んでくる。そのうちに「ああ、あの言葉はこういう感覚のことだったのか」ということが腑に落ちる。「人こそ見えね秋はきにけり」でも「焼くや藻塩の身もこがれつつ」でも、まず言葉を覚えて、それからしばらくして、夏の終わりにふっと秋の気配を感じたときに、待ち合わせに来ない人をじりじり待っているときに、「ああ、この感じか」とわかる。先に言語があって、感情はあとからついてくる。それが日本では感情の教育だったんじゃないかな。

適度なところで身を律する

 内田先生から見て、拙著『富永仲基』はいかがでしたでしょうか。

内田 面白かったです。本当に理知的な人ですよね。全く原理主義的じゃない。神道・仏教・儒教の三つを等距離なところから眺めていて。ふつうは、何らかの党派的な立ち位置があって、そこから他宗教を批判するわけですけれど、いかなる宗教的立場にも立たないという態度を貫いた。すごいことですよ。

 内田先生も『習合論』の中で、空海の『三教指帰(さんごうしき)』を取りあげられていましたが、世界に先駆けた比較宗教論として特筆すべき書だと思います。また、近世初期の日本人イエズス会士・不干斎ハビアンが書いた『妙貞問答』なども比較宗教論として注目すべき業績なのですが、どちらも護教論なんですね。最終的には自分の宗教の立場を優位にもっていく立論となっています。しかし、富永仲基はそういうところ全くないんです。

内田 『翁の文』(仲基が神道・仏教・儒教を論じた著作)の最後で仲基は「誠の道」を説きますけれど、僕はあれが好きだなぁ。

 そうなんですか!? そういう人はめずらしいです(笑)。富永仲基の著作を読んで、「誠の道」を高く評価する人って、内田先生くらいじゃないでしょうか(笑)。

内田 そうですか? いや、僕はあれがツボでしたね。「これだよ!」という感じでした。市井の生活者としての常識を足場に生きようという。要するに仲基は「原理主義的になるなよ」と言っているわけですよね。「人間はかく生くべき」というような先験的な決まりごとを掲げないで。
 デカルトも言ってますけれど、深く、徹底的にものごとを懐疑する哲学者だって、日常生活では法律と習慣に従い、信仰を保ち、周りの分別のある人を真似て穏健に生きなさい。なにごとによらず極端はいけないよって。社会集団ごとにモラルがちょっとずつ違うわけですから、どれが正しくてどれが間違っているかは言っても仕方がない。とりあえず常識的な、適度なところで身を律しなさいという。仲基があれ書いたのは、まだ20代のころでしょう?

 『翁の文』は、出版したのは仲基が逝去する半年ほど前ですので、おおよそ三十歳くらいでしょうか。ただ、『翁の文』の一部は、現存しない『説蔽』という著作だと考えられていまして、この『説蔽』は、十五~六歳の頃に書いたようです。また、『出定後語』は、『翁の文』の少し前に出版されたのですが、この内容は二十歳くらいで考えていたと記しています。

内田 20歳そこそこであれだけ成熟した境地に達していたというのに僕はちょっと感動しますね。たいしたもんです。

後編につづきます)

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

編集部からのお知らせ

2月23日(火・祝)内田樹×後藤正文 対談「習合と音楽~創造と創作をめぐる対話」開催します!

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新たな代表作『日本習合論』にて、「外来のもの」と「土着のもの」が共生(=習合)するとき、日本文化の創造性がもっとも発揮されると指摘した内田樹先生。『日本習合論』発刊記念対談の第4弾となる今回は、「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のフロントマン、そしてソロではGotchとして楽曲制作をし、第一線でロックの旋律に日本語の歌詞を載せることを深めてこられた後藤正文さんをお相手にお迎えします。日本の音楽は「習合」という切り口から語ることができるのか、また習合と創作の関係をめぐって縦横無尽にお話しいただきます。

開催日時:2月23日(火・祝)14:00~ 15:30
開催方法:MSLive!(オンライン配信)
定員:150名(増員あり)

詳細・チケットのご購入はこちら

本対談のアーカイブ動画を、期間限定配信中です!

aa409e60e3c15be83503.jpg本対談のアーカイブ動画を、2/28(日)までの期間限定で配信中です! ぜひ動画にて、両先生のお話を全編通してご視聴くださいませ。

詳しくはこちら

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