第6回
フィクションを超える強いフィクションをつくる 松原俊太郎さんインタビュー(1)
2020.05.16更新
今から遡ることおよそ半年。2019年が終わりを迎えるころ、ミシマ社ではある企画が動き出しました。その名も、
「ミシマ社メンバー、会いたい人に会いに行く」
企画書を提出し、全員で企画を検討し、企画が通れば心を込めて依頼をし、丁寧に準備をして話をうかがう。文字に起こして、記事をつくり、届ける。
それを編集メンバーに限定せず、営業、営業事務、仕掛け屋・・・みんながやる。そうやって生み出す「おもしろい」をミシマガジンの読者の方へ丁寧に届けることを、しっかり地道にやっていこう。2018年4月にいまの形にリニューアルして以来、今年で3年目を迎えるミシマガジンの一つの目標をそう決めました。その第1弾として、営業チームの田渕が会いにいったのは、詩人の谷川俊太郎さん。インタビューの様子はこちらからお読みいただけます。
そして、今回私がお話をうかがったのは、劇作家の松原俊太郎さんです。
実は戯曲を読んだことがない・・・演劇も数えられるほどしか見たことがない。そんな演劇初心者の私が、それでも会いたい! と思ったのは、いくつかのインタビュー記事や寄稿の中で松原さんが発したこの言葉について聞いてみたかったからでした。
「声のための場所を作りたい」
この人は、どんなふうに、声と言葉と付き合っているのだろうか。子どものころの話、劇団「地点」との作品づくり、戯曲と小説を書くこと、創作者と観客あるいは読者との関係・・・桜が咲く前の京都の喫茶店で、お話をうかがいました。前編、後編2回にわたってお届けします。
(聞き手、構成:野崎敬乃)
松原俊太郎(まつばら・しゅんたろう)
劇作家。1988年、熊本県生まれ。神戸大学経済学部卒。2015年、処女戯曲『みちゆき』で第15回AAF戯曲賞大賞受賞。2019年『山山』で第63回岸田國士戯曲賞を受賞。小説『ほんとうのこといって』を「群像」(講談社)2020年4月号に寄稿。主な作品に『忘れる日本人』『正面に気をつけろ』『ささやかなさ』等。2020年度セゾン文化財団セゾン・フェローⅠ。
子どものころの、いけすかなさ
――松原さんのことが初めて気になったのは、2019年4月17日の京都新聞の記事でした。戯曲『山山』で第63回岸田國士戯曲賞を受賞されたのちの記事で、「岸田戯曲賞受賞に寄せて」というテーマだったと思うのですが、その冒頭が意外でした。「社長になる、私は家族や友人にそう宣言して九州を離れ神戸大の経済学部に入った」これを読んで、お会いしてみたいと思ったんです。まずは「社長になる」と宣言するまでの話を聞きたいです。
松原 中学生の頃に、いとこから村上春樹の本を勧めてもらいました。それで中学の終わりぐらいまでに一通り読んで、いけすかないガキになっちゃったんです。思春期に村上春樹を読むことは結構よくないことなんですよ、多分。
――だとすると、それまでは「いけすかないガキ」ではなかったんですか?
松原 まあ人並みに反抗期はありましたね。1年間ぐらい。
――人並みかどうかはわかりませんが、長めですね。
松原 中学1年生ぐらいで反抗期になったんですが、それが終わっていいガキになって、生徒会の副会長なりました。
――ははは、急に。どうしてですか?
松原 好きな子が生徒会をやるって言うから、俺もやるって言って。そこまではよかったんですけど、そこで村上春樹を読んで、また拗ねちゃったんです。「なんで俺生徒会とかやってんだろ。馬鹿馬鹿しい」って思って。
――そうですか(笑)。その後、高校生はどんな方向に?
松原 そんなに受験勉強もちゃんとしていなかったので、高校受験は、面接だけをして受験できる生徒会推薦みたいなものがあって、それを受けました。そこはラグビーが強い高校だったんですよ。それでラグビーやりますって言って・・・。
――ははは。
松原 おおそうかそうか、ということでその高校に入れてもらったんです。そしたらラグビー、キツくて。夏に合宿があったんですけど、ハードすぎてもう無理だと思って辞めました。その代わりに勉強をものすごく頑張ります、とは言ってないですけど、そこから勉強をするようになりました。その学校は勉強をしている人があまりいなくて、みんな部活を一生懸命やるんです。となると村上春樹に毒された少年としては、勉強さえしておけば他の奴とは違うぞ、と。だからずっと勉強してましたね。
――教室でひとりガリガリやっている感じですか?
松原 学校は一応進学校だったので、道徳的なことも含め、勉強の姿勢とか、内容とか、上から教えにかかる感じの先生たちがいて、福岡の地方都市の典型みたいな、そういうのがすごく嫌で。なんでお前らにそんなことを言われなきゃいけないんだよって思ったし、命令されるのが嫌だったので、自分で身につけようと思って自分で勉強してました。授業は全然聞いていないけど、家で勉強する。
社長には、ならなかった
――教えにかかってくるものへの反発として自分で勉強するというのは、どこか清々しいですね。最初の新聞記事の言葉に戻りますが、どうして「社長になりたい」って言い出すんですか?
松原 もうちょっとちゃんと文学青年をやっていれば、その時点で作家になるという方向に行けたのに、そうはならなかったんですよね。周りにそういう人がいなかったというのもあるし、親とか周りの人に「これから何するの?」って言われたときに、とりあえず「社長になる」って言っておけば「ああそう頑張りなさいね」みたいに言ってくれるんですよ。それで話が終わる。「作家になる」とか言ったら、「いやいやいや」みたいに言われる。
――私、その頃の松原さんと同じくらいの時期に、「宇宙飛行士になりたい」って言ってました。それで高校は理系に進みましたが、物理とか化学とか、全くできなかった。
松原 それと似たような感じで、後悔してもしきれないんですが社長になるなら経済学部だろって大学で経済学部入って、予想以上につまんなくて、まわりはチャラチャラしてて、悲惨でした。ベケットとジョイスに出会えてよかった。
――お話を聞いていると、小さい頃から作家になることを熱望していたというよりは、偶然ひょんなことから、今の仕事に、という印象を受けるのですが、ご自身で振り返ると、どうですか? 今、劇作家として戯曲を書いていることは、自然ですか?
松原 振り返ってみると、外にあったものに反応して今の自分になっているので、全部偶然とも言えるし、でもこうなるしかなかったかな、というところもあります。大学卒業してからはずっと「作家になる」と思っていました。
劇団「地点」とともに
――これまで、京都を拠点に活動している劇団「地点」とともにいくつかの作品つくっておられますが、戯曲を書き始めたきっかけについて「地点」と「空間現代」による『ファッツァー』の上演のことを書かれていますね。この上演に足を運んだのはどうしてですか?
「私の演劇との出会いは、二〇一四年三月、京都は北白川のアンダースローで、地点と空間現代によるブレヒトの戯曲『ファッツァー』の上演だった。四〇人ちょっとの客席の目の前に俳優が並び、逃れるように壁にもたれかかり、叫んでいる。空間現代の三人がそれぞれ演奏するギター、ベース、ドラムから発せられる音が拡散し反響して声を分断し、俳優それぞれのひとつの穴から発せられた声は、分断された物質的な塊となって、銃弾のようにこちらに飛んでくる。第一次世界大戦のドイツの脱走兵たちが銃弾に撃たれているという見立てのはずだが、ここでは、観客が撃たれる。私はあの銃弾に、物質的な塊としての声に侵されたまま、戯曲を書き始めた」(松原俊太郎「戯曲の読み書きについて」『山山』白水社、2019年)
松原 「空間現代」は佐々木敦さんが主宰しているレーベル「HEADZ」から作品を出していて、もともとHEADZをチェックしていたので、空間現代を先に知っていました。『ファッツァー』を観にいったのも、空間現代が出ていたからです。それまでは演劇を観たこともなかった。
――私も昨年12月に「地点」と「空間現代」による松原さんの戯曲『正面に気をつけろ』の上演を観ました。強度を持つ声と音に衝撃を受けて、呆然としました。アンダースローから家までの帰り道の記憶がないです・・・。松原さんが初めて「地点」を知った上演から、現在のように「地点」に作品を書き下ろすまでにはどんな経緯があったんですか?
松原 愛知県芸術劇場が主催するAAF戯曲賞というものがあって、それに向けて初めて戯曲を書いたんです。それがたまたま受賞して(2015年、戯曲『みちゆき』にて第15回AAF戯曲賞大賞受賞)、その作品の上演を「地点」がやることになって。それから新作をやってみようということで『忘れる日本人』という作品を書き下ろしました。
――へー、そうですか。
松原 その後、『正面に気をつけろ』『山山』と続いたんですが、「地点」と松原戯曲の組み合わせではまだまだできることがあると思ってます。「地点」は普段古典戯曲を上演していて、この戯曲をやるとしたら、普通はこんなふうにはならないよね、というおもしろさがあります。でも自分の戯曲との組み合わせでは、とっても変なものができあがるんです。自分の戯曲は一般的とされる戯曲より多弁で文体も変わっているとされています。読めばわかるだろうけど、一聴してすべてが理解できるようには書かれていない。声や上演に期待している部分がある。「地点」は文の順序を崩して再構成するので、もっとわけがわからないものになります。変は変でおもしろいけど、次は別のおもしろさを作っていければなと。
――「別のおもしろさ」はどうしたら生まれると思っていますか?
松原 戯曲を書き始めるところから変える必要があると思ってます。最初にどういう戯曲にするのか、テーマはどうするのか、などの話し合いはしますが、そのあとはこちらで自由に書いてきました。書いて、渡して、あとは「地点」がやる。というやり方を変えるために、書く前の話し合いをもうちょっとしっかり話し合うようにしたいと思っています。それから上演のイメージも素材としてある程度組み込みながら書く。「地点」と取り組んでいる次の新作はそういう形になると思います。
誰に、上演されるのか
――日本の演劇においては、作と演出を兼ねた「作演」という形が多く、劇作もしくは演出だけをする人は少ないということで、松原さんは「純粋劇作家」と言われていますよね。とすると、いろんな演出がありうるし、そのバリエーションを楽しむことができるようにも思うのですが、松原さんのこれまでの作品で、同じ作品を別の劇団によって上演されたことはあるのでしょうか?
松原 『正面に気をつけろ』の観客によるリーディング公演(シアターコモンズ'20 中村大地演出)という企画があったんですが、コロナの影響で流れました・・・いまだ別の劇団が上演するということはないです。待望してるんですけどね。自分が書いてきた戯曲は長いみたいです。作演の人が書く戯曲よりも、全然、個々の台詞も全体の分量も。書く側からすれば内容に応じた長さなので、削れるところはほぼないのですが。
――とても当たり前のことですけど、上演されるには役者が台詞を覚えないといけないですね。
松原 覚えて、言おうと思えば言える。でも、あの長台詞を成立させる、時間をもたせるのは大変なことです。観客の前で上演するなら、上演自体をある程度の強度を持ったものにしないといけなくて、台詞自体も、ただ言っているだけではなくて、膨大な量の台詞の中でそれを粒立たせて、聞こえるようにするためには身体の状態や発声の仕方が重要になってきます。当然「作演」でやるよりも手間がかかります。けど、その手間が、作と演出の差異が目に見えるようになったほうが、観客にとっても上演する側にとってもより豊かなものになると思ってますが。
――なるほど。
松原 東京に「スペースノットブランク」というユニットがいて、最近はその二人とも組んでいます。2019年に『ささやかなさ』という戯曲を書き下ろして、一緒に作品をつくったのですが、香川県高松市のMOTIFで上演されたときにすごいなと思いました。俳優の身体のつくり方とか、上演の強度のつくり方とかがとても上手で、劇作家としてはそういう人たちが増えてくると、楽しいですよね。
――いつか演出したいって思いますか?
松原 依頼があれば考えますけど、まあ来ないでしょう。
編集部からのお知らせ
ロームシアター京都2020年度自主事業として、劇団「地点」と松原俊太郎さんによる最新作「君の庭」が今年9月に上演されます。
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地点『君の庭』
日時:2020年9月予定
会場:ロームシアター京都 ノースホールなど(予定)
作:松原俊太郎
演出:三浦基
出演:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、小林洋平、田中祐気
主催:ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)、京都市
共同製作:ロームシアター京都、穂の国とよはし芸術劇場PLAT、KAAT神奈川芸術劇場