第5回
松村圭一郎先生に訊く「先生、文化人類学ってなんですか?」(前編)
2020.04.28更新
こんにちは、京都オフィスデッチの小池です。私は岡山大学の4年生で文化人類学ゼミに所属しています。現在は〈台湾原住民〉を題材として卒論の執筆に取り掛かろうとしているところです。
就活も始まった最近は新しく会う人が増え、大学でやっていることを聞かれ「文化人類学って何?」と投げかけられることが多くなりました。これまで3年間学んできた文化人類学、あれ・・・? 文化人類学って何なんだろう? 明解に答えられない自分に気付きました。
今回の「教えてください」は『うしろめたさの人類学』の著者であり、岡山大学の教員、普段からまさに私の「先生」である、松村圭一郎先生に「先生、文化人類学ってなんですか?」をテーマにお話を伺いました。私にとってはこれが初めてのインタビューで、緊張しながら話し始めたのですが、すぐにまるで松村先生の文化人類学のゼミに参加しているかのような対話となりました。前編・後編、2回にわたって「松村ゼミ」 の様子をお届けします。
(聞き手、構成:小池聡実)
文化人類学とはなんだろう・・・
ーー先生、最近「文化人類学とは何か?」とよく人に尋ねられるのですが、いつもどうやって答えていいか悩みます。
松村 何て答えているの?
ーー私は台湾の原住民に興味があり、実際にムラに滞在して、いろいろなものを見聞きしたので、それを論文に書くつもりだと答えています。「文化人類学とは」に答えるのが難しいので、自分が何をやろうとしているかについて話します。それから文化人類学的な考え方を「当たり前を当たり前ではないと思う」という立ち位置でものごとを見ることだと思っているので、そのように言うときもあります。
松村 うん。それならこれまで3年間勉強してきて、例えば社会学と何が違うかについては、どういうふうに説明できる?
ーー社会学は研究の中から自分を消そうとしているイメージがあります。質的調査と量的調査といった違いもあると思いますが、文化人類学では、調査者が自身の立場から逃れられず、それを研究の中にも明記しますよね。わざわざ自分の存在を消していないように思います。
松村 それは何でだと思う? どうしてわざわざ自分の存在を消さないの?
ーーできない。
松村 できない(笑)
ーー消せない。私に対して語られることは、そういう属性の人に語っていると相手が認識しているから、語られることにバイアスは既にかかっていると思います。私の場合、台湾の原住民に興味があって、台湾に留学に来て、卒論を書きたいからここに来ているらしいってムラのみんなが知っている。
松村 それを消しちゃうと何でいけないんだろうね。
ーー消してしまうと、あたかも彼らの語り全てが純然たる事実かのように思えてしまうけれど、「純然たる事実」なんてものではなくて、「一方向から見たときの事実」なのではないかなと思います。
人類学のポイント:限界のある視野だという自意識・固定した主観でいられなくなること
松村 今小池さんが言ったことは、人類学者が世界を見るときの姿勢の原点にあるところとして、いいポイントだと思う。すごく限られた、限界のある視野からものを見ている自意識、謙虚さみたいなものが背景にたぶんあるんだよね。
ーーその「限界のある視野」から見た出来事は個人的なものになってしまって、一人のただの主観的な経験ではないのかと批判されそうに思うのですが、それでも学問として成立するのはなぜですか。
松村 フィールドに行ったとき、最初はもちろん単なる自分の経験でしかないけど、長くいる内にただの経験ではなくなっていくんだよね。そして自分の思い込みが、フィールドとの長い付き合いの中で変化して、自分ひとりの固定した主観ではいられなくなる。これが人類学のポイント。
ーー「固定した主観でいられなくなる」というのはどういうことですか。
松村 まず私たちがどうやってものを見るかって言ったときに、ズレていないと見えない。私たちと同じことを同じようにやっている人には何の疑問も抱かない。「えっ私たちだったらこうするのに何で彼らはこうするんだろう」って思うとき、その背後に何があるのかっていう問いかけが始まる。家族ではない人たちが一緒にごはんを食べている、何でだろうとかね。そういうふうに、自分のもっているものとのズレの中で見えてくるものがある。その空間を共有していない人だからこそ、ズレとしてその場の意味みたいなものがふわっと見えるんだよね。でもね、長くいるとだんだん自分も馴染むわけ。
ーーその感覚、わかる気がします。
ズレを発見すること、ズレることで見えるもの
松村 長くフィールドにいると、最初にズレとして見えたことが、自分のあたりまえになっていく。だから最初のズレが非常に重要になってくる。そしてまた日本に帰ってきたときに、今度は日本人がやってることがおかしいなって思うようになる。そこにもう1回発見があって、このときの自分の変化自体も観察対象になるんだよね。そうやって自分と自分の経験、変化を起点にしながら、考えていく。だから人類学って別に「台湾の人たち」の研究をしてるわけではなくて、台湾の人を通して、またそのズレとして「日本のこと、自分たちのこと」も同時に研究してる。最初はズレとして他者との違いを発見できる ということと、自分がズレたことで自分たちのことも見えてくるっていう両者を同時に視野に入れるのが今の人類学にとって重要なこと。つまり、たんに固定した「主観」にはとどまっていられなくなるし、むしろ自分の主観やものの見方そのものをつねに問い直してく学問だといえる。でもこんなこと一言で「文化人類学何ですか」って説明できないよね。だからまず最初にね、この問いそのものが間違っている。
ーーはい、すみません!
松村 そんな簡単にぽろっと言えるようなものだったら勉強する必要ないし、人類学自体も変化してきている。植民地支配の中で、日本人の研究者が台湾を研究し始めたみたいに、ある種の支配、被支配の関係の中から人類学の研究は始まって、それが1970年代末から1980年代にかけて批判されてきた。そして今の時代の人類学も、みんなが他者と自分たちとの関係 を視野に入れてるかと言うと必ずしもそうではなくて、古典的な手法の人もいるし、数量的に調査する人類学者もいるし、幅がすごいある。だからそれを一言で言ってしまう説明が正確なわけがない 。
ーー確かに、おっしゃるとおりですね。
松村 だから私が「文化人類学って何ですか?」って聞かれたときには、「えっと~5分コースでいく? 2時間コースでいく?」というふうな問い返しをする(笑)
ーーなるほど(笑)
松村 まあそういう話も『はみだしの人類学 ともに生きる方法』に書きました。NHK出版の「学びのきほん」シリーズからこの間出たんですよ。
ーーえ、そうなんですか!?
松村 この本では、文化人類学が自分を起点にして考える意味やいろんな違う人間がどうやってこの世界を生きていくかみたいなことを問いにしています。
ーー面白そうです。読んでみます。
どういう人類学をやるかはそれぞれに開かれている
松村 最初に話したことに戻るんだけど、小池さんが「文化人類学ってなに?」と聞かれたときに自分のことを答えると言ったのは、けっこう正しい。結局は自分がどういう人類学をやるかっていうこと。私たちは「文化人類学」という学問の定義に沿って研究をしているわけじゃない。私 のやっていること「が」文化人類学だと、それぞれが思って自分の人類学をやっている。ある人から見たら、それは人類学ではないとか、適切でないとか、そういうふうに言われる可能性はつねにある。だから学問が何であるのかは、結果としてぼんやり見えるだけで、それぞれの人類学者は「人類学とは何だろう」って、まさにこの問いを自分自身に投げかけながら人類学をしているんだよね。
ーーその大きな問いを前にして、実際にはどのように研究を進めていけばいいのでしょうか。
松村 いちおう、しっかり現地調査をする、長期で行くみたいな雛形はある。だけどそこにどんな意味があるかは、じつはあまりわからないままでフィールドワークに行って、その先で、「ああ、今になってそれを言葉にできる」とか、「長年エチオピアに関わってきたことには、こういう意味があったんじゃないか」みたいな振り返りが生まれてくる。だから小池さんが何をどういうやり方で人類学をやるかっていうのはさまざまな可能性に開かれている 。いろんな選択肢があって、いろんなやり方がある。どれも間違いではないし、どれかが正解なわけでもないっていう。そこで何をやりますかっていうことなんだよ。
ーーわあ、どうしよう。
松村 だからまさにテーマとかトピック、誰に注目するかも小池さんにかかってるわけですよ。それは、もちろん自分が何に興味あるかっていうのもあるし、偶然に左右されるところもある。まあ何と出会ってしまうのかっていうのが、大きいんだけどね。
日本では「原住民」という語のもつ差別的なニュアンスから、「先住民」という語を使う事が一般的となっています。しかし台湾では地位と権利を自覚した原住民自身が「原住民」という語を用い、その呼称を社会運動によって獲得してきたという歴史的背景があるため、本記事でも「原住民」という呼称を用いています。
編集部からのお知らせ
『はみだしの人類学 ともに生きる方法』がNHK出版さんから発売中です!
100ページほどにまとまっていて読みやすい、NHK出版さんの「学びのきほん」シリーズから、松村圭一郎さんの『はみだしの人類学 ともに生きる方法』が発売されました。ぜひお手に取ってみてください。
『はみだしの人類学 ともに生きる方法』松村圭一郎(NHK出版)
『うしろめたさの人類学』が毎日出版文化賞特別賞を受賞しました!
2017年10月に刊行された松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が第72回毎日出版文化賞特別賞を受賞しました。多くの方に読んでいただきたい一冊です。この機会にぜひ、お手にとってみてください。
『うしろめたさの人類学』がオーディオブックになりました!