おせっかい宣言おせっかい宣言

第92回

初めての北米

2022.04.16更新

 北米に行ったことがなかった。いや、行ったことはあるが、空港で乗り継ぎしただけで、空港の外に出たことがなかった。北米に行ったことがないのは、若い頃からのアンチUSAな態度が影響していたが、それはともかく、南米の大国、ブラジルに1990年代に10年住んでいたから、空港自体の乗り継ぎは、北米で、何度もしていたのだが、空港の外に出たことがなかったのである。
 思えば、その頃は、JAL(日本航空)もANA(全日本空輸)も、ロサンゼルス経由のブラジル直行便、というフライトを持っていた。直行便、というのは要するに機体を乗り換えないで、同じ機体で、ブラジルまで行く、ということで、ロサンゼルスは給油だけ、ということである。今調べてみると、JALは2010年まで32年間、日本とブラジル直行便をJALの機体で飛ばしていたようだし、ANAは、ヴァリグ・ブラジル航空の機体で2006年まで共同運行していた。個人的にJALがあまり好きではなかったため、ずっとANAに乗ってきたので、日本ブラジル直行便は、ヴァリグ・ブラジル航空のものしか乗ったことがない。ブラジルと日本の時差は12時間で、ちょうど地球の裏側になる。つまりは、日本から一番遠いところである。直行便とはいえ、ロサンゼルスまで11〜12時間、ロサンゼルスからリオデジャネイロ(あるいはサンパウロ)までまた11〜12時間かかった。飛行機に12時間くらい乗る、というのはなかなかしんどいのであるが、12時間越えると、慣れてしまうのか、なんだかどうでも良い感じになってしまって、ロサンゼルスからの12時間はそんなにつらくなかったようなことを記憶している。
 ブラジルは世界で最も日系移民がたくさん住んでいる国で、人口の1%は日系人と言われている。だから、当時のブラジル-日本直行便は、日系の方々の"足"でもあった。1%の人口が日系人なのだから、この直行便の"お客さん"になる人も多いことになる。ヴァリグ・ブラジル航空はブラジル国内で、1960年代から結構長いこと、このブラジル-日本直行便のテレビCMを打っていたらしい。「浦島太郎」という話は、日本人ならおそらく誰でも知っているが、「ウラシマタロウ」は1990年代、私がブラジルに暮らしていた頃、ブラジル人の間でも、とてもよく知られていたのである。私が日本から来ました、というと、少なからぬブラジルの人が、あら私はウラシマタロウ、知ってるわよ、ポブレ・ペスカドールでしょ? というのである。なんで知ってるの? 浦島太郎? ポブレ・ペスカドール? 何それ? ポブレ・ペスカドールというのは pobre pescador、すなわちポルトガル語で「貧しい漁師」のことである。「ウラシマターロ、ポブレペスカドール・・・」と少なからぬブラジル人が、私の聞いたこともない、「ウラシマターロの歌」を歌ってくれた。なんですか、これは?
「ウラシマターロの歌」は、ヴァリグ・ブラジル航空のテレビCMで流れていた歌らしく、その内容は、「日本のある村に浦島太郎という貧しい漁師がいました。かわいそうな亀を助けたお礼に、亀は浦島太郎を背中に乗せて、ブラジルに連れて行きました。浦島太郎は、ブラジルがあんまり楽しくて居心地がいいので、何年も時間が過ぎるのも忘れて、うっとりと暮らしてしまいました。何年も経っておじいさんになって、ああ、日本が恋しいなあ、と思っていると、きれいな女性たちから玉手箱のプレゼントが届けられます。その中に入っていたのは、なんと、うれしい、ヴァリグの日本行きチケット! 浦島太郎は、日本に飛んでいきましたとさ」というものらしく、微妙に、というか、かなり、というか、日本昔話バージョンと違うのだが、ブラジルの人の間にあまねく膾炙しているお話となっており、原作は、今となっては日系人でもご存じないかもしれないと思うほど。よくできたストーリーで、確かに、竜宮城とブラジルはちょっと似ているかもしれず・・・。タコやヒラメのサンバとか・・・。いや、やっぱり微妙に違うのだが。
 1960年代から運行していたこれらの直行便は、今は、もう、ない。JALも(おそらく)経営不審が原因で2010年に撤退、ヴァリグは2005年に倒産、2006年に撤退してしまった。ブラジルー日本を何度も往復していた私は、スター・アライアンスだったヴァリグのマイレージをものすごくたくさん持っていて、一番高いステータスをもらっていたのだが、倒産とともに霧消した。会社が倒産すると、もちろんマイレージもなくなるのだ。悲しかった。今は、ブラジルに行こうとすると、どこかで違う機体に乗り継がなければならない。アメリカとかカナダとかで乗り換えるか、2001年の同時多発テロ以降、アメリカがトランジットの乗客にもビザを要求したりし始めたことで、ヨーロッパ経由の便の値段が安くなって使いやすくなったから、フランクフルトとかアムステルダムとかで乗り換えていた。
 ところが、このヨーロッパ経由南米行き、は、また難しくなりそうである。ロシアのウクライナ侵攻に伴い、日本からのヨーロッパ直行便がロシアの上を飛べなくなったのである。我々くらいの年代は、冷戦当時、ソ連の上を飛べる航空会社は、ソ連の航空会社、アエロフロートだけであったことをよく覚えている。ヨーロッパに行こうとすれば、アラスカのアンカレジ経由北回りで一回北極圏に出てからヨーロッパに入るか、南回りでバンコクとかカラチとか経由してヨーロッパに入るか、のどちらかであった。北回りでも17時間くらいかかったり、南回りだともっと時間がかかったりした。冷戦終結後、全ての日本からのヨーロッパ直行便はロシアの上を飛んで11時間くらいでヨーロッパに着くようになり、ああ、早くなったなあ、と思ったものだ。再度、政治的理由により、ロシアの上を飛べなくなる時代が来るなんて・・・。おそらくこれからまたしばらくは、南米行きは、アメリカやカナダを経由することになるのであろう。
 ブラジル直行便が無くなった現在、日本からラテンアメリカへの直行は、ANAのメキシコシティー便があるだけだ。14時間くらいかかるのだが、成田からノンストップでメキシコシティに着く。新型コロナパンデミックでも欠航することなく飛んでいて、実にありがたい。ここ数年、エルサルバドルで仕事をしているので、このメキシコシティー直行便をよく使う。それでもこちらも乗り換えだけでメキシコの空港の外に出たことはなかったのだが、今回とうとう、一泊二日だけだがエルサルバドル出張の帰りにメキシコシティの街に出た。
 おお、初の北米訪問である。ご存知の方はご存知かと思うが、メキシコというのは北米である。北米は、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコ、なのである。中米と呼ばれる国々にメキシコは入らない。ラテンアメリカ、というくくりには、メキシコはもちろん入っているのだが、この国は北米の国なのである。初めて訪れた北米の地がメキシコシティー。時は3月、紫色の桜のようなジャカランダ(メキシコでは、ハカランダという)が咲き誇り、伝統ある建築物と街並みが残り、空気はなんだかものすごく悪く、治安は一時ほどは悪くない、と言われていたメキシコシティーである。JICA事務所を表敬訪問し、メキシコのパワフルな助産婦、ラウラ・カオに会い、ずっと行きたかったテノチティトラン跡に行き、ミシマガジンのメキシコ連載でおなじみ、すみちゃんにおすすめいただいた、ポソーレという美味しいスープをいただいたあたりで、真夜中のANAメキシコシティーー成田直行便の時間となった。ポソーレはラテンアメリカ特有のすごく大粒のとうもろこしや肉が入ったスープで、ボリュームもあるけどさっぱりしていて、すごく美味しい。すみちゃん、ご紹介ありがとうございました。メキシコに行かれる方、ぜひ、食べてくださいね。北米メキシコを再訪できる機会を今は心待ちにしている。

三砂 ちづる

三砂 ちづる
(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。沖縄八重山で女性民俗文化研究所主宰。津田塾大学名誉教授。京都薬科大学卒業。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』『女に産土はいらない』『頭上運搬を追って』など多数。本連載の第1回~第29回に書き下ろしを加えた『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)が2016年11月に、本連載第30回~第68回に書き下ろしを加えた『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)が2020年5月に発売された。

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